20代や30代で何百万のを金を一気に手にして、派手な暮らしに麻痺して、結果,御用になる人が多くなった。万事、消費社会を煽る大人たち、金さえあればほぼ幸せの7合目まで行ったかのような錯覚に陥るが、捕まればそのまま刑務所へ行く。若い男は貧乏であることが義務であるようにさえ思うが、実はこれは真実に近いので繰り返し掲載します。新型コロナ流行真っ最中のときに書いたものだが、趣旨は変わらない。
A000001Bの1万円(福澤諭吉記念館所蔵)

橋本治さんの孫引きながら、全文引用します。出典 平川克美『小商いのすすめ』より。この文章をどう読むか?

『貧乏でも自分には力があるから平気』と言うのが人間の強さというもので、これを捨てたら、人間おしまいである。『若い男が貧乏であるということは、人類の歴史を貫く真実で、そしてこのことこそが人類の未来を開くキーだからである』というのは、社会生活というものを営むようになってしまった人間の本質は“若い男”であって、若い男は強く、そして若い男は強くあらねばならないという、それだけのことである。強いんだから貧乏でもいい、なぜなら“富“とはその“強さ”の結果がもたらしたもので、自分の弱さを隠ぺいするために“富”という武器を使ったら、その人間社会は根本を衰弱させて滅びてしまう、それだけの話なのだ。

私の少年時代(昭和30年代)は私を含めて周りは明るく貧乏人だらけだった。60歳を超えてクラス会を開いても大金持ちは誰ひとりいない。一方、今は若いときから、親に小遣いをもらい、奔放に遊び呆けてきた男がある日、クスリで逮捕。『若い男は貧乏である』というところから始めれば、その後、悠々と生きられると思うのである。それこそ、自分の弱さを隠ぺいするために富(親からもらうか株で一気に稼ぐかの違いはあるにせよ)を使うと、その人間社会は根本を衰弱させ滅ぼすという部分はわかるし、身近に何人かいた。高い給与をもらいパチンコ三昧、競馬三昧も多かった。共通は一生懸命に仕事をしない、しないうちにできない人間になってしまっていることだ。働かない癖(働けないではない)が一度憑りつくと取りにくい。ということは逆に『働く癖』を持ち続けることが、過分な富を生み出さなくても納得いく生き方に近づくのだと心得たい。

新型コロナウィルスによる各業種の売上・利益は大幅な減少になる。それに伴って派遣切りや早期退職を促す会社も増えている。新型コロナウィルスの収束時期が見えにくい中、時代は自分で選ぶことはできないにせよ、過酷な世の中になってしまった。どうやってこれから生き延びていけばいいのか。自分の貧しかった時代や結婚後4回の転職を繰り返して生きてきたので、どこかに忍耐強く生きられるヒントがみつかるかもしれない。有名無名を問わず言うのは、平凡に生きることはむつかしいが、それが一番だ。

  1. 自分の現在が有るのも、あくまで結果論であって、若くて貧乏で、仮に先行き視界不良の頃に敷いたレール通りに走って今現在が有るわけでは無く、知らず知らずのうちに、こうなったと言うのが正しいですね。『少年よ大志を抱け』とは、ある程度恵まれた環境下で育った若者には響きますが、我々には、簡単に『そうだ大志だ』とは中々行きません。昨日も久しく有る会社の会長さんとお話した中で、我々の時代と現代の若者たちの環境の違い過ぎのギャップの話になりました。幼少の頃から寒い朝も5時に牛舎で乳しぼりやら力仕事もしたそうで、経営者になってからも苦労はあっても仕事が辛くても昔に比べれば辛抱出来たと言うのです。会長さんの長男も次男も放射線技師で国立病院勤務ですが、40代の長男はこの辺で東京に行って単身研究所に行き定年の年になっても指導者として働ける立場の為の勉強を考えているとの事でした。国立大を出てそのままサラリーマンで居れば安泰にも見えますが、父親の年齢になっても働ける立場を確立したいらしいのです。親の背中を見て学んでいたのでしょうね。

