シャーロックホームズの部屋と北海道のオーク材
イギリス・グラナダテレビ制作のジエレミー・ブレッド(1995年61歳で死去)主演の「シャーロック・ホームズ」は、何回見ても飽きない。NHKは何回でも放送してくれる。
ストーリもそうだけど、その美術や装飾、時代考証や中流階層の暮らし再現が素晴らしい。そこに置かれた家具を見ても本物の作り物感があって(おかしな表現だけど)金をかけてるなあと感心する。黒澤明も映画撮影で、実際には映らない箇所でも綿密に物づくりをして、映画製作予算をオーバーしたといわれている。これぞ本物というものは何か違うのだ。
蛇足ながら、彼の「まあだだよ」という映画で、明治時代のスーツを制作したイージーオーダー店は、A体B体の何番を何着ではなく、着る人一人ひとり採寸して作ったとメーカーの店長は言っていた。ホームズの物語でも、室内犯罪の場合、すべてを私たち家具は事件を見ていますよ・・といわんばかりの存在感だ。
話が変わって明治の北海道。原生林で覆われて、カシワ、ミズナラなど大木が生い茂っていたころ。開拓民は大木を切るのが面倒で根元に小枝を置いて火を放ち、焼いてから切ると乾燥して根っこを切りやすいとのことで、膨大な樹木が切られた。カシワやミズナラは調べてみると、馬橇(ばそり)の材料や炭の燃料、石炭を運ぶため鉄道の枕木に使用されていたが(ガーデニングでも頻繁に廃材の枕木が使われる)ウィスキーやワインの樽材として輸出されもした。先日、見学した余市のニッカ工場のウイスキーを熟成する樽材はアメリカから輸入するホワイトオークということだ。
特に北海道のミズナラはジャパニーズオークとして、今なら「クールジャパン」と称される品質であった。ジャパニーズオークのミズナラは家具としても加工されて椅子やテーブル、棚などあらゆる場面で使われた。固い木でもあるから、湿気や温度変化にも強く狂いが少なく長持ちする。だから、ホームズのドラマにひょっとして北海道産のオーク材で造られた家具が使われている可能性もあるかもね。たとえ使われていなくても、英国貴族の館に鎮座して、また彼らが日常使用していた家具たちが100年以上経過しても輝きを失わず、オークの傷でも新品な家具にはない歴史や時間や人の匂い、紅茶をこぼした跡をさえ見せてくれる。若い人たちは、できるだけ広い空間を確保するため、賢い収納法として壁や床や天井に収納を作ってスペースを広くするのが流行だ。
しかし、一方でベーカー街221Bのハドソン夫人のアパートへ住むシャーロックホームズの部屋。オーク材とニスの匂い、化学実験設備、葉巻の匂い、ヴァイオリンの音のしそうな空間に身を置くのも、新しいアイディアを生んだり、歴史を反芻するには最適な環境かもしれない。その一助に、北海度のオーク材がたくさん使用されたと想像するのは楽しいことである。犯罪の行われた貴族の館であってもね。
そうした骨董が最近、どんどん日本に戻ってきてもいる。定期的にイギリスへ渡り、買い付けをして、家具やアクセサリーをその物語とともに運んでくる希少な人物に先日会ってきたら、やはり「シャーロックホームズ」が大好きであって、意気投合した。
余談ながら、実はシャーロックホームズは時々阿片を吸いに怪しげな場所へ通う。コカイン中毒とも言われて、ベーカー街のオフィースでも吸引していた。事件のない退屈な日々には、特に吸うことが多かったとも。NHKでの放映ではこの部分がカットされているとのことだ。
坊主の孫。
相田みつおの『人間だもの』では無いですが、時代のヒーローたちも実は人間なんですね。表には出て来ない裏話は沢山あるのでしょう。北海道は手付かずの原生林地帯が多く良質な木材がたくさん有りますから昔から輸出が盛んだったのでしょうね。残念なのは原材料が優秀なだけに、林業も漁業も加工技術に力を入れていなかったので外国や本州にお株を取られたのでしょう。そんな良質な木材に目をつけた英国人も凄いですね。
seto
小樽や函館からイギリスへ運んでいたみたいです。ウィスキーの樽材でも利用されて、余市にきたのも泥炭だけではなくて樽材の存在が大きかったかもしれません。「マッサン」では省かれていたと思う木材の話です。、米にしても余剰米を新潟みたく菓子類へ転換もできたはずだし。しかし、近年はアンコや土産物。ケーキなどで食べ物つくり盛んになりましたよ。メンタイコは福岡名物ですがね。スコットランドに似てるとはいえ、あそこの荒涼とした風景より緑多い北海道ですね。
匿名
原料は北海道でも、英国で製品化された家具調度品の中古を逆輸入ですね。きっと高値で取引されるのでしょうね。私も若い頃、海外向けの主にリゾートウエアのテキスタイル・デザインを仕事にしていましたが、原反も捺染も大手繊維会社で扱い、私たち外注先のフリーのデザイナーがデザイン提出すると、外国のバイヤーたちが大手繊維メーカーにやってきて品定めしてデザインを買い付け、それを大量に捺染したものを外国のバイヤーが買い取り、その先は各国で縫製加工して外国ブランドで販売していました。当時は、アメリカ、ロシア、東南アジア諸国、アフリカ諸国などでしたが、イタリアやフランスのデザインを繊維メーカーが買い付けてきて日本の捺染機械に合うようにリピートをつける作業も頼まれたりしていました。ヨーロッパのデザインは人気でしたからね。たまたま都心のショーウインドウで見つけた私のデザインのアロハシャツは高価でした。また、街頭を歩いていると、前を歩く女性のブラウスのデザインが自分の手掛けたものと知って、暫く後をつけて歩きました。怪しまれますね。琵琶湖に泳ぎに行くと、今度は男性の水着(パンツ)が自分の手掛けたものでした。きっと外国製品として高い買い物をしたのでしょうね。外国で製品化されると一気に高値が付きますから不思議ですね。
seto
もったいない才能ですね。今からでもデザインコンクールに応募して一稼ぎできますよ。自分のつくったものが喜ばれている、デザインした布が歩いているとは素晴らしい。昔のデザインが今でも利用できるものたくさんありますから、特許あればよかったですね。太古につながるデアザインで登録してみてはいかが。アイヌ文様も登録してましたね。これってどうなんでしょうか?個人の制作物ならまだしも、民族全体のデザインならだれが使ってもいいのかな?ロシアやケルトでも似た文様ありますね。盗作とオリジナルの境がむつかしいです。