男の大半は臆病である。
男の大半は臆病である(精神科医 名越康文)
『女は臆病な男が嫌いである。しかし、男の大半は臆病である』(女はギャップ 扶桑社文庫)
けだし名言である。自分を振り返っても居酒屋で男同士で話す話題も『臆病であるがゆえの強がりであったり、意固地であったり、見栄だけであったりする。そこに女性でもいるものなら、臆病ではないところを出し合う場面に転換して、最後の支払いの段になると、おれが払う』まで発展する。
福岡伸一さんの本『できそこないの男たち』も地球誕生が46億年前、最初の生命の発生が36億年前、それからさらに10億年で複雑な生物の誕生になるのだが、はじめはすべてメスであった。強いメスの縦糸に、ちょこちょこ横断するのがオスである。お笑いで昔、ちょっとおじゃましますという言葉が流行ったが実はそれこそオスの正体ではなかったか。おじゃま虫である。
男の臆病さからさまざまな行動形態が現れる。他人をたえず意識しながら生きる性だとしたら、強く見せようと武器を強力にして、より多くの相手を殺して英雄願望を満たしたり、知識で武装して相手を言い負かせて強がる。
フランスの16世紀の学者モンテーニュの随想録27章、『臆病は残忍の母』という1章をもうけているくらいだ。16世紀、宗教戦争真っ盛りの只中だから、裸で男の残忍さが露呈している。『経験によって、この意地の悪い非人間的な心の激しさ・むごさは、通例、めめしい意気地なさに伴っていることを知った』(956p 白水社 縮刷版)。そして男の代名詞、勇敢や勇猛や武勇は『その効果は抵抗にぶつかって初めて発揮される。闘牛も抵抗がなければ面白くも無い』
野球にしても、投手からみたら打者、打者から見たら投手が抵抗体である。相撲も相手がいて(抵抗体)はじめて勇猛という形容詞が誕生する。しかし、ブログの読者の多くが男性だとしたら、『男の大半は臆病である』という言葉に同意すると思う。ここのところをほとんどの女性は誤解をしている気がする。名越さんの本は、男の本音を語って女性に恋愛のイロハ、男ココロをこっそり教えている虎の巻のような本で、まずいなあと思わせる本であった。
さらに現代政治の権力者に向けて、モンテーニュは『何が暴君たちをあんなににも血を渇かせるのか。それは自分の身の安泰をこい願うからである。彼らの卑怯な心は、自分に危害を加えそうな人々を、いや引っ掻かれるのさえ恐ろしくて、女までも、ことごとく根絶やしにするほかに、安心するすべを知らないのである』(同書964p)
エジプトでもギリシャでもローマでも中国でも江戸時代も現代の北朝鮮でも自民党内でも日本企業の派閥抗争でもどこでも見かける風景であるが、この『女は臆病な男が嫌いである』。が真実だとしても、嫌われてもいいから無謀なしなくてもいい争いから身を一歩引いたところで生きたいものである。
しかし、臆病さが男の本質を言い当てているなら、そこをわかる女性が賢い恋愛に入れるかもしれない。少子化を言うならこのあたりから、議論しないと先には進まない気がするのだが、いかがだろうか?
広告マン。
女性に気に入られたいがためにあらゆるサプライズを試みるが、必ずしも成功するとは限りません。女性にも選ぶ権利があるからですね。では女性から逆サプライズされたらどうでしょう。ここが難しいところですが、それも必男性に受け入れられるか否かは疑問ですね。つまりどちらも臆病なのかも知れませんね。自分の描く将来像や未来像と相手が描く景色とは常にギャップがあって、その溝を埋めるためには相手を理解して譲歩しなければならない事も多いのではないでしょうか。相互で譲歩しあって恋愛や結婚に発展するのでしょうが、それでも別れたり、離婚したり、我慢し続けたりと、結果は様々ですね。人にもよりますが、男性は表面上は強がりですがイザっ!となれば女性の方が驚くほど沈着冷静な場合が多いですね。或る時『会社を辞めて来た!』と言ったら妻に『あらっ!そう?』と流された時にはショックでしたね。
seto
女性は現実的な人が多いです。これでバランスが取れるのでしょうが「男の気持ちをわかってないなあ」と思う場面が会社の中でも家庭でも多いです。そして損得でぐぐいきますから、爆発することもあります。別な生物ではないかと思うときもありますが、彼らから見ると「男ってバカだな。意地張らずに非を認めればいいものを」と考えてるかもね。結婚後、私も職を3つ変えているので、そのたびに「好きにしたら」と言われたことが救いでした。どうにかこうにかここまで生き延びれたのも妻のお陰だと思いますわ。