不信や不安や監視は高くつく!
近所のスーパーのトイレに「清算を終えていない商品をトイレに持ち込んだりしないでください」と3枚も書かれている。それを読み終えないとトイレへ入れないくらい文字が躍ってる。盗んでいく人が多いのだろう。
社会不安や生活格差は、日々の私たちの暮らしに毎日見えるところでずっと前から始まっていて、別に国や自治体の統計数値が出るまでもなく、現実は私たちの目の前に転がっている。そんな時代を反映して監視カメラ市場が興隆している。
調べると、監視カメラ市場は2014年度、世界で約4000億円、周辺機器を加えると1兆6千億円に及ぶ。キャノンがことしの2月に世界最大のネットワーク監視カメラ会社スウエーデンのアクシス社を3300億円で買収した。
監視カメラはスーパーや小売店に設置してマーケッティングにも利用できて消費者の行動や商品購買行動も分析できるから用途は幅広いが、しかし、しかしである。凶悪な犯罪者を特定したり、誘拐犯や被害者の行動もコンビニや街頭で写されて、犯人逮捕につながっていたり、痴漢や盗撮も監視カメラで御用ができるとしよう。先日も町内会の会議で、公園内に監視カメラの設置を増やすよう市へ要望を出したりした。痴漢が多いのである。
映画「未来世紀ブラジル」やジョージ・オーエル「1984」の近未来のSFの世界が現実化しつつある。これに警備会社が加わると息苦しくてたまったものではない。前にも書いたけど、洞爺湖サミットの厳戒態勢は、全国の警察車両が札幌周辺に集まり、余りにも市内が息苦しいので筆者は中心部にある原始林の残る植物園に自由な空気を吸いに行ったが、そこにもゴミ箱を漁る警官を見て、この場所、全然関係ないところでは?と思って吐き気を覚えた。
平気で市民の自由や平和な空気を脅かす、そのために膨大な税金をつぎ込む。テレビ衛星会議でサミットくらいできないものだろうか?顔を合わせるにしても、無人島ででもやってもらいたいものである。専用のホテルとヘリコプター発着場でも作って。それにしても近未来SFがこうもダークサイドの映画ばかり作られるのはどうしてだろうか?明るいのは甘たるい嘘のディズニー世界しかないのかな。
何度も書くけど信頼や信用は安くつく。大昔、小さな部落で食べ、子供を産み、住んでいるひとたちが全員知り合いなら、玄関やドアも必要はない。人間が移動して都市を形成してから、徐々に変わっていった。ローカルから働くために大都会へ流れた。その分、知り合いを頼り、小さなコミュニティから生きる空間を作り広げていったが、元々の根がローカルである場合、どこかに不適応や他人への不信が芽生えてくるのは想像できる。金しか信用できないとかね。そうなると自分を守るのは第三者であるカメラや警察や深い友人しかいなくなる。なんと心細いことだろう。
信頼や安心は安くつく・・・・これは果てしない理想なのか?外交や軍事においても軍事費の高騰は近隣諸国への不信や不安の産物でしかない。私たちの生きる社会にそっくりだ。ただ、違うのは監視カメラがGPSや衛星からのカメラ(地上の人間を識別できるらしい)に高性能化していることだ。
昔の少年
田舎ではカギは閉めないのが常識だった。トイレさえカギを掛けない。みんな顔見知りで、信頼とか信用が根付いていた。ところが或る時から道路が整備され峠の麓にある茅葺屋根の重要文化財の村落を通り抜けて他県のクルマが往行するようになった途端、父が大切に手入れしていた自慢の盆栽が玄関先からたくさん持ち去られた。また、谷のワサビがごっそり盗掘され持ち去られた。菜園からはスイカがたくさん盗まれた。川のアユも密漁された。それから田舎では監視カメラはないがカギをかけ、人々は目を光らせるようになってしまった。道路開発から生まれた便利さ?は地元に貢献はしなかったようだ。田舎では他人の山のものは山菜でさえ断って採ったり、暗黙のルールがある。都会の人間は山はどれも自然でみんなのものと勘違いしているようだ。
αβ
このブログを読んで、家族で行ったディズニーランド旅行のことを思い出した。ディズニーランドで遊んだ帰り東京見物をすることになり、荷物を電車の駅のコインロッカーに預けようとしたが、全て使えない状態だった。サミットのため使えないと貼り紙に書いてあったことを。
サミットにより街中警官だらけ、開催地も厳重な警備で一般の人は容易に近付けないとしても、サミットによる観光に地元の人は期待している。だから諦めの境地だろう、多分。
また、街中警官だらけだったら物々しいところはあるが、彼らがいる間はその地域では犯罪は少ないだろう。どうせ一時的なのだから、眼を瞑ってもいいのではないか。