久しぶりの知人とのご対面。

9月16日、札幌時計台横にあるテラスで1か月ぶりの対話を。お互い、テーマを持って会うようにしているから、ひらめき脳が化学反応が起こして連想が広がる楽しい時間。手帳にメモをしながら過ごした1時間半。心地よい風が吹き抜ける。11時と12時に時計台の鐘が鳴る。手帳メモから。
1)20世紀後半で哲学的な意味で一番の貢献は、無料ソフトの人類への提供だと自分は思うと彼は言う。私は紀伊国屋札幌店で思想や哲学の動向を調べに行くのだが、コロナ時代の哲学の本が増えてきている話をしたら、メールの出現や、インターネツトが人々の暮らしや経済を変えた話をしていた。高校生からコンピューターをいじって45年の彼は、マイコン時代の創成期から寄り添っていたので、現代人が「無料で」使えるということについて、「感謝」の気持ちをもって使っているだろうか?と。月800円の話すだけのドコモのガラケイで生きている。自宅には大型のパソコンが置いてあるはずだ(見たことはないが)。
2)哲学者が現代の新型コロナとこれからの人類の生き方について思索を深めている。哲学だけではなくて、社会学や心理学、免疫学や医学、経済学や政治学でも新型コロナを抜きには語れない。未来をある日のディストピア(暗黒)と描く人が多い思想家のなか、あえて楽観を述べる人もいる。「世界共和国」に近くなるのだと。どこの町もどこの国も新型コロナウィルスが「自分だけ安全はない」ので、国同士も主権を捨てないと共通の新型コロナ対策はできないという思想家もいる。「国連」の発足時にもあった議論だ。
3)私が28歳のとき、自分がフリーの営業マンになる理想を語ったらしくて、「あのときその事業を始めていたらきっと蔵が立ったね」と笑いあった。成功していればの話だが。あらゆる業界とジャンルを横断して、ものを売る、サービスを提供する、アイディアを実現化する、若さゆえ妙な自信があったんだね。そんな話をよく覚えていてくれていたものだ。
4)とりあえず、自宅は出たけれど、外で引きこもってる会社員の多さについて語り合った。二人ともスマホはしないので特に、目立つ。スウエーデンの精神科医が書いた「スマホ脳」を立ち読みしてきたが、知らずに手元にスマホを置き、パソコンしながらも時々目をやり、ある人で6時間も7時間も付き合っていると聞く。娘にメールを入れると数秒で返信がくる。横に置いて絵文字1点でも返信してくる。
5)地域の子供たちの話。彼は札幌のマンションに住んでいる。以前は広いお寺で地域のたくさんの子供たちが遊びに来ていた。幼稚園が少なかった時代なので、札幌市は各地の市民公園で「なかよし子供館」を週に何度か開いてくれた。無料である。遊びや踊りをお姉さんと遊んだり、お母さん方の地域情報交換の場であった。飛沫感染を防ぐ意味で、こういう集団での遊びは遠くなった。あのころ働くお母さんは少なかったし、あちこちの他人の子供へも干渉できた。
まだ、監視社会や中国の未来についても話をし合った。おいおいそれはブログでまとめていくつもりだ。ギリシャの人の価値観について私は勝手にしゃべった。(ギリシャ人は古来、自由を何より重視して、絶対に人と同じことを言わない、同じことをしないで生きてきた。)
(わたしたちのギリシャは民主主義という現代の政治原理のもとも、現代科学技術のもとも、みんなつくった。しかし、つくった光り輝くものをすべて【ヨーロッパ、西洋】に差し上げてしまって、自分たちは空っぽ、真っ暗、何にもない,、おくれた、貧しい国になった」(アテナのタクシー運転手)
ギリシャの話は「黒いアテナ」藤原書店(上)35p

昔の少年。
コロナ禍で、以前のように会って話す機会が少なくなりましたね。特に身近で感染者が出たので尚更臆病になっています。子供たちも外で遊ばなくなりました。古いスマホのシムカードの無いもので無線LANを使ってLINE動画で友達とやり取りしています。男の子は本格的なオンラインゲームなどで友達と交流。時には外国や本州の仲間たちとも。もはやそんな時代です。コロナ禍が終息しなければ,ますますオンラインやリモートワークが本流になると思います。むしろ、そうなれば不登校や引きこもりへの差別的な扱いも無くなるかもしれませんね。コロナ禍が負の副産物ばかりでなく、プラス要素も生み出すのでは無いかとも考えます。我々高齢者は時代に取り残され始めて来た感は否めませんね。孫たちから習う事も多くなりましたよ。
seto
いまワクチン接種会場から戻って夕食を食べ終わったところです。きょうは40代の1回目に突入して基礎疾患ある人も対象。体調不良がたくさん出ました。午後からだけで800人へ接種。ほんとうに静かな会場で、人と人、夫婦でさえ話をしあう人はめったにいません。人間関係もコロナで変わりますね。お手伝いの私が一番うるさい存在かもしれません。小4の孫もタブレット授業を選択すればできますからね。親が選べるように配慮しているのですね。私なんかオンラインは耐えられない授業ですね。
広告マン。
かつて喫茶店は安らぐ場所でした。今では一部の大手フランチャイズ店以外では少なくなりましたね。都心のテナント料の高騰で単価の低いコーヒーだけでは採算面で無理があり撤退する所が多いため街の一昔前の喫茶店は見かけなくなりましたね。ですから高級店だけになりました。クルマで移動する私は街中は避けて郊外の大型店の駐車場の無料有る施設の館内店を利用することが多くなりました。しかしこれもコロナ禍で利用が減っています。アクリル板越しの会話は耳の遠くなった我々には居心地も悪いですね。やはりリモートでしょうか。若い頃ならまだしも老けた面を見せたく無い事もあり複雑ですね。
seto
老けた者同士ということで喫茶店を利用しています。ある女性から「喫茶店って何?」と聞かれたことがあります。説明すると「それってカフェのことでしょう」とまぜっかえされました。喫茶店という日本語もいずれ死語になるのでしょうか。なんとか存続してほしいです。スタバは妙に仕事をしている人がおおいです。仕事かプライベートか確認はしていませんが(笑い)一人の世界に籠ってます。これってカフェでの引きこもりとおんなじですが寝るのには不自由空間。喫茶店では営業の人たちたくさん寝ていました。いびきをかいていたのもいます。前日、飲み過ぎでしょうか。昭和の匂いがします。