    • 生涯働けるのは大事な人生、後半の生き方ですね。若者の場所を取らないで譲り、バックヤードから支えることができればベストですね。70歳を過ぎて考えるのは、自分の父親のこと。何を感じ考えていたのか思い出します。ほとんど会話らしい会話もなくあっという間に突然死したんですが、それこそ貧乏中の貧乏でアル中の父親の機嫌を損ねないよう、焼酎を買ってきた小学生時代。母親が亡くなりシングルファーザーで過ごした芋農家でしたからね。妹をストーブに載せた蒸発皿のお湯を被り事故で失い、散々な少年期でしたから。父親は戦争から帰国出来てまだよかったと思いますよ。骨壺に石ころが1個入っていた軍人もいたし、餓死したままの人たちもいたわけで、そういう人から見ると豊かな社会にはなりましたが、貧しさを体感することは、これから生きる上で強い武器になると思いますよ。贅沢の癖は治りにくいです。若いときにしっかり身に着けたい貧乏癖です。

  2. 得意先の若い人たちに聞かれます『〇〇さんはいつ休んでいるのですか?』と。私は即座に『貧乏暇無し年中無休が私のキャッチフレーズです』と。しかし、特に最近はこのような発言は企業内ではタブーになって居るようです。上司は部下を気遣い、ムリをさせず十分に休日を与えて気持ち良く働かせると言う訳です。今月末にもイベントを実施しますが、部長さんとの打合せで展示会前夜9時半からの設営時の物品搬入や最終日夜6時以降の撤収作業も社員にはさせられないと言うのです。そもそも時間外労働や休日出勤はNGのようで採用面接でも応募する側も休日数や残業有無などが決定の重点要素らしいです。合理的に時間内で全て完結できる能力が有れば良いのですが、入社したての社員に出来る訳がありません。社員にはやらせられないと言う作業は一体?誰が?と。それらすべては我々や私たちがお願いしている外注先の業者さんの同世代の若い社員さん達です。こんなところにも世の中の歪がハッキリ出ています。若者たちの就職難と言う裏には、前者を希望し、後者を嫌う事にも起因しています。人は余って居ても、嫌われる仕事が人出不足になっている訳です。若者全員がホワイトカラーでは世の中は回って行きません。

    • 正社員が残業しない代わりに外注先の人、それもバイト人多いですが、彼らが安い給与で仕事を請け負ってるわけです。仕事はそれでとりあえず完結してますが、働く側の労働量と賃金は反比例です。時間の切り売りをしてサラリーマンをしているんだったら、仕事が面白くないと思いますがね。私の労働観なら時計なんて大して見ないで夢中で仕事をしましたがね。古いんでしょうか?正月2日からイトーヨーカドーで餅つきイベントを一人でやってました。杵と臼を車に積んで。東急エージェンシーの下請けでしたが。そうやって面倒な仕事を大手は丸投げして、ピンハネする構造はゼネコン、東京オリンピックの電通やパソナ。古くは神戸で港湾労働していた山口組と全く同じ。辛いのは一度下請けに入ると出れなくなる経済です。それがいまも延々と続いているわけです。AIでできる仕事に代替できるものは移行しますが、指示する人間は必要でしょうが、絶対人数は減りますね。ということは失業が増えて貧乏は進行するということですか?

  3. 貧乏暇あり年中金欠。

    誰だか忘れましたが,昔、政治家が『貧乏人は麦を食え!』とか言っていましたが、今では貧乏人も麦飯は食べませんから贅沢になりました。麦飯も、むしろ富裕層や健康オタクが好んで食べる物になりました。つまり、昔、貧乏人がやむなく食べていたものは殆どが自然食品で健康食品だった訳です。貧乏人は簡単に病院にも行けませんでしたから病気になどなれません。毎日毎日身体を駆使して働かなければいけませんから、決して運動不足になんかなりませんでした。反対に富裕層が食していたのは西洋食を真似た脂身の多いステーキ肉だったりで、肥満になり、遊びにも夢中で、楽をしていましたから運動不足から病気になり早死にしたわけです。『貧乏病なし年中健康』

    • 懐かしいコトバ。池田隼人さんかな?麦飯は贅沢な食品です。一番の健康食は昔の一汁一菜みたいな食べ物ですね。周り廻って昔の食事に還る現代。贅沢な過カロリー食品をCMと消費を煽られて病人にさせられたわけです。太って痩せるためにトレーニングやサプリの蔓延、やれ糖尿病(私もそうだが)だ薬だとせっせと病院へ税金を運んでいるわけです。健康も原点に帰ってくるというわけです。貧乏病なし年中健康は、最先端の哲学です。若いときからゴルフだグルメだ高級なワインだ車だで狂う人にろくな仕事はできません。仕事は地味でコツコツですから。そういう偏見を私は持っています。

Leave a Reply to 昔の少年。 Cancel Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です