ひさしぶりの老子 柔らかさについて。
私のブログに老子が登場することが多い。それも大好きな加島祥造さんの自由訳だ。自由訳だといっても老子の声が聞こえるように優しい言葉で訳されていて、中学や高校時代の硬い固い漢文と注釈の羅列にうんざりした記憶がある。教える教師が学者ぶるのであった。あくびをしながら40分の授業に耐えていた。老子の英訳本は多いので(『老子』は聖書に次いで最も数多く英訳された外国書である)、加島さんは英語で書かれた老子の凄さを実感した。なぜ『老子』がこんなに英語圏で人気があって影響力があるのか?現在、世界のベストセラー『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』の著者ユバル・ノア・ハラリ氏自身にも、筆者は密かに老子の影響を感じるのである。
まずは第76章の加島(カジマ)訳を紹介します。(淡交社 伊那谷の老子 183p~184p)引用部分はブルー表示。
人は生まれたとき
みずみずしくて柔らかだ
死ぬときは、こわばって
つっぱってしまう。
人間ばかりか
あらゆる生きものや草や木も
生きている時はしなやかで繊細だが、
死ぬと、とたんに固くこわばってしまう。
だから固くこわばるものは死の仲間であり
柔らかで弱く繊細なものは
まさに命(いのち)の仲間なのだ。
あくまで頑張る軍隊は全滅する。
木も、堅く突立ったものは風に折れる。
もともと、強くてこわばったものは
下にいて根の役をすべきなのだ。
しなやかで、柔らかで
弱くて繊細なものこそ
上に位置を占めて
花を咲かせるべきなのだ(第76章)
昔の少年。
正に自由訳ですね。確かに高校時代に漢文の授業中は教科書を立てて殆ど寝ていました。眠っていると突然教師に『〇〇くん〇ページのところの意味は?』と当てられ咄嗟に適当に答えると『君は眠って居ても?わかるんだね』とからかわれ教室は爆笑でした。漢文は嫌いではなかったのですが、当時にこのようなわかりやすく心に残る訳を教えて貰っていたらどんなに楽しい授業になっていたでしょうね。
seto
楽しい授業になるよう心掛けていた先生もいましたが、まあ記憶に残らない先生多いです。ユーモアあるのは、昔の少年さんのほうで、読んでいてこちらがおかしくなりました。ほのぼのとした景色が浮かびます。漢文の先生は蓄膿症でいつも黄色い鼻が見えていた記憶はあります。
広告マン。
柳に風とか思い出しました。河原の中州などに自生して居る柳も、例え洪水でも生き残っていたりしますね。初めから水の勢いを抵抗せずに受け流すことで難を逃れる術を身に付けて居るのですね。そんな柳も根はしっかり川底で頑張って居るからでしょうね。洪水になれば大木が沢山流されて来ますが、河川敷の柳は残る場合が多いですね。正に弱くて繊細でしなやかの象徴ですね。
seto
いいたとえ話(というより現実)ですね。柔らかさは大事ですね。深く根を張っていると、ユラユラ揺れて倒れない柳のような人生を送れれば鬱とかならなくて済みますね。クソ真面目、生真面目、固さ、原理原則踏襲、先例優先、なんかそんな生き方が、倒れやすい人間をつくってる。社会になってるように思います。
ヘターリスト。
今、厚別署の駐車場です。道警本部から配達証明の書簡で臨時認知機能検査の要請です。先月初めに自宅近くの小路から幹線道路にでる所で珍しく幹線道路側の車が歩行者信号で停車中だったので私の進行方向の歩行者信号は青でしたから、これ幸いと幹線道路に出た途端ミニパトカーのサイレンが鳴り7千円の罰金でした。銀行で即払い込みで完結かと思いきやナンと?高齢者と見るや有無を言わさず認知症扱いです。一時停止の標識見逃し違反です。歩行者信号と車両用信号は併設して欲しいですね。堅物には聞く耳はないですかね。
seto
認知症機能検査で、臨時って突然あるんですね。罰金を払った後に!一時停止で私も住んでいる団地内で3回やられました。何度も抗弁しましたがだめでした。あまりしつこいと、公務執行妨害になり最悪のコースに入りますから、7000円は安いぞと自分に言い聞かして振込しました。しかし、配達証明という脅しで送られれてくるのは嫌ですね。ブレーキとアクセルの踏み間違いや高速での逆走もあるので、高齢者運転と見るや、判断力おかしいと彼らが判断すると、配達証明を送ってくるとは。夜の運転は確かに怖いものがあります。道路が見えにくくなるので、夜はお互い控えたいものです。