モルヒネの入った金庫、聴診器で開ける医師!
2泊3日で筆者は入院の身。主治医が先ほどきて、大学の2年先輩で、何でもできる医師がいたという。ご存じのように激痛を止めるモルヒネは劇薬なので病院では「金庫」に保存している。通常の金庫ではあるが、鍵がなくなり、ダイヤルの番号も行方不明に。これ自体超危険。「おれがやってやろう」とT医師登場。さっそく聴診器をダイヤルを回しながら金庫に当てて見事金庫を開けたという。テレビ番組で蔵の中にあった開かずの金庫を開けるプロの鍵屋さんを見たことがあるが、医師でこれをやるとはすごい。主治医に「T先生に習うといいですね」と苦笑しあった。モルヒネが金庫の中に置いてあるということも初耳であった。「その話、ブログに書かせていただきます」。5回目の心臓カテーテル検査だ。昨年9月にも検査をしているが、新型コロナが増えて(恵庭市は160人を越えた)ご存じのように見舞い客が入れない。個室に入ると、どういうわけか慌ててしまい軽いパニック障害が出てしまった。日常生活から非日常へ移行するとき、その境目で適応障害が出たのかもしれない。いい話といえば1冊の本が完読できたことだ。安富歩「原発危機と東大話法」(明石書店)。東大話法1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考をする。「私は、この戦争を経て、日本社会は、人間ではなく立場で構成されるように
坊主の孫。
私の姉婿の家は豊島区滝の川のカギ製作所。と言っても親の代からの町工場でしたが、事件が起きるたびに警察に呼ばれて協力したり、或る時は疑われたりと大変でした。何しろ、どんなカギも構造を熟知していますから開ける事も壊すことも出来る訳です。金庫泥棒はしていませんが、一つ間違えば大変な職業ですね。貧乏な町工場は長男坊も継がず、今では途絶えてしまいました。それにしても博打打と言うか、決して真面目人間では無かった、競馬、競艇、競輪好きの義兄が?なぜあんな職人だったのか?今でも不思議です。良く解釈すれば、仕事と遊びの分別を弁えていたのでしょかね。
seto
もったいない人ですね。立派なカギ職人か警察官にでもなれたかもしれません。競馬・競輪・競艇の3点セットですね。私の親戚でタクシー運転手がいました。競馬が好きで母親がしょうがないので「馬」を持たせて岩見沢の厩舎で飼ってましたが、結果的に実家のシイタケ・リンゴ畑を売る羽目になり、自己破産しましたね。あれは狂うもんですね。私はある時期、仕事に狂う・・・そんなことないか。
広告マン。
長女の婿は6つも年下ですが、長男坊で親の反対を振り切って進学のために上京。比較的成績優秀でしたから法政に一発入学。田舎の親からは勘当同然でしたから、学資稼ぎに遠戚のつてをたどって都内のメッキ工場に住み込みました。きつい仕事と青酸カリを扱う危険度もあって、給与は高く、学生で有りながら、銀座で豪遊したり外車を乗り回したり、高級品を買ったりしていました。東京で働いていた姉と知り合い故郷が同じと言う事で、二人で田舎に帰って親に謝罪して結婚しました。危険なモルヒネも青酸カリも意外に身近なところに有るものですよね。しかし、いずれも持ち出し禁止の危険な薬物ですから管理はもっと厳重にした方がいいのではないでしょうか。簡単に開けられる金庫では心配ですね。田舎で子供の頃に薬箱を整理していたら何と大日本製薬のラベルの小瓶にヒロポンと書かれていてビックリしたものです。丁度そのころ麻薬の恐ろしさの映画などを学校で見せられていた為、恐る恐る母に聞くと「あぁそれね。〇〇子が東京にいた頃、受験勉強で使っていたのよ」と。昔は危険すぎる覚せい剤さえも市販されて一般の人が入手していたようです。考えられないですね。
seto
ヒロポンって敗戦後、売り買いしていた覚せい剤ですね。覚せい剤は私、飲んだことないですが鎮痛剤や睡眠薬も中毒になるから麻薬ッポイし、アルコールもね。甥っ子さん、逞しい人生ですね。大学生で現在、自分で稼いで勉強している人も多いと思いますが、いい親戚にも恵まれていましたね。そういう親戚関係をなんとか回復されればもっと生きやすい社会になると思いますね。