鬱にならないためのジャマイカ療法について
以前、『ノイローゼという言葉が懐かしい』ということを書いたが、筆者が何度か企画実施した『うつ病』や『パニック障害』『不眠症』『社会不安障害』をテーマにした講演会で、講師の人から賜った『うつ』にならないおまじないの言葉があったので紹介します。ジャマイカ療法といいます。この言葉を唱えるといいのですよと参加者を前に申しておりました。『じゃ まあ いいか』ですね。
筆者もパニック障害があるのでわかりますが、気持ちの病気に入るとまず余裕がなくなります。自律神経ばかりが興奮してリラックスからどんどん遠ざかります。そこで天下の宝刀『じゃ まあ いいか』を唱えて、答えの出ない考えにピリオド。テキトーなところで別なことをしたり、関心を変えるです。
どつぼに入って出られなくなる(パニック障害は10分くらいでピークがきます)前に、逃げを打つ。毎週毎週、数字と利益に30年追いかけられていると持病のパニック再来になります、真剣に向き合うと。そこをテキトーにごまかす、あっち向いて空を見るですかね。そういう思考の癖が病気にならない、病気をみずから招かない知恵ではないでしょうか?経験的にそう思います。
世の中は、成果を出してビジネスや投資で大儲けの本や講演会で満ち溢れていますが、普通の暮らしが安定的にできる(したい)人が大半ではないでしょうか?なぜメディアは煽るのでしょうか?経営者向けのプレジデントなどはいつも信長や秀吉や家康の特集したり、企業トップのインタビュー記事ばかり。たぶん未読ながら、東芝の代々の社長も粉飾決算を続けたりしつつ語っていたと思います。いい加減なのは企業のトップの方かもしれません。病気になりにくい経営者はすでに『ジャマイカ療法』を実践していたのかもしれません。
広告マン。
その時の状況次第で鬱などの精神障害は誰にでも起こります。考え込めば考え込むほど悪化しますね。眠れない夜も辛いですね。生活のサイクルが狂い出せば尚更悪化します。そこまで行かない為にも適度に身体を動かしてストレスを溜めず、精神を楽天的にコントロールする事でしょうね。じっと考え込めば悪い方向に行きがちですから、まったく別の事などで上手に気分転換するのが一番でしょうね。
seto
考える習慣のある人ならだれでも鬱になりえますね。「鬱」という漢字は五木寛之さんの本に「エネルギーがたくさんある鬱蒼とした叢林」という意味もあってプラスの意味も書いていました。次に動き出すステップだと思えば希望が持てますが、雇用や社会の人間関係、経営者なら売り上げ・支払い、家庭ならモラハラ、子供なら学校でのイジメ。予防は太陽に当たること、体を動かすですかね。ジャマイカ療法を教えてくれた助教授も教授選挙に負けて、鬱的なうつろな人になりました。部屋に遊びに行ったのですが「何しにきた」という顔をされました。「あの講演会のまたお願いに」と言って、書類を置いて帰ってきました。精神科医も罹患する鬱でした。
昔の少年。
忘却は忘れ去ることなり。ですね。悪い事は忘れて、別の思考回路にチェンジ出来れば良い訳ですね。しかし最近では勝手に回路チェンジして、ついさっきまで考えていた事すら忘れてしまいます。鬱などには良い兆候かも知れませんが、高齢者には果たして?。
seto
忘れないと、次の新しいことが入りませんからね。情報感度をあげていくためにいろいろ勉強をしていますが、古代の採集生活では働く時間3時間、あとはゴロゴロ。理想的ですね。農業と定住生活始まると、労働の奴隷始まります。天気なので窓ガラス吹きでもします。仏陀とかイエスとかマホメットって、うつ病には無縁の人たちなのかな?孔子や孟子なども?中村元さんの「仏陀」の講和をユーチューブで聞いていますが、悩みはあるでしょうが、どうでしょうかね。イエスもうつ病で「死にたくなる」なんてSFドラマをつくれそうですよ。茶化し過ぎで非難されそうですが。