立花隆さん追悼 エーゲ
ブログ90本記念 原点に帰って (続)太古につながる生活者の目 立花隆「エーゲ」

お陰様で3月18日から始まった「太古につながる生活者の目」というブログが90本目を迎えることになりました。途中から読み始めた読者もいらっしゃるかもしれませんので、3月20日に書いた記事を再録して、原点に帰ろうと思います。2度目の方はスルーして構いません。
前回は、「知の考古学」という雑誌の巻頭言から、この題名の由来について書かせてもらいましたが、今回は、立花隆さんの「エーゲ」(永遠回帰の海)(書籍情報社)からの引用になります。ページも列記します。
20年を費やして完成したカメラマン須田慎太郎さんとのコラボ本ですが、その序にイタリアのシチリア島セリヌンテ神殿群を前にして「突如として私は、自分がこれまで歴史というものをどこか根本的なところで思い違いをしていたのに違いないと思いはじめていた。知識としての歴史はフェイクである。学校の教壇で教えられた歴史。歴史書の中の歴史。歴史家の説く歴史。記録や資料のなかに遺されている歴史。それらはすべてフェイクである。最も正統な歴史は、記録されざる歴史、語られざる歴史、後世の人が何も知らない歴史なのではあるまいか」(45頁)
「記録された歴史などというものは、記録されなかった現実の総体にくらべたら、宇宙の総体と比較した針先ほどに微小なものだろう。宇宙の大部分が虚無の中に呑み込まれてあるように、歴史の大部分もまた虚無の中に呑み込まれてある」(46頁)
立花隆さん30歳のとき、地元の人も誰もいない遺跡群を前にして突如、湧き上がった感慨でした。自分たちの日常を考えればあたりまえのことですが。昨日のこと・現実はすべて表現はできない、表現するときは多くの何かを捨てている。数量化の比喩を使えば1%の現実を表現するのに99%の現実を捨てている。この繰り返しが歴史なのではあるまいか。
日常の暮らしのなかで、会社であれ、家庭であれ、事件のなかにも、捨てられたものがたくさんあって、そのおかげでいまの自分がいるのではあるまいか。記録されなかった現実の総体が、実は、意図的または気づきもなく捨てられた現実でもある。その人がそこにいるということは、そこにいない人を山のように抱えているのだ。歴史はそういうものを丸抱えしたなんだか分析なり、調理を許さない、歴史学を嫌う生き物に見えてくるのは、私の妄想だろうか。現代にも、現代だからこそ、見つめていい視点ではないのか。それが時代を超えて太古の人ともつながる早道、深いところで共感できる生活者の目のような気がする。
*追記・・・ブログ3年目に入り、毎日書き続けているがいつまで続けられるか不安。本屋へ行けば、それぞれの関心どころの著作は並んでいるし、センセーショナルな見出しの週刊誌も、ついつい立ち読みをしてしまう。電車に乗れば、スマホ族がずらりと下を向いてゲームや友人と文字交換。サイバー空間で生きている。ハッカーたちはサイバー戦争を毎秒している。私たちのライフラインに入り込まなければと願うだけだ。写真家土門拳のモノラル写真を見て、貧しいけれど懐かしく思うこのごろである。

昔の少年。
歴史は美しく語られたり、またあるいは残酷にさえ伝えられています。しかし当時の事は現代の誰にも解らず只の推測や憶測や空想でしかないのでしょう。誰かが推理したシナリオに脚色したり、逆の見方を試みたり、さらには誰かをヒーローやヒロインに祭り上げたり、また、それを鵜呑みにして如何にも自分は歴史通だと自負する者も多く現れたりと、歴史は勝手に変えられる運命にありますね。実際のところは誰にもわからない事だらけは当然の事。当時は真面な記録媒体も無く、言い伝えや書き記した文字や絵画くらいしか残されていません。歴史探訪などと言う言葉通り、探し訪ねて自分なりに解釈するしかありませんね。そうする事で意外にも語られて来なかった部分も見つかるかも知れませんね。そして我々の今生きている時代も太古の歴史となって語られる日も来るのでしょうね。
seto
アテネのパルテノン神殿も今では真っ白く青い地中海に映えていますが、当時はエジプト文化の影響で派手な色をしていました。それを化学薬品で色を取り、まっ白にした大英博物館。なぜこんなことをしたのか?無名な人々が発見や発明もしていて、彼らは文字化して名前も残らない。それが普通の歴史で、クラシックでもベートーベンやバッハではなく、知られざる作曲家のCDが売られています。そこに古典っぽい旋律が多いと言います。演劇もシェイクスピアはあちこちの無名の劇作家のシナリオを集めたともいわれています。有名や名を遺す人は、たくさんの無名の人の業績を利用していまがあると思えば間違いないです。営業でも、昔在籍していた人の財産を次の人へ手渡している現実を考えるとよくわかります。
坊主の孫。
歴史として残される物や者は幾千のものの中のほんの一部に過ぎないのでしょう。殆どのものが捨てられ忘れられ語られずに消えて行ったのでしょうね。歴史上の人物などがドラマ化されたりしていますが、きっと名も残さず散り果てた多くの犠牲者の上に現在に残ったのでしょう。しかし、これさえ果たしてどこまでが真実なのかは誰にも分かりません。だからこそ、どうにでも脚色出来るのかも知れませんね。
seto
私たちの住んでいるこの土地にも、以前、住んでいた縄文人やアイヌの人たちが埋もれているともいえて、その上に住んでいるのですね。2度言っただけですが、大分の中津市。個の周りには山城の後がとんでもない数が残っています。豪族や藩主たちが水や土地を取り合い、史実には残らない殺し合いがあったと思われますね。日本で一番古い九州ですから、南から(沖縄方面から)玄界灘を超えて朝鮮からたくさんの人が長期にわたって文明文化を運んできたわけで、彼らひとりひとりの名前などないですからね。しかし、彼らがいないと歴史は動きません。後付けで、どんどん歴史は語る人にとって都合のいいような史実に書き換えられます。財務省の改ざんや五輪招致の金配りに似ています。人間の忘却能力を利用して権力は好き放題をしています。怖いことです。