hell

「現代は他人の楽しみを邪魔をする楽しみに目覚めた時代」という言葉同様、筆者の胸にストンと落ちた1行が「地獄への道は善意によって舗装されている」。この題名を見て、昔、読んだ中島義道さんの「私の嫌いな10の言葉」を思い出していた。

①相手の気持ちを考えろよ!②ひとりで生きてるんじゃないからな!③おまえのためを思って言ってるんだぞ!④もっと素直になれよ!⑤一度頭を下げれば済むことじゃないか!⑥謝れよ!⑦弁解するな!⑧胸に手を当ててよく考えてみろ!⑨みんなが嫌な気分になるじゃないか!⑩自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!

②の場合を見てみよう。さらに9項目の文章が並んでいる。1 ひとりで生きてるんじゃないから苦しい。2「みんなちがって、みんないい」の嘘 3 子は親に感謝する必要はない 4 感謝アレルギー 5 「優しさの暴力」を振り回す少女あすか 6 NHK『のど自慢』のやりきれない明るさ 7 どうしたらひとりで生きていけるか 8 私の会議嫌悪症 9 インテリ男はなぜセクシーでないか  

気になる人は、本屋で立ち読みをしていただきたい。新潮文庫。

悪意からの発言より(これはわかりやすくて無視できる)善意からの発言が(無思慮な発言が)大きく他人を傷つけたり、言われた人のその後の人生を狂わせる場合がはるかに多い。なぜだろうと考えると、発話者が自分を当事者ではなく第三者の立場から、一般論をクダクダ言う。またはある目的(信者獲得や保険加入目当て、借金目当て)で相手へ同情の言葉を投げかけて、言われたほうが「私の気持ちをわかってくれる、この人!」と思い込み、結果として、新興宗教加入や大きな保険に入ってしまったり、お金を貸してしまう羽目になる。

いっとき流行ったポジティブとかネガティブを連呼する輩と私は付き合わないことにしていたが、会議では誰かがあるタイミングで使用していて、会議でのご法度はネガティブ発言で(おまえ、やる気があるのか)と言われたこともある。とにかくポジティブ信仰に流されていた。特に体育会系のそれゆけどんどんの体質では、太鼓をたたく人々、声が大きい人が集団をリードして、最後は地獄に連れていく。まるで東京五輪開会の直前に次々に発覚すた人選ミスと担当者の辞任だ。善意に舗装されていても(無償ボランティア動員など)、地獄へ進む道もあるのだと思いたい。

  1. 他人に頼り過ぎると自分を信じられなくなって道を外れる事もあるでしょうね。その反対もあるかも知れませんが、先ずは自分自身の考えも大切にしなければいけないでしょうね。他人の話は全く無視するのではなく一応聞くだけ聞いてから判断するなり反論や批判するなりまたは聞き流すなりすればいいのではないでしょうか。進むべき道は凸凹だったり、曲がりくねっていたり、ぬかるみだったりと、必ずしも理想通りでは無いでしょうが、年齢だけは誰もが等しく取る訳ですから、短い道のりを歩くうえで、どう歩くか?どう走るか?人は夫々の方法や考えがあっていいのでしょうね。

    • 年齢を加えても、これでいいのかどうか迷いますね。仕事のやり方から家族関係、近所付き合い、友人との付き合い、世間の向かってる方向への疑念などですが、若いときむしろ迷いがなかったですね。いろんな人生を知ると考え方に迷いが生じます。それが地獄へむかっていないことを祈るだけです。

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