竹内まりや 札幌でのコンサートに行く。
竹内まりや(2014年12月4日)札幌コンサートレポート
以下の記事は、コンサート終了後、2時間後に書いた知人へのコンサート報告です。記憶で書いたので、細かいところが誤ってる可能性もありますが、大筋がわかればいいなあとメールをコピーしてみました。この日も、地下鉄真駒内駅から会場行きシャトルバス内で、超混雑ゆえ、筆者はパニック障害発生して会場まで20分歩くことになりました。
12月4日、竹内まりやのコンサートへ行きました。元気ですよ!長いので暇なときに(そんなのなのないか) お読みください。 曲目はざっと次のようです。簡単解説付き(暇人な私)地域によって話題はかれらは変えますね。
ドリームオブユー 不思議なピーチパイ 象牙海岸 五線譜 ウィスキーがお好きでしょう(ベースギター伊藤さんがNHK朝ドラファン) RET IT BE ME(達郎とデュエット) リンダ(達郎とバックコーラス3人のアカペラで、アンコールで歌う) プラスティクラブ(達郎と佐橋のカッティングギター冴えて今回のコンサートで一番の盛り上がり) 元気を出して(10代の落ち込んだ女の子からこの曲聞いて頑張れた・・・との内容の手紙をもらって作ってよかったとまりやさん) 駅 告白 マンハッタンキス 家へ帰ろう 人生の扉(50歳になって、ドラマーの青山純、大滝詠一さんも亡くなって、現在還暦前の59歳になり、格別な思いの曲になりました。) 命(アンコールの一番最後に彼女の弾き語り、今日来てくれたお客さんへ私からのプレゼントですと言い、難波ひろゆきさんのピアノを借りて。私も思わずもらい泣き) カムフラージュ ケンタッキーソング(この曲は歌ってほしくなかった)ほか2~3曲。
全曲、すべて山下達郎バンドで達郎の青のシャツや帽子キャップも8月のコンサートと同じでした。彼はできるだけ引っ込んでバックに徹しようとしますが、奥さんの 会話に引き込まれてついつい江戸っ子気質でおせっかい会話。ドラマーの小笠原さんが札幌の新琴似出身なので、北海道方言の話で『ザンギ』(鳥の唐揚げ)『角食』 (四角い食パン)の話をしてました。達郎の実家がパン屋で、お客が柔らかいパンを触って形を潰すので、それを注意する仕事を少年時代していたとか(笑い)。ところが そこで売っていたパンが日糧パンで札幌本社なのだと知ったと達郎コメント。
(以下は竹内まりやの話) 真駒内アイスアリーナは札幌オリンピック会場で当時アメリカのフィギュア選手ジャネットリンの笑顔に自分も感動して10代・アメリカへ留学したとき、住んだ街から 20分先に偶然、彼女の実家があり、ペアレントに言い、連絡をつけてもらい彼女に会ってきた話をしていました。日本から贈られた千羽鶴がたくさん飾られていたと。 隣の真駒内野外競技場で20台後半、桑田ケースケさんのコンサートに出た時、当時の道新スポーツ(サンケイスポーツと提携)がスクープで『竹内まりやと山下達郎 が同棲!』記事。記者たちから『結婚、おめでとう』と言われたがまだ籍も入れてないのになあ・・と。 竹内まりやが達郎バンドを『いま、音楽的にも技術的にも日本で最高のバンドです』と、達郎の生演奏を聴いたことがない聴衆へ解説をしてました。1万2000人。立見席も 開放したのでもっと来たかもしれません。 7割が女性、夫婦で40代から50代。旦那は奥さんに引っ張られてきている人が多いのですが、『きっと達郎が来る』と彼の熱烈ファンも多くて、会場から『たっちゃん、いいぞ!』 と掛け声入り『ありがとー』と応えていた。
サックスの宮里さんの腕がすごく上がっていて、達郎さんが宮崎の都城市から東京へ連れてきて、NYでレコーディングさせた。そのCDが本年ジャズ部門の大賞を獲得したと。 キーボードの難波さんは音楽大学の教授をしていた。もう一人のキーボード奏者柴田さんは白系ロシア人の血が混ざっていて、札幌駅で英語で外国人から話しかけられたとか雑談 もありました。 (私の総評) このふたりの100%出演、8800円→15000円でもいいかも。
ただ、心配は山下達郎が仕事のし過ぎではないかなあと健康面の心配です。来年、デビューの区切り(40 周年)で張り切ってますから、ツア本数も半端ではありません。12月公開の映画の音楽監修をしたり、まりやさんのCD監修したり、打ち合わせもきっと多くて61歳では ありますが心配です。大滝詠一が死去して、青山純も亡くなり、達郎さんが生き急いでいなければいいのだけれどもと思います。ボックスCDが売れる二人だからレコードメーカー も儲けられる音楽家ですからフルに利用するでしょうから、達郎さんはサービスマンですから、ついつい過剰に仕事を受けて休まない。そしてカラダを壊さなければいいなあと懸念 します。 以上