真夏日が少ない札幌だが7月16,17,18,19、20と続いた。北海道はエアコンが家庭内で普及していないので近所のスーパーへ逃げるのが正解だ。図書館なのでは節電で室内温度を20度以上にしていて生暖かい。夕方になると花に水を上げないとかわいそうだ。札幌近郊の恵庭市は午後3時で34度だ。昨日(18日)市立総合体育館で実施した新型コロナワクチン集団接種は朝の8時から午後4時半まで。体育館の中はエアコンを動かしても32度を切らない。高齢者が660人集まったが、この暑さの中、手に手にうちわや扇子を動かして40分から1時間、パイプ椅子に座って接種を受けるのだから暑さ慣れしていない市民には苦行である。それを手伝う私たちも汗まみれ、打ち子も問診の医師も接種券承認スタンプ係もタイムキーパーも同様だ。恵庭・千歳・苫小牧は札幌に比べると夏は5度くらい低いのが通例だ。ことしの恵庭の気温は札幌と同じくらいだ。しかし、夕方になると20度から下がるので過ごしやすい。道東の釧路へ暑さを避けて、本州から短期移住のホテル住まいをする人が多い。15度から25度くらいで推移する町だが霧の発生があるので喉をやられないよう。日本中、どこへ行っても暑い。涼しいのは森林の中だ。エアコンの効いた車や劇場の中。スーパーの中もいいいが座る椅子が少ないのが難だ。暑いと短パンを履いているが、先日、出雲系の神社に短パンで上がると叱られた。「神様の前で肌を露出する服装はタブー」なのだ。でも裸踊りをした神様がいたと思うが、どうなどだろうか?

  1. 少年時代から思春期まで過ごした北陸の蒸し暑さや、夏休みに遊びに行った東京の暑さ、その後大阪で体験した夏日に慣れていた筈の私も夏が快適北海道に移住して2年目に帰省した時は飛行機を降りてリムジンバスで梅田に降り、目と鼻の先の梅田の大阪駅までの連絡歩道橋を歩く間に倒れそうになりましたね。直射日光の強さとアスファルトからの照り返し熱でフラフラになりながらホームに入って来た北陸方面行きキンキンに冷えたクーラー全開の特急列車に乗った瞬間に身体の調子が戻りホッとしました。しかし北陸に降り立った瞬間、慣れていた筈の異常な蒸し暑さに参りました。その頃の北海道はまるでクーラーの中にいるようで快適でしたね。しかし近年の北海道は全国一の高温を記録する事さえありますから、以前に比べて平均気温も上がっているようですね。今年は全国各地や世界各国でも猛暑や集中豪雨による被害が続出しています。異常気象も多いこの頃ですが、地球温暖化の影響でしょうか?或る学者によれば氷河期が来るとも言われていますが?。全国津々浦々クーラー流行りで北海道でもクーラーが増えましたが、直ぐにやり玉に上がるクルマも然ることながらクーラーからの放熱もヒートアイランドの原因では無いのでしょうか。夏涼しく、冬温かい方がありがたいですが、その場合困るのは農業関係かも知れませんね。北海道の本当の真夏日は一週間ほどの筈ですから先ずは我慢ですね。

    • 21日、きょうまであたりが暑さのピークでしょうか?たったいま新千歳空港から戻ってきました。空港内はまだガラガラでした。警備員だけは増えたような気がします。政府専用機が飛んできました。VIPを載せてきたのでしょう。暑さは私は好きでした、理由を考えるともともと高血圧なので暑さで汗が出ると体が楽になるのでした。水は最小限に飲むようにします。飲めば飲むほど汗が吹き出しますから。本州の暑さは昼間以上に、夜も25度を切らず、熱帯夜だということで。エアコンないと気が狂いそうになります。涼しいところへどんどん逃げましょう。地球は寒冷化していると思いますが、温暖化だとすれば二酸化炭素より、地球の基軸の関係だと思います。あんまりみんな温暖化とうるさいので違うだろうと。CO2削減は最初、原子力推進派のゴア大統領候補の不都合な真実から世界的な運動体になりました。きわめて政治的な発想でしたから疑ってみるべきでしょう。

  2. 本州の暑さは「蒸し暑い」ですが、北海道の暑さは「乾いた暑さ」ですね。本州なら汗びっしょりですが北海道の場合はそうでもありません。同じ汗はかきますが日に何度も衣服を着替えるほどではありません。運動量が多くなければ戸外で上衣を着ていても大丈夫なくらいですね。こんな季節は森林や渓谷の中で過ごせたらいいですよね。コロナ禍のお蔭?でリモートワークが浸透して来ましたから、満員電車やバスで都心オフイスへの通勤ではなくて戸外で仕事が出来る環境づくりも必要ですね。

  3. 木漏れ日やせせらぎ、蝉の声など田舎の風景の中での夏は、いくらか涼しかったですね。おまけに、炎天下を隣町まで行く途中にある渓流の冷たい水を両手で汲んで飲んだあの時の美味しさは忘れられませんね。昔はシロモノ家電など皆無でしたから自然の恩恵にあやかった夏でしたね。井戸は冷蔵庫代わりで西瓜をツルベで降ろして冷やしたり、母が水ようかんや寒天のお菓子を冷やして作ってくれたりもしたものです。夏休みには、駅前の友達のお店で、あずきキャンディを一本だけ買ってSLが引く列車で近くの町までお使いに行くのが楽しみでした。涼を求めて毎日のように川遊びでしたね。今なら危険だと、親が許しませんね。

    • 私も少年時代、母の故郷の田舎で夏休みを過ごしていました。鎮守の森や、川に泳ぎに行ったり、夜はホタル狩りにいきました。おばあちゃんがトコロテンをつくってくれました。もちろん井戸水でスイカを冷やして親戚から集まった10人の子供たちで食べました。50年経過して、そのときの子供たちが集まったとき。最初に会話したのが「楽しい少年少女時代の皆、過ごした夏休みの日々でした」。夏の暑さというと後志の小さな函館本線の駅前にある商店の2階で雑魚寝していた思い出です。母の実家でした。

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