「ものを大切に」の意味(投稿原稿)
よく「ものを大切に」という言葉を聞きますが、実際に大切なのは道具そのものではなく、
先達から伝えられ、磨かれた技や使い方の知恵です。
例えば腕のいい大工さんは百均の大工道具でも我々より上手に使いこなすでしょうが、
大切な顧客の仕事の時には「こんなもの使えるか」と捨ててしまうでしょう。
楽器も同じです。有名なストラディバリは豪邸ほどの値段なので誰でも大切に扱うでしょうが、
生産されたときはいわばヤマハのようなメーカーの量産品でした。
それでも上質なことには違いないですが、家内制手工業で大量に作られたから大勢のプレイヤーに評価され、
大量に残りました。それらのうち、名人から名人へ伝えられ、
正しい音程で使い続けられたものだけが「豪邸」になりました。
だからただの中古品にすぎないストラディバリもあるようです。
名人芸の世界だけでなく、家具や衣類、日用雑貨の正しい使い方が、
ごく普通の人々によって伝えられています。
例えば土鍋の底は水に濡らしてはいけない、畳の縁は踏まないように、
鉋は歯のある面を下にして置いてはいけないなど。
外国でも、家具が日焼けしないよう普段から布をかぶせておくと言います。
「大切に」というのは「正しい知恵を使え」ということでもあります。
長い年月、こういう愛用と愛着に応えるのが、いわゆる「高級素材、高級品」です。
品質の良い鋼や銘木、絹、象牙、金などを使い、しっかりした作りのものは、
正しい使い方を知ってる人のもとでは、何代にも渡って使うことができます。
反対に安物はいざという時に限って壊れ、とんだ恥をかいたり、命にかかわることもあるかも知れません。
長期間大切に使うにはそれなりの高級品に越したことはありませんが、
昔の「上等な品、高級品」と今の高級品は、意味がちょっと違うような気もします。
本来高級品を持つ人は、それを使いこなせる技や知恵、生活習慣の持ち主でなければなりません。
ただ買っただけで使い方を知らなかったり、あるいはモノとしてもただ高いだけなら、
かえって滑稽に見えるでしょう。
だから未熟者である私は高級品を買いません。決して金が無いからではないのです。(笑)
ヘターリスト。
お金も有りませんが、セルマーやバックのストラディバリウスやギブソンなどを羨ましく、楽器店に行けば一番先にそれらが展示されたショーケース前に行きます。別に買うわけでも無くただ眺めて満足するのですが、セルマーであれば100万円以上、バックは廉価版でも数十万円のプライスカードがついて居ます。私と言えば2万数千円のアルトと中古の廉価版バックのペットを大事に使って居ます。音が大きいので、郊外のクルマの中が練習場ですが、車内に放置すれば、冬はバルブやキーが凍って練習もできないので、温かい春の到来が待ち遠しいです。冬はもっぱら数千円でネット購入したヤマハの中古クラシックギターを愛用しています。しかし同じギターでも、フォーク、アコギ、ピック、エレキと、これに落ち着くまでに6本ものギターを入手し、手を加えたものの、どれもダメで手元に残ったのは、たったの2本のクラシックギターだけです。全て合算すれば数万円にもなりますから、初めから新品を買えたほど使ってしまいました。安物買いの銭失いですね。しかし、それらのお蔭で習得した事は、ギターの修理の技術と、中古の中でも本物を見分ける知恵がついた事と、無駄遣いヘの反省でしょうか。
seto
楽器を学校時代から演奏してきたことが、いまも趣味や生きがいになっているのはステキですね。高価な楽器はたくさんあるでしょうが、リサイクルシュップに中古の楽器がたくさん並んでいます。売る人と買う人が活発になってるしょうこですね。私はCDを聞くだけですが、先日、昔流行ったCDプレイヤーをある人からもらいイヤホンで聞きながら寝ています。これをつければ飛行機に乗れるかもしれないと夢見ています。AIWAのプレイヤー、音がいいですよ。広報誌を配るときに音楽を聴きながら各戸を回れますね。アイポッドで何千曲収録より1枚のCDをじっくり聞くほうが落ち着きますね。恵庭千歳は雪が少なく15センチ以下、このまま正月を迎えそうな予報です。排雪業者はまずは喜んでいる12月です。