監視社会 再々録
街中、監視カメラだ。このブログだって、私の出すメールだって、読もうと思えば、どこでも強権力があれば、読める(危険思想はないとは思うが)。「グーグルなどが、全人類の電子メールやプラウザ閲覧履歴、スマホ保有者の位置情報などを盗み見することを米当局(NSAなど)に許可している。もしくはグーグル自身が諜報機関として機能していることも含め、全人類の活動全体が米国や自国の当局によって監視される状況が強まっている」(田中宇 配信ブログ 4月23日)。
それに、この監視カメラの普及だ。異常なまでの設置台数だ。それによってATMで金を下している人の顔とか、スピード違反の車を捕まえるオービスとか、コンビニのカメラに映った犯罪者や行方不明者の動向とかで、活躍することはあるにしろ、しかし、エレベーターの中も、企業の中も、監視している人の監視も含めて、「ちょっと待ってほしい」と思うのは私だけだろうか?どこまでこの監視社会は進むのか、どこかでブレーキをかけないと生きてる人間の神経がおかしくならないか?
たとえばアマゾンである本を購入すると、「その本を読んでる人は、次のような本も購入してます」とか、60代の男のブログなら「まだあなたも元気に」で精力剤の広告が入ってきたり,夏休みのリゾートホテルを探してあちこちホームページを見ていると、そこのホテルの広告がどんどん入ってきたり、「機械に先を読まれている不快感」「ロボットにその人の傾向が読まれて(価値観が決めつけられる)気味悪さ」を体験していないだろうか?
これは、広告の世界では「マーケッティング」で消費者の行動傾向を分析して、次の消費へ向かわせる常套の手段で、自分もかつてそこの片隅にいたのだが、半年、その世界を離れて、普通の人々の仲間入りをすると、不愉快なマーケッターっているのだな?と思う。さらに加えて、EC中心に現金扱いを減らして、支払いを電子化して、誰が幾ら何のために払ったかを可視化して、テロや麻薬、武器の購入なりを事前に阻止する動きもある。世界中で現金は持たず、カード(電子化)して、本人の口座の残高も丸見えだ。
秘密やプライバシーはこのままいくとなくなってしまう世界だ。それ以上に困るのが政治や思想の世界で、有名なアメリカのマッカーシズム(赤狩り)では、「日本における近代国家の成立」を書いた軽井沢生まれで知日家のカナダの外交官ハーバート・ノーマンを1957年、カイロのホテルからダイビングさせた。相手を決めつけたり、自由な思想世界を監視し、時の政府のイデオロギーで裁く思考回路を断ち切らないと、とんでもない世界、ジョージ・オーエル「1984」の世界が現れて、屋根を突き破って「思想警察」がやってこないとも限らない。
昔の少年。
スマホなど携帯カメラ、監視カメラ、SNS、GPS、ドライブレコーダー、今では自粛警察?、マスク警察まで現れる始末。どこでもドアどころか、どこでも監視。中でも一番困るのはスマホなどのGPS機能。家内は私の行動を監視したいらしく盛んにGPS設定を要求してきます。今の所は難を逃れていますが、設定などすれば雁字搦めでつまらない日常になってしまいますね。その上、ライブ映像などにでもなれば、やる事なす事丸見えですからね。そんな事になればスマホは即解約ですね。ポケベルが懐かしい。
seto
追いかける人多くなりました。プラバシーも無いに等しいです。コロナでも追跡機能ソフトが活躍していたり、アメリカは性犯罪者にGPSを埋め込まれます。こういう使い方ならOKでしょうが、日常の暮らしの中でスマホや携帯のGPSは失くした時どこにあるかでしょうが、私はメガネや財布を室内でなくします。GPSシールでもあれば添付したいです。ポケベルは面白かった。伝言も入りましたね。SNSで他人を中傷や誹謗の世界から遠くにありました。それを発信している人の心が相当いかれているか荒れている、実名を出せない事情があるのでしょう。瞬間的に反応する日本語ばかり詰め込むとこういう結果になります。
坊主の孫。
在宅勤務のテレワークやオンライン授業やTV会議。便利な世の中ですね。まるで数十年前、半世紀前?にベストセラーになったアルビン・トフラー博士の第三の波そのものですよね。いやそれより進化しているかも知れませんね。あの書には確か?監視カメラ社会やAIの事には触れて居なかった記憶がありますからね。もし今第四の波?第五の波なんて事になれば一体?どんな世界なのでしょう。今より良い方向に向かえば良いのですが。
seto
トフラーさんの名前、懐かしい。詳しい内容は忘れてますが。文明は功罪で判断されますが、利他的に使うか利己的(自分の利益を最大にする、損を最小にする)にするか、これからは見えない資産の重要性と利他的な生き方(使い方)がコロナ後の世界のキーワードになると言うようになりました。見えない資産は体験であったり、教養だったり、その人の持つ人間ネットワークだったり、会話力、雑談力といったところです。家族関係も入るかもしれません。個人はひとり個人ではないので、従来の近代の俺が俺がの自立した個人とは意味合いが相当に変わってきてます。