パチンコ店再訪とチラシづくり。
土曜と日曜は、新型コロナワクチン集団接種業務の手伝い,月曜日は歯科で札幌へ。帰りは知人とおしゃべりした後、駅前の(パチンコひまわり)に寄る。1か月ぶりのパチンコだった.。600円が5500円に化ける。トイレが清潔で天井も高く、換気もよくて筆者お気に入りの場所でカフェより安全だ。パチンコ屋さんは、客の間に厚いシールドが置き、客同士も全く喋らない。大当たりでもすれば隣の客の目玉だけがニョロとこちらに向かってくるが、新型コロナ感染にはパチンコ店ほど安全な場所はない。誤解や偏見は怖い。自分の目で確かめてほしい。
西洋哲学(倫理学)を専攻していたとき、ひねくれ者の私は、大学の授業は受けて勉強するが、試験はボイコットして単位を意図的に落としていたが、さすがに単位不足の度が激しくなり、夏休み特別講義で少し単位を稼ごうかと掲示板を見ると「おっ、倫理学専攻の東大教授が来るわ」どんな授業か聞いてみようと申し込んだ。佐藤俊夫先生であった。開口一番「私、どこの町に降りてもまずパチンコ屋さんに入ります。好きなんです、パチンコが。山本周五郎の世界が好きでね。最近の倫理学は、記号論や記号倫理学になって、論理の真実かどうかを判定することばかりでつまらない」というわけで、庶民の遊びのパチンコを行く先々の街で弾いて、そこに住む市民と対面するらしい。授業の内容は覚えていないが、そういう雑談が面白かった。東京から夏の特別講義に来る教授たちは避暑を兼ねてくるので、リラックして楽しい話をする。哲学者でパリで客死したデカルト学者森有正さんも夏休みによくクラーク会館でパイプオルガンを弾いて遊んでいたと恩師のカンティアンは言っていた。
しかし、これはパチンコで遊ぶ側の話であるが、パチンコのチラシを1枚つくる大変さの話をしよう。広告代理店が新装開店や改装オープンチラシを作成するわけだが、チラシで大事なのは、いつどういう機種が何台入るかということ。またパチンコメーカーから新台の写真を借りないといけない。パチンコメーカーと店の間で力関係もあって、評判の台もあの店に20台入れても、あそこは入れないとか厳しい基準がある(経営が北系か南系かもある)チラシは閉店後(午後9時から10時)に代理店の営業マンと店側の宣伝担当で始まる。他店はライバルなので、いつ、どの機種になるのか秘密にして作業を進める。作成するデザイン事務所も仕事開始に備えて待機する。深夜作業に必ずなるので朝まで仕事ができない事務所はパチンコデザインの仕事は受注できない。何度か校正を繰り返して、印刷会社へ送り、次は新聞オリコミの媒体と部数選択がある(新聞が読まれない現在はスマホで伝えているか店のポスター掲示だ)。パチンこ店は多店舗展開しているから、毎日毎日、夜中の仕事をするデザイン事務所には簡易寝台が置かれていたのを思い出した。この件に関してはまだ面白い話があるので次回に書きます。
ちなみにパチンコひまわりは、博報堂が受託していた。ベガスベガスは東急エージエンシー、イーグルグループは電通だ。ネット時代では昔のような過酷な労働ではないだろうとは思う。
パチンコに連想したあれこれの話であった。「パチンコ」とそのものずばりの小説もある。ブログにも書いた。
昔の少年。
パチンコは20歳位以降は殆どしないですね。今ではすっかり変わっているのでしょうね。機械の騒音とタバコの煙ばかりが印象に残っていますが。近所の大手パチンコ店の駐車場は平日もほぼ満杯です。毎日よくもそんなにお金が続くものだと感心します。最近ではTVーCMも頻繁に入っていて、少年野球をバックアップしたりと地域貢献をもうたっていますね。勝つ人が居れば必ず負ける人が居て成り立つギャンブル性の高い業種ですね。コロナ禍で不景気な筈ですが、どこ吹く風のように今朝も沢山の人達が車で集まってきていました。
seto
人数は少なくなったとはいえ。根強いパチンコ。私は長年、パチンコしてまず総決算で大赤字でした。計算していたらバクチはたぶんできません。賭博は最後は負けることになっています。フランスの数学者ポアンカレの言葉です。昔あった煙はないし、静かな空間です。フィーバーするときは音声大きくなりますが、賢い人は耳栓をしています。昔から見たら、店は半分以下になってます。パチンコ屋さんの近くに消費者金融ATMが設置されていました。利用する人はそこへ向かっていきました。気になるのは客層で女性と老人が増えています。パチンコ経営も相当に厳しいと思います。宣伝もおとなしくなりました。
広告マン。
大手広告代理店は、昔は鼻も引っかけなかった業種ですが、今や大手パチンコ店にはほとんど大手広告代理店が刺さっていますね。今でも多少は厳しい制作環境なのでしょうが、働き方改革とかで定時で帰る人たちにはムリな仕事なのでしょうね。多分推測ですが、下請け会社に厳しい制作作業を丸投げして居るのではないでしょうか。自社で抱え込めば自殺者が出て過労死問題になりそうですからね。私の知っている或るパチンコ店専属のプロダクションの一つですが、内情は詳しくは知りませんが、写真スタジオでアシスタントをしていたよく働く気立ての良い北系の若い女性が急に退職したかと思えば立派な建物のプロダクションを立ち上げました。実は太いパイプがあったようですが。あれには驚くとともに意外なバイタリティに感心したものです。他にもパチンコ系専属の制作会社はいろいいろありますね。
seto
パチンコ店専属の広告会社って、いい時期は経営安定しますが、それ以外の業種の仕事ができない体質になってしまうと危機です。楽すれば苦ありというか、興隆(繁栄)の原因と没落(売上激減)の原因は同じですからね。それによって地場の広告会社がたくさん倒産して業界がテンヤワンヤになったことは記憶していると思います。たくぎんの倒産も引き金でした。企業の立ち上げはバックの資本家の存在の有無が大きいですね。それと仕事先が確約されているケースです。ゼロから起業は若ければいいのでしょうがむつかしい時代です。
仲良しクラブ。
昔、休日は毎回ゴルフを。平日は毎晩麻雀を、と言ってもヤクザ麻雀とも言われる三万です。4~5人で負ければ抜けて次の空きを待つのですが、運よく入れたとしてもまた負ければ火のクルマです。そんな弱い自分ですが、いつもとんでもない手を考えて居ますから尚さら中々上がれません。負のスパイラルと言うやつですね。しかしいつか凄い手で出し抜いた事が数回ありましたね。ギャンブルはそんないい時の事を忘れられずのめり込んでしまいます。そんな仲間たちにもパチンコ狂と競馬狂が居ました。大穴当てた話とフィーバーの話ばかり聴かされました。あの時のゴルフや麻雀仲間も今では三々五々、夫々真面目に生きているようです。
seto
私もパチンコにはまった原因が500円が7万円になってからでした。大脳に焼き付けられてしまい、あの夢をもう一度となるわけです。マージャンは遊びマージャンばかりでしたので被害はありません。ポーカーも遊び。徹夜で遊び惚けました、懐かしい青春です。