誰からも見られない。
朝日新聞にたった一人の島民(85歳)が島を離れて、とうとう無人島になってしまった話が書かれてあった。「去りゆくひと 死んでいく島」。岡山県の黒島。本州から1.5キロ離れた島だ。記事には「有人離島」が国内に255島あって、30年経過すればその1割は無人になる可能性がある。先月、私も元産炭地をバスで巡って、寂しくなってしまったから、こういう記事にカラダが反応する。監視カメラは都会や人の密集する場所に置かれていて、そもそも人がいるところの問題であって、人の少ない過疎のさらに過疎の地域では、監視カメラは全く必要がない。あるとしたら動物や鳥の観察をするための監視カメラ(ここで赤外線カメラは有効に活用される)だ。ヒグマが横断していく生態を監視カメラで観察できる。電気は太陽電池から取れれば長く使える。自宅にある地球儀を見ていて、「誰からも見られない地域が圧倒的な面積で」「誰からも見られる場所が極端に少ない」ことがわかる。砂漠や山岳地帯や南極や北極、シベリア、アフリカ、南米、アメリカにも誰からも見られない地域はわんさかあるだろう。GPSがあるから天空からカメラで撮影はできるが、自然発火の山火事の場所特定にカメラは有効活用される。別に人権の問題は生じない。ブログにしても読んでいる人の多くは都市に住む人たちで(私のブログに限らないけれども)反応も都市的だ。都市的という意味は人に囲まれて(家族や仕事や会社)生きていることで、「誰もいない」ところで生きてはいない。朝日の記事では先祖の墓や神社を守る意思を固めた最後の住民であったが、年齢的にそれを守ることができず無念の離島であった。似たようなことで、小学校の閉校がある。1クラスに学年全員を教える教師、そういう職業に実はあこがれていた筆者。遊びながら学ばせる理想の教育ができそうだと思っていた。閉校のニュースを見てすぐに私は目がうるうるする。倒産のニュースもだめだ。亡くなる、滅びる、閉めるという動詞が付くといけない。心身がぐらっとくるからだ。「誰からも見られない」というのもその類の言葉である。監視カメラがない代わりに、しかし、先祖であったり、あなたの信じる神であったり、遠くに住む子供や孫であったりするから「誰かから見られている」のである。そう思いたい記事であった。
昔の少年。
誰からも見られないと思って居ましたが、各国が衛星を打ち上げ、すっかり監視されて居るような気にはなりませんか。例えば、無人島の森や砂浜で真っ裸で日光浴などして見たい気もしますが、考えれば上空から衛星やドロンで撮影されてSNSやYOUTUBEで拡散されたら大変です。普段歩いていても、老若男女を問わず、殆どの人が携帯電話のカメラを身に着けて居ますから、怖いですね。理想は無人島で、昔の田舎暮らしで得た知識を生かして、のんびり暮らしてみたいのですが、果してどれだけ耐え抜けるかは自分でも分かりませんがね。
seto
監視はされているとは思いませんが、たまに札幌へ行くと監視されてる気がします。無人島や森の中はサイコーですね。宇宙を使うのも、軍事衛星が最初で次におまけでお天気衛星。GPSも軍事ですから、なんでも軍事です。大型予算を使う事業は軍事から。インターネットも軍事の民間へ開放したことから始まってます。盗撮もカメラあればだれでもできます。怖いですよ。JRや地下鉄のはエスカレーターで事件発生します。子供に刃物のスマホです。そう思ってる方がいいです。事件や班員がいれば写せば手柄になるかも。昔の少年さんは、暮らしの知恵の塊ですからいいですが、私ならパニック障害で発狂する危険あります。
アドマン。
現代人は他人に見られたい一心で自己PRばかりしていますね。それほど他人様は興味を持って居ないのにも関わらずです。自己主張ばかりしていては他人のへの思いやりなど失くしてしまいます。先ずは他人の話も聞いてからですね。何か一つでもいい話をしてくれる人に出あえればいいですね。勿論自分からもですが
seto
自己PRの媒体にはこと欠きません。芸能やスポーツやスキャンダルより、読書をしているほうが落ち着きます。明日は和田心臓移植について書いてみました。2冊関連本読みました。けっこう大変です。88歳で和田先生も亡くなっていました。