万物に生命があるという考え方は、5000年前1万年前の、仏教とかキリスト教が地上に発生する以前は、旧大陸・新大陸と問わず、地球上のどの地域でも共通していた信仰だ(山折哲雄)~日本的感ずる宗教の可能性~。

山折さんは、万物に生命が宿っていると考える思想や宗教が一番、普遍的な宗教で現代、見直すときだと言う。アニミズムという思想区分があるが、それは一神教の中で進化論的な段階として一段劣った低いものとして誤解されてきた。しかし、もうキリスト教やイスラム教、仏教の教団も耐用年数がきているのではないかと提案する。人類を救済するはずだった宗教が、対立と葛藤と戦争の原因になっている。万物に生命が宿るという、万物生命教の特徴は、(1)教祖がいない(2)教義がない(3)儀礼がない(4)攻撃的な伝道活動をしないの4つ。実は一神教や激しい布教活動をする新興宗教もすべてこの罠にはまっている。近くは統一教会もそうだしオウム真理教、N国党や都知事に立候補した石丸真司、アメリカのプロテスタンチズム原理主義者たちと選挙を見ていてあの熱狂はロックフェスティバルだ。プロレス中継だ。(1)~(4)を欠くのは宗教ではないとみられてきたが、結果、それが多くの不幸を生む原因でもあったと薄々誰でも気づいている。なぜそうなるのか?仏教が日本にやってくる前に神道があるが。神道はアニミズムに近いが、政治に利用されやすい。国家神道として位置づけされたこともある。創価学会の政治活動もすごかった。知り合いに電話をかけまくる、夜になっても婦人部は戸別訪問でうごめく。時給幾らで働いているんだろうか?

現代の危険は攻撃欲求をスマホやパソコンで平気で書き込んだり、それを拡散させてページビューを稼いで小遣いをつくっている人たちだ。ユーチューブでは契約内容によるけれど、100ページビューで50円稼げる。100万回再生されれば50万入金だ。内容が嘘やはったり、スキャンダル、面白おかしく他人の人権を蹂躙する内容でも、あちこち組み合わせてより刺激的な番組をつくれば高収益を期待できる。

私のブログは1日、10人程度で炎上はゼロ。攻撃的なコメントもゼロだ。ありがたいことである。山折哲雄さんの話に戻ると、人類はどこかで間違った選択をしてしまったともいえる。ソクラテスもイエスも仏陀もマホメットも、自分で書き言葉は残していない。声として音として身近な数人にだけ聞かせている。それで実は終われば良かったのに、なまじ編集などして文字化して添削をつけて残してしまったのが運のつき。マリア崇拝まで出てきた。聖人をだれにするか論争まである。

万物に生命があると言う考え方をみなおすときだ。庭のスズメやミミズたちの営み、枯れたブルベリーの木々に止まり、太陽に向けて体を温めている小鳥たちを見てそう思う。

  1. 群れたがる人達が大勢居るので新興宗教の資金集めに上手く利用されますね。群集心理をついたビジネスに成っていますから一度ハマるとスパイラルの渦に巻き込まれ、しまいには命令通りに人殺し迄も正義と唱える始末ですから困りものです。私も宗教家の末裔ですが少なくとも祖父たちの時代までは人道に背く宗教では無かったと思いますね。資金集めと言うより檀家からの自主的な資金献上で寺の維持をしていましたね。宗派は違いますが永平寺でさえ参拝時のお賽銭代わりに購入した1枚の瓦に名前を書いて寄贈して寺の修復用に使われています。滋賀県の名のある地蔵尊でもお庭の拝観料として瓦を買い名前を書いて寄付してきました。神道の友人も居ますが、お経も読めない私に比べて祝詞を数種唱えて参拝しますが、親の代から伝承されているのか、すっかり身について居ますね。宗教も悪用され戦う宗教など本来は有り得ませんね。万物に命が宿り、また神が宿ると言うのは、身近ではアイヌの教えでもありましたね。

    • そうなんです、アイヌの教えのとおおりです。オウム真理教から統一教会、現代のひろゆきさんやホリエモンやN国の立花隆志にくっつくユーチュバーのネトウヨっぽい集団は単に彼らのユーチューブでの再生回数を伸ばして、彼らの利益に加担しているだけで、自分自身の得にならないことに気づいて離れていってほしいですね。カルト宗教に見えます。身ぐるみはがされたオウムや原理教の信者たち。ネットでもう彼らを追わないようにしたいものです。私が20年以上前に京都の西本願寺に行ったとき、1万円出すと瓦に名前を書いて屋根においてくれるので妻に相談したら、あなたは東本願寺でしょうといさめられました。どつちでもOKでいいと思うのですが。宗教を商売にして暮らしていく人々が多過ぎますね。ひとり一つの宗教が理想です。他人に強要しない。説教しない。

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