ツァイガルニク効果という言葉を知りました。心理学の用語のようですが、
「人は中途半端で終わったことをよく覚えている」というものです。
特に期待値の大きかったものほど忘れないのだとか。

例えばウェイターは出してしまった注文はその場で忘れて、
まだ出してない注文のことは忘れない。文字探しゲームで実験すると、
できなかった問題のほうをよく覚えている、などがこの効果の例です。
仕事面では大切な心構えですが、あまりとらわれてしまうとまずいような気がします。

特に高齢者は、長い人生でうまく行ったことの何倍も、失敗や途中で断念した経験を持ってます。
意中の人と結ばれなかった、仕事が思い通りにいかなかった、
若い頃の夢は達成できそうもないとか、言い出したらきりがありませんが、
他方でそれらを手に入れた人もいるのですから、
自分の人生はなんだったんだなどと考えてしまうかもしれません。

ところが、こういう人に話をよく聞くと、かつて大きな事業に参画していたり、
人助けをしたりと、十分価値のあることをしているのですが
「そんなこともあったねえ。でも、あれはみんなの協力でできたことだから」
などと、あっさりしています。大事なことでも、成し遂げてしまったことは、あまり重視していない傾向はあるようです。

だから高齢者は何か不満を感じても、それはツァイガルニク効果に過ぎないと割り切って、
昔の自慢話をしているほうがずっと健康的です。年寄りの昔話も、若い人全てに嫌われるわけではなく、
参考になっていることも少なくありません。
年寄りは大いに語り、若い人が自由に聞いたり無視すればいいだけではないかと思います。



  1. 確かに失敗例や失恋など数々ありますね。考えていれば、上手く運んだ事も数多くあった筈ですが、すべては覚えていませんね。
    失敗は成功の元と言うように成功の裏には失敗が沢山あったのでしょう。むしろ成功例よりも、その失敗の余りにも多さの一部が何時までも記憶に残されているのでしょうね。成功が1とすれば失敗が10かも知れませんね。

    • 記憶の不思議さというかなぜ成功より失敗がいつまでも残っているんでしょう?自慢話より失敗談が面白いと私のブログを読んだ人から言われたことがあります。失敗談を話し出すと止まりません。小学校から始まります。幼稚園の退園もありました。その失敗の上で生きてきたんですね。身近な亡くなった人のおかげで今の私が生きているようなものかもしれません。失敗と死者と似たところあるかもしれません。

  2. 考え抜いて努力して事が完了したら、その場ではホッとして自分をほめて見たりもするでしょうが、次の事を考えだせば、また同じ努力や考える作業に頭脳も切り替わるのでしょう。成功前例は何かのヒントになったりもしているのでしょうが、無意識に都合よい情報はストックしたり、余計な情報は忘れたりと脳が勝手に整理してくれるのでしょうね。脳の働きも訓練によっては、人それぞれ違いが出るのでしょう。

    • 脳のはたらきも自分の意思で左右できる部分は少なくて、自動機械みたく動くことが多いかもしれません。家庭内のDVとか「性暴力)の本を読むと、被害時の記憶がフラッシュバックして、忘れたくても忘れられず、その後の人生が一変する告白を読みました。読売新聞社会部編集でしたが。夫からのDVを逃れるため札幌にわたってくるシングルマザーもたくさんいます。男を見るだけで恐怖を感じる女性もいます。ツァイガルニック効果と関係ない話ですが。

  3. 確かに高齢者の体験談は、内容にもよりけりですが、若い世代にとって役立つかも知れません。時代がすっかり変わってしまい、そのまま通用するなんて事は無いでしょうが、少しでも参考になればいいですね。PCやスマホが普及している今、記憶をたどって記録してデータにしてどこかに保存すればいいかも知れません。脚色した自慢話ばかりにはなりそうですが。

    • 自慢話に脚色はつきもの。高齢者の話す熱意で若い人の聞く姿勢は変わると思いますよ。原爆や戦争体験を高校でされているのを見たことありますが、深い印象を残しています。一つ二つの言葉が次世代に残ればいいですよ。老人は若い人たちに席を譲らないといけません。老人たちがやり残したことも同時に若者に語れますね。

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