8月3日から3日間の函館ツアー。

誰もいないウィングベイ
おなじみの夜景だがバスで登る
←1901年創業 スキヤキ 阿さ利本店 ランチ1500円
ラッキーピエロ
函館市民が通う塩ラーメン 西園 600円
カトリック元町教会
函館市立博物館 志海苔古銭(しのりこせん)
JRイン函館の玄関に飾られた急行・特急エンブレム
JRイン函館ホテル スカイラウンジから夜景
青函連絡船 摩周丸
  1. 函館へは仕事で駅周辺に行ったのですが、暫く行っていません。摩周丸は懐かしいですね。私も北海道に来た時は青函連絡船でしたし、真冬の暗黒の夜の津軽海峡の船上で両親に手紙を書いて船のポストに投函しました。「札幌に向かっています。落ち着いたら連絡します」と。住まいも仕事も何も決めずに行き当たりばったりでした。何事も相談せずに自分勝手で無謀な行動ばかり何度もしていましたから両親も余り心配しなかったと思います。その数年後も青函連絡船に乗って帰省しました。船上で私がデザインしたパッケージのスープを飲みながら。その後は青函連絡船が無くなって飛行機での帰省もしましたが、船旅が懐かしくて車をフェリーに積んで舞鶴や敦賀や新潟経由で帰省したものです。あの頃は携帯電話も無く船に逃げれば仕事の電話も来ないので落ち着いたものです。

    • 携帯がないというのが味噌ですね。手紙を書くという習慣も年賀状を除けばグーンと減りました。漢字や日本語も忘れていて、大脳が思うような変換をしてくれません。青函連絡船は私もほぼ一人で乗船しました。女性との逃避行なら絵にもなるでしょうが。3等席の雑魚寝スペースが好きでした。食堂やお土産売り場もありましたね。摩周丸に昔の雑魚寝スペース(畳か絨毯)を残していつでもごろんとできるし、甲板も公開してます。当時の船員の服も着て記念写真撮影OK.船に詳しい旧国鉄職員も、質問を待ってます。ぜひみてきてください。そういえばホタルの光を離岸のとき流していましたね。青森から函館に着くと、北島三郎「はるバル来たぜ、函館!」が流れていました。北海道を離れたくて行ったり来たりの20代でした。

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