人類が60分の戦争(量子エネルギー兵器の使用)で荒廃し、生き残った人々はキャタピラの上に町を作り移動都市で生きる。中でも巨大都市「ロンドン」と呼ばれる街があり、小さな移動都市を飲み込んで資源や塩などを捕獲して市民を養わないといけない。移動する都市があると思えば、反移動都市連盟もある。静止都市である。巨大な中国の三峡ダム(万里の長城)のような壁に守られた静止都市「ジャングオ」。この町の統領はどうもチベットのダライラマに似ている。ロンドンは量子エネルギー武器でその壁を壊して、静止都市に侵入してエネルギーや食糧を奪わなければ生きていけない。その兵器の使用を止めるため奮闘する母親を殺された女主人公。昨日の投稿ブログの延長でいえば映画では、ローテク部品が活躍する。古代技術と訳されていた。

偶然見つけたDVD「移動都市 モータルエンジン」であった。始まりは巨大キャタピラが都市全体を動かすシーンで小さな採掘資源都市が捕獲されないよう逃げる場面は圧巻の撮影であった。詳しいい映画の展開はどうぞご覧ください。きょうのブログのテーマは映画に触発されて「移動」について。

札幌の街から中国語とハングルが消えて久しい。観光客が移動してきてあらゆる場所にお金を落してきた経済が2020年2月のさっぽろ雪まつりを境に消失した。移動する自由は政治形態の如何を問わず、間接的な民間外交の役割をしている。浮遊する自由だ。しかし、国同士でウィルス伝染を防ぐために国境閉鎖されると移動とはいえ、狭い空間に閉じこもるしかない。そこで感じる不自由感は子供から大人まで圧迫感として心身を痛めつける。それほど空気のように感じていた『移動の自由』を失うと、車で郊外に飛ばす、キャンプ場へ子供を連れていく。公園を歩きまわる。イタリアでは自宅から出ることさえおぼつかない時期もあった。移動の極致である『観光』が一瞬、世界中から消えてしまった。すべて静止国家になってしまった。閉鎖国家、鎖国状態に陥った。移動の自由を失う場所は刑務所だから、社会が刑務所化しているということでもある。『モータルエンジン』でロンドンに住む市民が、捕獲を目指す小さな移動都市を追いかけることに熱狂する場面があって気持ち悪かった。食べ物だけ与えられる囚人、それが市民であった。

もともとじっとしているのが苦手な私なので、移動する自由は、思考の自由を大幅に制限する。息苦しくてたまらないから、札幌でどんな発令が出ようと私は守らなかった。観光客のような態度で行き来をしてきた。自由に呼吸をするために。

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。