『ペスト』が書かれた舞台の1664年ごろの世界史のおさらいだ。イギリスは1642年のピューリタン革命でクロムエルの独裁政治が始まるが失敗して、1660年には王政が再度始まる。植民地をめぐってオランダと全3回の戦争突入。オランダ植民地のアメリカのニュー・アムステルダムをイギリスは奪ってニュー・ヨークとする。オランダは世界野望の末、日本へも船を寄越して長崎出島のオランダ館までこぎ着ける。ホッブスの『リバアイサン』やミルトンの絵画『失楽園』が書かれたり、1666年ロンドン大火に見舞われたりする。

 

その中でのペストの蔓延だ。徳川(1603年~1867年)は4代目家綱の時代だ。中国は1664年、北京に首都を置いた清が1912年まで長い政権に就く。ロシアはロマノフ王朝(1613年~1917年)。インドはムガール帝国(1526年~1858年)。書きながらわかったのは、アジアやインド、ロシア、中国、日本とも長期政権が続いていることである。世界史年表を横に見ながら書いているとそれが見えてくる。もちろん、植民地をめぐる欧米人同士の殺し合いは続くけど。

 

ここでキリスト教の果たした役割には言及しないが、ペストの恐怖にさいなまれたロンドン市民がアドバイスや慰めをもらいに行った教会でデフォーはこう書く。少し長くなるが我慢していただきたい。

『私はまた、聴衆の心を高めるよりも、かえって滅入らせるような説教をした牧師たちのことも、ただではすまされぬと思っている。・・・・われわれの牧師たちはどうであったか。何も一派一宗に限られたことではなく、あらゆる宗派にわたってそうなのであったが、これらの牧師たちは、根が善良なるにもかかわらず、その話すことはつねに恐怖に満ち、不気味な話題にあふれていた。会衆は身震いするような恐ろしさにかられては教会に集まり、牧師たちの悪しき音信を聞いては涙にかきくれて散会していった。牧師たちは会衆の心に、死の心配をいやというほど叩き込み、その恐怖心をかきたてこそすれ、神に向かって恵みを求めることを教えようとはしなかった。少なくとも真剣な努力は払おうとはしなかった。』。

 

信徒の集まる宗教の集いで、昔からやられているのは、説教者自身の不安を信徒に覆いかぶせて話すことである。このデフォーが書いていることは敷衍すれば、もう信徒に神の恵みを伝える・祈る世界ではなくて、ロンドンから逃げようを呼びかけているようなもので,富んだ人ならいざ知らず、貧しい人をさらに悲嘆のどん底に落とす役割しかしていないことに怒っているのである。

  1. 人前で話す立場の人は、自分本意で話してはいけませんね。世の中は複雑ですから同じ境遇の人は居ないですから自分がスタンダードだと思ったら大間違いですね。痛みの分からない人が痛みを説いても伝えられないように

    • 痛みのわからない人に説教されたくないですね。財界人も権力中枢の政治家も、人々の暮らす家庭を覗いてみれば、想像力を働かせれば、いま何が必要で何が必要ではないか知り得るわけです。ついつい自分をスタンダードに立たせてしゃべったり語ったりする癖がありますが、最後の追い込み営業で自己本位で無理やり広告をもらった経験を思い出しました。自己都合の何物でもありませんでした。

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です