近代社会は代理で成り立つ。
松岡正剛著『誰も知らない 世界と日本の間違い』(春秋社392p)原文はこうだ。引用が少し長くなります。『私は、そもそも近代社会というのは「代理の社会」だというふうに思っています。自分で政治もしないし、料理もしないし、洗濯もしない。政治は代議士にしてもらい、洗濯はクリーニング屋に頼み、旅行は旅行代理店に組んでもらう。法律のことは弁護士にまかせ、食事もレストランのシェフのものを食べ、教育は先生方に面倒をみてもらう。企業も財政面を銀行に見てもらい、その宣伝は広告代理店に代理させていく。・・なにもかもが他人のつくる機関にまかせていく。そして大衆はそれに文句をつければいいということになっていく」後半は、大衆の消費社会の殿様ぶりを表している。『代理戦争』という実態もある、必ずしもヤクザ世界の組同士の対立を別な地域でシノギを削る抗争ではなくて、朝鮮戦争がアメリカとソ連の代理戦争であったリ、ベトナム戦争も同じ構造でたくさんの死者が出て、日本は好景気に沸いた。朝鮮戦争のときに、国連司令部が東京に置かれ、陣頭指揮を取っていたマッカーサーはウラジオストックから北京まで26都市に原爆を落とす恐ろしい計画をして、マッカーサーは解任された。
私が7月から手助けしている、ワクチン集団接種も国→地方自治体→受託会社へと仕事を回してゆく。その末端に私もいるわけだが、接種会場もプロのイベント屋さんの手慣れた仕事。昔、私も製薬メーカーから受託して講演会の運営を任せられ、アンケート分析で納品、講演者への謝礼もメーカーから手渡すのではなく、広告代理店を介して金銭を動かし、自分たちに不正の疑義が生じないよう配慮する。
ということは代理業は、今日、仕事の本質を握っているので、できてあたりまえの世界になっている。代理がないと仕事が進行しない、で、自分の職歴を見ると全部代理業であったことに気付く。多くの時間、滞在した仕事は物を売る代理(広告・保険・議事録つくり)であった。私自身の人生も父親と母親の遺伝子を受け継ぎ、彼らの代理人として人生を歩んでいるともいえる。近代社会とは関係ない話だが、

匿名
私は今、妻の代理でクリニックの待合室にいます。コロナ禍で自分と妻の二人分のクスリを貰いに来たのですが血圧のクスリ等なら代理人でも貰えるとのことです。しかしアレルギーのクスリ等は本人の診察が必要で代理人では貰えないとの事。しかし診察と言っても一言二言の会話のみ。それなら代理人でもいいのでは。
広告マン。
確かに近代社会は代理流行りですね。代理戦争はかつては大国が黒幕でしたが、今戦争が起きればAIロボットや無人攻撃機が代理することになるでしょうね。しかし攻撃を受ける側は有人でしょうから被害を代理してはくれませんね。攻撃側は代理任せですから状況すら把握してないかも知れません。戦場カメラマンもAIとなれば報道しら代理任せですね。
seto
先ほど、ワクチン接種業務の代理の手伝いをしてきました。椅子数が増えて午後からで330人を400人に増やしました。明日は朝から800人。土・日で1200人です。医師も看護師も考えてみると代理行為ともいえますね。戦争や紛争、政治の世界も代理で戦い、小物ばかりが逮捕される。いずれ罰はやってくると、そういう狡さの人は思いたいです。