精神科医神谷美恵子(1914年~1979年)さんのエセイにあった言葉。『神谷美恵子』~島の診療記録から~平凡社

『貧しい自閉』の説明は、心の内容が空虚なまま自分のからにとじこもって沈黙しているのをいうが、『ゆたかな自閉』は、一見そう見えてもじつは心の中でゆたかな想念が祝典をあげている精神状態をいう。

しかし、筆者は現今、身近な引きこもりの男女を見ていて『ゆたかな自閉』はまだまだ少ないような気もする。実際、新しい発明や発見をするときに『誰からも邪魔されない創造的な時間や空間』は必要だ。新しい会社や事業を構築するとき、沈黙や自閉の時間は必要だ。カンタンなブログを書いたり、メールを出したりするときも人間はすべて瞬間的に『自閉になる』。しかし、神谷さんがいわんとする『ゆたかな自閉』は、ヴォルテールの短編の主人公カンディードが言う世の中が思わしくない時(右傾化や軍国化)は『ともかく自分の庭を耕さなくてはいけない』。平凡社百科事典の編集長林達夫さんの台詞でもある。

時間の経過とともに必ず、世の中は変わる。太古の昔から私たちの見えないところで時代や社会を変える何かがきっと現れているはずである。発明品でも思想でも音楽でも映画でも遊びでも、あなたを変える異性かもしれない。だからそのときのために『自分の庭を耕そう』と提案している。

私の好きな言葉を12行書いてみます。ゆたかな自閉におられることを祈って。廃刊になった雑誌『知の考古学』巻頭言である。

わたしたちはに

同時代ドラマ終焉の幕間に

棲息しているが

この黙示録的同時代を凝視するとともに

現代史の一齣でありながら

太古に繋がる市井の生活の眼を掘り起こし

人間の思想の復権を願う者である

真に力ある思想とは

回心を促す思想であり

また

いつも思いもよらぬ地平から

拓けてくるものであることを信じている

自閉において、筆者は貧も豊かさもないのではと考えている。新型うつにしても、これまで『うつ的』にならなかった人間は誰であるかと問いたいくらいで、小学生から老人まで何度も何度も経験しながら、その都度生きてきていると思う。『忘れる』という能力を発揮して前に進んできたのである。自分の心の風に逆らわないで無理をしないで、逆風のときは頭を下げて『自閉空間』に逃げましょう。しかし、飛び上がるときは、膝を曲げて小さくなってからジャンプするほうが高く飛べる、立ちながらのジャンプよりも。『自閉して』ある時間小さくなって生きることも大切だとわかる。

  1. 幼い頃の我が娘は幼稚園の時まで自閉症と言われて居ました。つまり父親の私の耳元でしか話さなかったのです。そんな娘とその上の小学生だった息子を千歳空港まで送って行き二人だけを飛行機に乗せました。勿論、CAの方々には名古屋の小牧空港に田舎のお爺ちゃんが二人を待っている旨を伝えました。かわいい子には旅をと言う訳で二人にとっては大冒険だったに違いありません。祖父から空港から電話で『着いたよ』の連絡で胸をなでおろしたものでした。帰りの飛行機には祖父が付き添って帰って来ましたが、祖父の話では、機内でも息子は落ち着きがなく人慣れしているのとは対照的に、娘は一言も喋らず、口をへの字に曲げたまんまでしたのでCAの方が気を使って子供に対する優しい声かけをしてくれたようですが、それでも一切口を閉ざしたままでしたから、CAの方が勘違いして今度は英語で話しかけて来たそうです。当時の娘は少し茶系の髪をクルクルとパーマをかけていて目も大きかったせいか?外人と間違ったみたいでした。あの頑なな自閉症は幼稚園でも発揮したまま卒園。小学校に入って近所の活発な同い年の子に慕われ救われました。そのことは同じ幼稚園でしたから心を開いたのでしょう。表情も次第に和らぎ始めた頃、近所の人がお喋りや麻雀などで我が家に大勢集まるようになってからは、大人に混じって活発に代わって行きました。自閉症も病気扱いしないで環境次第では自然に治るものですね。ちなみに最初に心を開いた近所の友人の一人っ娘は何と東京の大学に進学し一人住まいをしていたかと思うと、娘が見つけたYOUTUBEで、何と実家にも帰らず結婚もせず三味線のお師匠さんをしていたと言うのです。一方、娘は大きな会社の総務部秘書を辞め、ネイリストのライセンスも取ってホテル内のネイルサロンで接客業をしていましたが、やはり我儘な客に我慢できず、またOLにしかも今度は総務経理畑に落ち着きました。積極的な子は親が心配する事も無く自分の道を切り開き、自閉気味だった我が娘も自閉症からはすっかり卒業したようです。

    • いい話ですね。近所の自閉の子供たちに聞かせたいくらいです。とにかくきっかけをつくるために、多様な他人と接触することですね。名古屋まで飛行機で行かせましたね。私も孫に北海道まで一人旅をすすめましたが断られました。自分で考える以上に適応力ってあるものです。自分を発見してくれるのは他人ですね。つくづくそう思います。営業を40年くらいしてきましたが、スポンサーが私を成長させてくれたり、TV局や新聞社の若手っちにもたくさん教えてもらいました。いまでも北海道に来ると空港で彼らとお茶します。うつ病になりかけた人もいて(そういう人すぐにわかります)コーヒー飲みのみ雑談で解消させましたね。鬱と自閉も似ているのでワイワイ雑談が一番で、これは年齢に関係なく高齢になっても通用することですね。しかし、片目はキーボード打ちづらい。

  2. 自閉も自ら他人との扉を閉ざす場合と、初めから扉すら存在しない壁ばかりの場合では大きな違いが有るでしょうね。前者は比較的治療や自力で治せる症状でしょうが、後者となればかなり厄介な症状で出口も中々見つけにくいのではないでしょうか。いずれも何かのきっかけが必要な事は分かりますが、そのキッカケも一律ではなくその人その人で様々と全く違うのでしょうから厄介ですね。むしろ、そうなる以前に段階的に対応してあげる事の方が大切なのではないでしょうか。例えば、家族に頼りきらない自立心を養う為の環境を早くから作るとか、良かれと思う親心の過保護が自閉症を助長しているケースも無きにしも非ずですからね。引きこもってしまえばすべてが自分だけの世界になりますから、その予防策として、早くから他人も意識できる環境においてあげる事も大切でしょうね。徐々にでも他人を意識し始めれば自閉も自然と無くなるのでは無いでしょうか。

    • 意外に自閉で力を発揮するのは、叔父さんや叔母さんです。両親と距離があるだけ、子供は開放的になるし、社会の窓口との接触訓練になります。おじさんいなければ近所のお兄さんやお姉さんでおいいですね。それにしても右目が眼帯だとパソコン打てない。看護師からはパソコンスマホ、読書厳禁の日。パソコンで朗読を聞けるので、松本清張のゼロの焦点を聞いてました。短い返信で申し訳ない。明日、眼帯を取れます。除雪する時間がなくて雪だらけの自宅です。

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