
フランス学者渡辺一夫さん著『寛容について』(筑摩197p)で(狂気について)の項目で冒頭に引用されている。パスカルの言葉で、数学者にして求神精神のパスカルがキリスト教徒自身の宗派皇宗で殺しあう現場と世の中を生きていて述べた感想。しかし、別に狂気はキリスト教徒の専売特許ではなくて、人間である以上、狂気と無縁で生きている人はいないぞと渡辺一夫さんは言いたいのだ。何かに夢中になっている精神状態は、傍から見たら、普通に『狂気に取りつかれている』ように見えるし、事実、狂気の中にいる。ブログを書く行為も他人が見たら『狂気の中に入っている』と思える。正常と異常、普通と狂気の境は曖昧。ある観念(神や教えや思い込み)、ある人(偶像やカリスマ)、ゲーム、仕事(売上げやフィニッシュ)、恋(異性ほか)、スポーツのイベントと応援風景は全く関心のない人には異常や狂気に見えるのも本当だ。そうであれば、世の中は狂気のON/OFFが日常繰り返して起きているのが現実であることをまず認識して『天使になろうとして豚にならないよう』気をつけて生きましょう・・・というメッセージが渡辺一夫さんの本にはある。狂気なくして文化やスポーツも野心も生まれないのだ。何度も見ていると、それが当たり前になってしまいやすい。16世紀ヨッロッパが大陸の人口増もあって、地球のあちらこちらへ物産を求めて、航海へ出て行ったが、これも狂気以外の何者でもない。巻頭パスカルの言葉『病患はキリスト教徒の自然状態である』がリアリティを持って筆者には迫るのである。『平和とか安静とか正気とかは一応好ましいものとしていますのに、この好ましいものが少し長く続きますと、これに飽きて憂鬱になったり倦怠を催したりします。そして、再び次の(狂気)を求めるようになるらしいのです』(199p)。
現代世界は『退屈病』という名の病に冒されているともいえます。そしてそれで一儲けを企みます。そういえばパスカルの『パンセ』に『所詮、人間のしていることは、気の紛らわしに過ぎない』という名セリフがあったことを思い出した。なんだか、すべてが虚無の海に流れて行くようであるが、一面の真実を突いている。『ある人は(狂気)なしでは偉大な事業は成し遂げられない、と申す人々もおられます。私は、そうは思いません。(狂気)によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲とを伴います。真に偉大な事業は、(狂気)に捕らえられやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によって、誠実に執拗に地道になされるものです』(200p)
*退屈病から、狂気に走ったり、孤立や孤独からSNSでのヘイトメッセージを匿名で書いてみたり、自分の鬱的心理を外へ向かって呪詛して心のバランスを取ろうとしがちな現代人。性別・年齢問わず気をつけたいが、日々安心して暮らせる収入がなければ、貧困・情緒不安定・未来への希望喪失になる。足元の現実の辛さを見たくないために、集団の狂気に向かうのだけは意志で避けたいものである。
繰り返しますが、狂気によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲とを伴います。しかし、病患はキリスト教徒の自然状態とパスカルは言うが、必ずしも彼らだけではなくて、「これは絶対だ」と思いこんで生きる人々をも浸食させていく。イデオロギー(必ず敵を想定して生きる生き方)にからめとられるから要注意だ。


狂気とは概ね異常な行為行動との認識ですが、日常の暮らしの中で正常と言える事って一体何だろう?と考えると、つまり何もしていない睡眠時くらいでしょうか。しかし、それも夢を見てうなされたり、寝言を言って笑ったり、側から見れば異常にも見えるでしょうね。本人は全く認識していないでしょうが。つまり今日も一日異常な行為行動の為に目覚めて動き回り、そして疲れて正常な世界を求めてまた眠りに就くのでしょう。
普通の人(と周りの人が言う)が横領や殺人や詐欺でつかまることがあります。自分だってわかりません、聖人君子ではないですから。寝ているときも悪夢に襲われている人もいますから、睡眠時も坊主の孫さんがおっしゃるように寝言やゲラゲラ笑うこともありますからね。ニュースを見ると、異常なことが多く報道されています。それを何回も見ているうちに大脳がその事件に伝染されて、視野狭窄になり得るので、テレビやネットのまとめニュースサイトは弊害があるかもしれません。ある偏見(バイアス)でニュースが選択されいるからです。