3月16日に若者の居場所について書いたが、老人の居場所について私見を述べてみたい。さらに発展させて、そこですき間産業が発生させられないかとも思った。ここでは65歳以上の男について考える。なぜなら女性の適応力(雑談力)は男の何倍もあるからだ。2月末日に仕事を辞めて自由にあちこち町内を巡りながら、また札幌へも時々出かけて知人と食事したりおしゃべりをして、考えた。

自宅前を通りぬける老夫婦、老いは足からくるので、歩く歩数を決めているみたいだ。医師から一日最低8000歩と言われたらそれを守る知人もいた。なんだか営業時代の自分を見るようで嫌な感じの医師だ。毎月の利益は自分の給与の3倍稼がないと営業とはいえない・・とまあ強迫観念でほぼ30年暮らすと、住宅ローンを毎月返さないと、子どもの教育ローンを返さないと、育英会の奨学金も子供と半々。そうやって定年を迎えるともう数字に追い回されたくない。10年間の本州での大学仕送りで、家計は赤字転落模様。大学経営のために親が奴隷になっている歪んだ構造だ。隠れ人気就職先が学生が集まる大学の職員だ。そうやって住宅ローンと教育費返済で過ごしてきて、さて自分の時間と遊びと急に言われても、居場所がすぐに見つかるわけでもない。

ざっと眺めると彼ら(含む自分)の居場所は(1)寝室とソファでうたた寝(2)庭や畑があれば土仕事(3)図書館で新聞・雑誌・うたた寝(4)カメラなど撮影へ(5)大好きなホームセンター(6)ブログやメール書き(7)妻とおしゃべり(8)まだ現役で働き続けて自分のデスクと椅子を保持している。このなかで他人とおしゃべりがあるのは(2)(4)(7)(8)くらいか。電話でいくらでもしゃべれるというが、男の場合、積極的にただ雑談のために電話をする人は少なく、私にも雑談希望電話(と命名したが)は稀だ。(元気かい?)でいいんだけどね。どれだけ会社中心、狭いビジネスだけの人間関係に拘束された世界で生きてきたかがわかる。とにかく座った場所でぼんやりしていられる、許されるのが一番の贅沢かもしれない。そして、誰か困っている隣人がいたら助けてあげる。私も図書館ボランティアを始めて1年を超えたが、年々、筋肉が衰えて段ボールに入れた雑誌や単行本を持つことに難儀している。

  1. 多動性アドマン。

    以前から年老いたら、どこか人混みの無い静かな日当たりの良いベンチで楽器でも、と考えて居たのですが、思えばもう既に年老いて居るにも関わらず実行できずにせかせかと働いている自分が居ます。歳老いた?とは一体何歳をさすのか?人それぞれですかね。となると働きづめの私はいつ年老いた老人の仲間に入れて貰えるのか?それともこのまま仲間外れなのかも知れません。のんびりもしたいけれども、多動性はジッとして居られません。毎朝5時前にはストーブのサーモスイッチを18℃にしてオン!。新聞配達を待ちわびてポストから新聞を取り出すと、今度は乾いた洗濯物を畳んで、夕べ回した洗濯機から洗濯物を出して干して見たり、風呂掃除をしてお湯を張ったり、次はコーヒーを入れてデスクに座るとメ―ル・チェックやブログ・チェックから始まって、メールを打ったり、今度は制作作業まで始めます。朝の4時半から動き回って落ち着きません。が、この朝の数時間が何をするにも静かで一番集中できるのです。7時半にもなれば、近所も置きだすので今度は除雪機と手作業で車道まで綺麗にします。市の除雪車も遠慮して我が家前の車道には余り雪を残しません。家に居るのは仕事に集中する午前中だけで、午後になると仕事が有っても無くても出かけます。ジッとして居ればと言われても一日ジッとしているのが苦痛で出かけるのです。
    よく、聞かれるのは『いつが定休日?』『キャッチフレーズは、貧乏暇無し年中無休!』と。世の中では『働き方改革』とか、子供たちも北海道の長い冬休み。なのに?何故か暇な若い人ほど雪かきもしない傾向ですね。春になれば溶けますけどね。雪は。

    • きょうは厚別警察署へ運転免許更新の仕事でした。高齢者なのですぐに交付されました。若々しく撮影された顔にびっくりしました。老人の居場所を見つけに新札幌サンピアザの喫茶店、次はオープンしたばかりのVIVA、そして昼ご飯にびっくりドンキーでした。そろそろ仕事探しにかかろうと思い、もう1ヵ月が経過します。考えてみると忙しいほうが疲れがたまりません。動き回り、熟睡して、起きてまた動くことを繰り返すほうが健康面でいいのではと思いますね。多動性アドマンさんは理想的な人生を、自分のため家族のため近所のためスポンサーのため、生きているように思います。週二回のボランティアもあるだけでリズムがつくれます。それにしても能登で地震被害に遭われた人々、なんとか救えないでしょうか?田中角栄がいたらダミ声で即刻復興に力を入れたと思いましたね。

  2. ソファでゆっくりなど、考えたら昔はありましたね。最近では家族団らんリビングで『8時だよ全員集合!』なんて全くなくなりましたね。TVだって各部屋にあったり、パソコンやスマホやタブレットで夫々がそれぞれの部屋で勝手に過ごす生活スタイルになりましたからね。一家だんらんなんて言葉も死語になってしまいました。それぞれの居場所がリビングから個室に変わった訳です。居場所が無いどころか、それぞれが自分の居場所をちゃんと確保している訳ですね。高齢者しか居ない場合でも趣味嗜好の違いで同じ部屋で同じ時間を過ごす事が少なくなっていますね。自己主張が強くなって、言い換えれば我儘な時代になりました。

    • リビングでテレビという習慣は私はあんまりなかったですね。不思議と小さなころからテレビを見てない自分に気づきます。小学校3年くらいに、テレビ導入。夢中になるという習慣がない不思議な小年時代でした。自分の部屋を持ったのが23歳くらいでした。たぶん、外をほっつき歩く習慣ができたのも自宅の狭さからきたのではといまなら考えます。それが長い目で見れば営業に続いていたのかもしれません。地球全体の地表が自分の居場所と思えば気楽なものですよ。

  3. 散歩は続きませんね。それどころか、ゴミ捨てに行くと、真面目に毎日無表情で黙々歩く散歩者を見ると『何が楽しくて同じ事をするんだろう?』とまで思ったりしたものです。そんな考えですから未だに散歩はしていません。同じ歩くなら楽しく歩ける方法が有れば出来るかも知れません。昔のパン喰い競争でも無いですが、途中やゴールで楽しい事が有れば続くかも知れません。何か考えないと足が退化してしまいますね。昔は砂利の坂道を自転車から立ち上がって漕いで中学校へに通ったあの頃はタフでしたね。今では自転車さえ乗らなくなってクルマと地下鉄とバスばかりですから足の筋肉も衰え気味ですね。筋肉は大切で、歳老いてからでも運動を続き得れば復活するようですね。今年のテーマは筋肉をつける事にしましょうか。

    • 筋肉の衰えはあっというまで、骨折の危険もありです。自宅前を真剣な顔でウォーキングしている人がいます。私はわざと『おはようございます」と声をかけるようにしています。返事のない人もなかにはいますが。地域社会で生きるルールを教えているつもりです。砂利道を自転車で走りましたね。そしてパンク。直すのが得意なおじさんがいました。新札幌の街中をぐるぐる回ってきましたが、札幌駅周辺をブラブラするほうが方向感覚もあり楽しいですね。私の居場所は札幌駅です。

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です