1)とにかく雪が多い。現在、筆者の住む町は60センチ。新千歳空港も1月1日は閉鎖状態、除雪のためだ。冬の北海道往復は余裕をもって行き来しないと大変だ。「マイ箸」を持とうと、割り箸を減らす運動があったときに大阪から事務局長を1月に呼んで講演会をしたことがある。しかし、大阪便が新千歳まで来て引き返したという、雪のためだ。ホテル内に300席用意してテレビ局もスタンバイ。困ったどうしようと副事務局長に相談した。彼は会場準備にために、局長より1便早い便で札幌に来たのである。「私、講演できますよ」と。「助かった」。来場者に記念のマイハシをプレゼントして無事に終わった。夜のテレビニュースでも講演会の模様が流されていた。「自然は、人間の都合なんて一切聞かないし、関心もない」。

2)図書館のボランティアを始めることにして、1月7日新年会。自己紹介をしてペットボトルで乾杯。隣の男性と話すと、なんと元名古屋のラジオ局のアナウンサーだった。奥様が札幌出身で定年後は札幌に戻りたいということでついてきたとのこと。中日ドラゴンズの谷木という選手(北海高校が選抜で順優勝したとき活躍した)がススキノでおでん屋をしていた話にもうなづく。たくさんの人とインタビューもしてきたとのこと。私も10か月間、愛知県岡崎市に住んでいたこともあるので、八丁味噌の美味しい食べ方など聞いてみようと思う。話してみるとほんと世間は狭い。毎週火曜日午前10時から。なんの拘束もない不思議な団体だ。連絡網もない。年2回本のフリーマーケットを開けることを願いながら。

3)自宅前を除雪していたら、新聞を抱えて歩くおじさんが来た。「明けましておめでとうございます」とあいさつして世間話。「雪がひどいですね」と言うと「初めての冬なんですよ。昨年6月、移住してきたんです。娘夫婦が北海道に住みたいというので、妻を亡くしているので、私も住むことになったと」東京練馬からの移住だ。人口3人増加だ。苫小牧でホッキ貝を食べたし、支笏湖にも行った。北海道は広いからたくさんドライブをして楽しむ。近くに老人憩いの家があるので、そこに顔を出してマージャン仲間を探すと言う75歳であった。「お手伝いできることがあったらいつでもどうぞ」と別れた。

4)1月7日、首都圏の積雪。川崎在住の兄へ様子を聞くと「2日間、家の中。寒いので終日暖房エアコンかけている。積雪量は少ない」。窓が二重か複層ガラスになっているか、建物の壁に厚い断熱材を入れてないと寒冷地では暮らせない。22歳から大阪、仙台、川崎、北見、川崎、名古屋、川崎と転勤し続けても札幌育ちながら冬は大丈夫と思ったが、「もう冬の北海道へは戻りたくない」と正直だ。冬の北海道の室内は灯油やオール電化住宅で床暖房もあって温かい(というより暑いくらいだ)

  1. 北陸の豪雪地帯に高校までいた経験で雪は半ば常識ですが、北海道の雪は軽く除雪作業も楽です。昨日も庭の雪を出して機械で積み上げました。火曜日には契約先の排雪業者さんがダンプとショベルローダでやってきますから今日も朝の数時間は除雪です。確かに疲れはしますが運転不足の冬には最適の運動ですね。

    • 私も昨日、神社の排雪を手伝いましたが、両腕の筋肉量が激減していて雪の塊がスコップに乗せても遠くまで飛ばせません。さらに除雪に行くまでの時間が長くなりました。若いときは積雪あれば「さア、行くぞ」でしたし、サラリーマン時代は妻の仕事でもありましたから。しかし、きょうも連日、真っ青な空です。春や夏が近いことを感じて嬉しい。ひな祭りも近づいてきて桜餅が食べたくなりました。晴天続くと文章もウキウキします。昨日、ユーチュブで「武満徹さん追悼番組」2時間見てました。泣いてしまいました。高校を中退して独学で作曲を学んで世界一の現代音楽家になった武満。世界中のメディアがその死を大きく取り上げているのに、冷たい母国のメディア報道でしたね。「小さい空」という合唱も自分の少年時代を思い出して泣いてしまいました。「に身の盆」や「夢千代日記」も武満でしたね。65歳で亡くなって、惜しい。

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