伝説の営業マンやウーマンについて
伝説の営業マンやウーマンについて
ある人から、こんな営業マンがいるよと教えてくれた。外資の生命保険の営業でトップを走り続けた甲州何某という男である。初めて聞いた名前だ。私も組合運動に疲れて会社を辞めた後、生保に転職して10か月在籍したことがある。35年前だから、公的年金は危ないから、個人で終身年金を書ける時代ですよとセールスした。その会社にも伝説のトップレディーがいて、彼女の数字の挙げ方を上司はよく話していた。たとえば企業の社長や総務部長の出るゴルフの付き合いは、プレーはできなくてもおにぎりを持参するとか、誕生日にはケーキを送るとかする。そうすれば、新入社員が入れば一番に紹介してくれるとも言っていた。さらに生保加入者を紹介してくれれば、誰よりもキックバックを多くするとか、ほとんど個人商店経営のノウハウである。噂としてではあるが、当時の支店長と裏でデキテイルので、支店長の人間関係から数字をもらっているはずだと同じ生保の営業から聞いたこともある。伝説は後で作られるもので、内実はドロドロであった。泥の沼に咲くハスの華が数字で、キツイ人間関係、同僚からの強いやっかみに堪えながら日々を生きているのが実態だ。芸能界やスポーツも政治もマスコミ社内も、おしなべてサピエンスが生息しているところには似た現象がある。伝説は、実態から離れて語られるから、美化または醜くされて伝わるので自分で調べないといけない。噂はすべてそうだと思えば、間違いない。自分の五感を大事にしないととんでもないところに連れていかれるから要注意だ。単なる営業マンとウーマンが日々上がったり下がったりして漂っていると、私の経験から言えるかもしれない。
広告マン。
トップセールスには独自の得意技がありますね。たとえば、以前在籍した大手広告代理店で何故か北海道に暫く在籍した新人が居ました。当時の支店長と同郷で、大学卒業後ブラブラしていたところを引っ張られたようです。制作部の私の横に座って真似事をしていましたが、冬の凍結路で転倒して治療の為四国に帰郷。下宿の荷物一切は私が返送。暫くして回復後今度は大阪本社勤務で新聞社通いの「坊や」をしていました。そんなのんびり屋の彼が営業に出て突然、ベテランを差し置いて大手クライアントを上げて来ました。余りに大きなレギュラーでしたからスピード昇格。局長にまで出世しました。しかし相変わらず社内評価はDランクでした。それと言うのも、いつ尋ねても殆ど社内には居ませんでした。彼の営業流儀は他の者とは変わっていて、面白い性格を生かして先方に大変気に入られていたのです。無理難題を押し付けられてもまるで「一休さん」のようにのらりくらりと交わして丸くまとめてしまう特技の持ち主でした。私の横で制作の真似事をしていた昔からは想像もつかない変貌ぶりでした。それも、きっと元々持ち合わせていた性格が活かされたのだと思いますね。
seto
性格だけはなかなか努力だけでは身につかないものですね。よくわかります。特に広告業界はこちらもそうですが、宣伝担当者も変わり者が多くて、ピッタシお互い合えば仕事にもつながるんでしょうね。私は製薬メーカー得意でしたが、薬の名前を事前に覚えていかにも薬に詳しい態度をつくりました。宣伝費は本社が握っているから、販売促進費(医者への謝礼を含めて)をたっぷり持っていたので、講演会や医者への謝礼支払いの隠れものになってましたよ。ずるいですね。一休さん、いまならノートパソコン1台で仕事をして成果をだしていたかもしれませんんが、その人のキャラはやっぱり顔つき合わせないと、味が出ません。
BMWオーナー。
昔、昔、或る街のベンツの某ディーラーに、トップセールスと言われた人物がいたそうな。彼は、毎朝誰よりも早く出社してデスクワークを片づけて、同僚皆んなが出社する頃には、既にふっとオフイスから居なくなっているそうな。オフイスに戻るのは毎日夕方遅い時間だったそうな。彼を知る外部の人たちは彼がベンツを売っている姿は見た事がなかったそうな。しかも他のディーラーの営業マンとも仲良く会話していたり、全く別のハウスメーカーの営業マンとも親しく話していたりと、ライバルと思われる業種とも、また全く関係の無い業界の営業マンとも交流していたそうな。彼の流儀は業種は違っても同じ営業職の人たちから様々な情報を得てその要望をかなえてあげる事だそうな。例えば、家が欲しい人が居ると知れば、知り合いのハウスメーカーの営業マンに伝え、国産車が欲しい人が居れば、国産車ディーラーの営業マンに教えたりしたそうな。もちろん、彼に好意をを持った他社、他業界の営業マンからはベンツの購入希望者の情報もいただいていたそうな。社内の先輩や同僚と呑むわけでも無く、社外の同じ営業職の人たちとのネットワークに目を向けていた彼の伝説は、今やクルマ業界の人たちのバイブルにさえなって居るそうな。
seto
その人の生き方、なんとなくわかりますが真似はできません。異業種の営業マンに情報出して、つないで、次に情報をもらい輪をつくっていったんですね。ベンツを買える人だからほかの高額商品購入者と重なるからギブ&テイクのいい関係をきづけた。私ももっと早くそれに気づけばよかったと思いますが、何せ、毎日の暮らしに精一杯、余裕なかったですね。きついネットワークはお互い縛り合うので緩いのがいいです。相手の希望や要望をこまめに聞き出す能力、困ったことがあればあの人に聞いてみる人間になりたいもです。昔、製薬メーカーのプロパーは医者及び奥様の要望をなんでも聞いて実現させました。知らないことはないくらいすごかったらしい。
昔の少年。
保険の外交員のオバちゃん(お姉さん)はきめ細かいサービスで顧客サービスをしていますが、聞いた話では、花や飴玉などご自分で調達しているようですね。大手の〇〇支部などと名刺にはありますが、オフイスは会議室に会議テーブルが置かれているだけでパートのような扱いみたいですね。そんなオバちゃんに満期返戻金を騙し取られそうになりました。知らぬ間に駅北口の銀行に自分名義の口座が作られていたのです。銀行からの問い合わせで発覚しました。スーパーセールスのやり口もいろいろです。会社に苦情を言っても取り合ってもらえませんでした。オバちゃんたちは、つまり外注先扱いで、会社の知らぬところで勝手にやったと。そのオバちゃんは或る意味伝説の詐欺師でした。二度とそのオバちゃんはもちろん。保険会社とも絶縁ですね。
seto
発見してよかったですね。私は6か月生保に在籍したことがあります。電話も10円玉で使わないとかけられません。カレンダーも飴も全部自腹ですから、保険契約を結ばないと赤字続きになります。それで出入り多いわけです。銀行が見つけてくれてよかった。ああいうおばちゃんおおかげで駅前に生保のビルが建つわけです。毎月、自動的に引き落とされて、妻は生保のビルに置かれた椅子をもって、この椅子や柱は我が家の保険金で作られたと言ってましたね。月に4万弱払い続けて30年ですから。