無名の人々

 

廃屋

筆者の住む郊外にある廃屋。

『市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったく同じである。世界的な作家といわれ、社会的な地位や発言力をもつことよりも自分が接する家族と文句なしに気持ちよく生きられたら、そのほうがはるかにいいことなのではないか、そんなふうにぼくは思うのです』『個人のほうが国家や公より大きいんです』『何が強いって、最後はひとりが一番強いんです』(吉本隆明・・NHK教育テレビ・戦後史証言プロジェクトより)

見えない人々、いまだお会いしたこともない人々、生まれた人、亡くなった人、特に名も残さず有名人にもならず、物を書きもぜず、残さず、思い出の写真を何枚か家族に残して世を去っていった、そして歴史を作るぞと言ってつくるわけでなく、テレビや新聞に出ることもなく、たんたんと日常をこなして、家族が集まれば「笑いのひとつもある家庭をつくって」暮らす人々へ、吉本隆明からの応援歌と読めるのは私だけだろうか。道を歩いていて、誰からも注視されることのない自由感はたまらない。「自分が接する家族と文句なしに気持ちよく生きる」ことができたら、またそれを壊す外的な事件や権力に歯向かえる言葉と腹があれば、もっと自由な、市井の人々にとっても生き易い社会になるだろうと思う。アメリカの西部開拓を目指しながら斃れていったフロンティア・マンたちの廃屋をテーマにして書いた詩・・・。

つぶれかけた、からっぽの小屋は、

彼らがすくなくてもここでは、

敗残の人たちであることを物語っている。

しかし、その敗残のうえに、

わたしたちの成功は築かれている。

都市も、町も、すべて

農場も、蜿蜒(えんえん)とつづく道路もすべて

彼らが敢えて挑み、そして敗れたからこそ、在る。

多くの人たちの敗残で贖(あがな)われずに、

人間が手にしたものなど

いまだかつてありはしない。(アンナ・ルイス・ストロング)西園寺公一訳

5 thoughts on “無名の人々

  • 2023年10月4日 at 7:30 AM
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    いつの間にか、皆が都会に憧れ、都会に住み着き、コンクリート・ジャングルで、せかせかと慌ただしく動き回り、超満員電車に揺られて移動する光景は、田舎育ちの私には異様にも映ったものでした。が、しかし、いつしかそんな環境にも慣れる自分も居りました。今ではあの体験は余りありませんが、未だに大都会に憧れる若者は多いと思います。お金さえあれば何でも手に入ると刷り込まれた人達は野菜も肉も魚も食物はすべてスーパーやコンビニやレストランやカフェで作られていると勘違いしています。作り手を知っていれば、また少しでも体験して居れば大量のフード・ロスなどあり得ないのですが?。都会では建設工事も盛んで、全てが鉄骨とコンクリートとアスファルトですから暴風には強くても、最近多い豪雨に道路は川に化してしまいます。空から見れば都会はまるで未来の墓地にさえ見えますね。元々の住民は隅に追いやられていますね。私も生まれは東京の下町だったらしいのですが、東京に住みたいとは思いません。幼少期から思春期に体験した、あの静かな田舎に憧れますね。当時の一人一人の顔が浮かびますね。

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    • 2023年10月4日 at 9:27 AM
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      3軒両となりと親しければなんとか生きていけるものです。先日買ったギリシャ名言集にも、何かあれば近くの人がやってきて助けてくれる、遠い親戚は帯を締めなおしてやってくる。大事なのは近くの人だよという格言がありました。世界共通は遠い親戚より近くの他人。この他人を都会生活で見つけられるか否かが楽しく暮らせるかメルクーマールになりそうです。田舎は顔が鮮明に浮かぶから安心ですね。こころが平安になります。

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  • 2023年10月4日 at 10:15 AM
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    核家族化の時代から家族の形態も大きく変わりましたね。親は田舎暮らしで高齢化。子供は都会でサラリーマン化。これまで家業を継ぐと思われていた長男も実家を離れるのも当然の時代ですから跡継ぎもなく親の代で稼業も終止符を打つ結果になりますね。都会からの移住者も居るには居ますが極少数派です。ニセコ辺りでは外国資本が開発を進めていますが、果たして地元にとって、一部の地主や大手ゼネコンや地元建設業者、行政関係者以外の方々にも歓迎されているのかは疑問ですね。最近では街中にまでも熊や鹿やキツネが出没しています。駆除するのにも賛否両論ですが、その前に山林など自然環境を大きく急激に変えている事に気づくべきですね。自然林はどんどん無くなっていますね。同時に田舎も都会化されようとしています。例えばコンビニより駄菓子屋さんを残して欲しいのです。田舎は田舎らしさを守って欲しいですね。その結果が人も田舎に回帰したくなると思うのですが。向井潤吉の絵のような郷愁を誘う風景も少なくなりました。今では文化財に指定され住人も代替地に移住した田舎の山奥の村へ撮影に行った時、お婆ちゃんに出会いました。若い人たちは居なくなったけど、お婆ちゃんは住み続けていたのです。『あんた、どっから来たの?』と。『北海道ですけど、子供の頃この先の村で育って、ここの分校に小学校の遠足で来たので懐かしくって』と。『あんた誰の子や?』。『龍之助ですけど?』。『エッ!そうなんか。わては龍さんと机並べとったんやわ。懐かしいわ。会えて良かったわ。ところで龍さんは?』。『昨年、亡くなりました』と。茅葺屋根の住人のお婆さんと、まさか父が友達だったとは驚きでした。文化財もいいですが、代替地より人も、もっと残しておいて欲しかったですね。本当の文化財とは、今も田舎暮らしで、しっかり生きている人ですね。

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    • 2023年10月4日 at 6:28 PM
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      文化財ではなく本当の文化人のおばあちゃんですね。私もニセコで亡くなった父の兄が住んでいたので、誰か知っている人はいないか探したら、文房具の親父さんが私の父を含めて兄弟を知っていました。嬉しかったです。ニセコのペンションや道の駅ではなくて住んでいた痕跡を見つけるとその町への親しみが変わりますね。父が少年時代から見上げていた羊蹄山を見ると胸がジーンとします。辛い労働をしていたんだろうなと想像します。それも知らずに羊蹄はきょうもデーンと構えています。それにしても核家族は、楽なようでいて後でツケが回ってきます。両方の親の病気でテンテコマイ、兄弟の誰が面倒を看る、駆け付けるなどこれまで体験したことがない事態に巻き込まれます。近所にたくさん実例があるし、私自身もそうで北海道に一人残された次男の私が両方の親の最後を看取ることになりました。こういうのって、かたまって一気にやってきますから、金銭の問題も発生します。やっかいです。

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    • 2023年10月4日 at 6:31 PM
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      私事ですが、5日から8日まで九州へ行きます。コメントへの返信は8日の夜からになる予定です。

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