優秀な人材が辞めていく・・・。
川崎の兄から大学3年になった孫の就職について相談があった。内々定をもらった会社はあるのだがという前提で話したが、私は「いまはもう転職前提で勤めに出るしかないのでは」と話した。安心・安全な職場はないよと。
ニューズ・ウィーク日本版に書かれていたので紹介する。地方の経営者に顕著な傾向について、4つの矛盾が書かれていた。詳しくはここをお読みください。https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/07/4-78.php
4つの矛盾とは・・・・・・
1)いい人材がほしいけど、給料はあまりあげたくない。
2)終身雇用はしないけど、会社には忠実でいてほしい。
3)即戦力になってほしいけど、教育投資はやりたくない。
4)積極性はほしいけど、自分には従順に従ってほしい。
地方組織(地方の銀行はじめや自治体)に多い、経営者の4つの矛盾について指摘していたが、ケチで社員への要求だけは昔ながら。これではいずれ社員は逃げていく。そして『人が集まらない、近頃の若者は根性がない、飽きっぽい』と経営者同士が愚痴をこぼし合っていると書いていた。企業の財産は人しかいないのに、その社員にケチって自分には甘い経営者群である。そして老害を撒き散らす。その中で私の知っているある40歳の副社長は『いい人を採用できた。女性で30代。ある会社の役員をしていて、人材会社に探してもらったのだが、優秀な営業マンで辞めない人という条件で、給与は思いっきり払うと伝えて探してもらったら東京の小さな広告会社の役員を連れてきた。仕事はできる、人柄はいい、企画書も書けてフットワークもいい。好きな役職を与えるといっても平の営業でいい、肩書きは要らない』と。そして半年経過、『プレゼンテーションに出してもハキハキ話せるし、仕事が取れる、お客さんにも評判がいい』と大満足であった。そして社員からも『彼女はできる!』。彼女のおかげで、周りの既存社員ものんびりできない雰囲気を醸成している。一度だけ、筆者も彼女に面会したが、一言話すだけで、できると思わせる柔らかさがあった。最初に書いた4つの矛盾を突破した経営者だからできた快挙であるが、探すまでに人材会社へ相当お金は積んだらしい。地方の企業で足りない優秀な人材の話になると、ある地方自治体の教育課長と話したことがあって『この町にリーダーになり得る人材がいない。東京や札幌の大学に進学しても帰ってこない。魅力ある仕事がないんだ、ここには。』と嘆いてもいた。しかし、優秀な人材が辞めていくのは必ずしも地方の組織に限らず、首都圏の新聞社・テレビ局・出版社でも同じ傾向がある。せっかく入った名のある企業なのに辞めていく。今週の週刊文春で評論家立花隆が文春内でも優秀な人が辞めていく現実が洩らされていた。やはりキーワードは『夢』とか『希望』が働く側にその企業に居続けることであるのかどうなのかというところなのか。そして彼(彼女)の両親は転職に反対するという図式。職業はドイツ語でベルーフ(天職)とされたが、企業に勤めるではなくそこで何を任せられるか、プロになれるかに価値を置いているのかもしれない。私も結婚後4回の転職組なのだが、その時代や社会環境とは大幅に変わってきているから20代や30代の彼らと話してみないとわからない。こう書いている私は一つの企業に27年も働いていたのだから、きっと大して能力のない社員であったのだろうと思うが、半分、終身雇用の文化に飲まれていたのだと思う。辞めていっいた優秀な社員がその後10年・20年してどういう変貌を遂げているのか、このレポートを書いた人に追跡をして欲しいと思う。

坊主の孫。
白内障手術ですね。我が女房も以前に手術しました。暫くは定期検診に行きましたが、今ではすっかり良くなったのか眼鏡をしなくても新聞など平気で読んでいます。身近な人たちの多くが手術をしていますね。こんな時はブログも休んだ方が良いのではありませんか。それと読書も余りにも多すぎるのではありませんか?。読書は良いとしても目も大切ですから、少し休める事も考えてください。文字の無い青空とか海原とかと向き合うのも目には良いですよ。きっと。雲の流れや、さざ波や、小鳥のさえずりも耳や目には心地よいですし、街中の騒音と違って落ち着きますね。
seto
眼帯を外しに眼科へ行き、主治医にお礼を言いました。手術室に流れている音楽を褒めました。アメリカンオールドソングでした、ルイアームストロング「この素晴らしき世界」もかかってました。女子職員に濃いブルーの手術着が真っ白い部屋とコントラストでピンクの帽子とマスクをすると4人の助手がきれいで、いい時間を過ごせました。笑い声も聞こえてきていい雰囲気でした。昨日は10時間睡眠しました。
アドマン。
終身雇用の流行った時代。転職の流行った時代。私などは、大きな企業に入ろうにも入れず、取敢えず受けた会社に就職は出来たものの、会社の待遇に不満が有った訳でも無いのに、自分に合っていないと思って居た矢先に同僚と喧嘩したのをきっかけに、自分の得意な絵と関係の深いデザインの修行の道を選びました。当時でも珍しい大先生に面談をしての弟子入りです。彼は出来る人で大企業のデザインの外注先でしたからそれ相当の収入を得ていて、高台の高級住宅地のアトリエでしたが、何も知らない私ですから当然ながら給与はスズメの涙でした。最初の面談で作品を2点持参も『下手くそ!な所が気に行った!』と採用?。暫くは大先生からの宿題が出され、まるで美術部に居た時の先生と生徒みたいでした。今日は庭のバラを、次の日はレンガと消しゴムを?と、スケッチブックに描き、診て貰う度に指導され、大きなスケッチブックを抱え出勤する毎日に疑問さえ感じていたのですが、暫くすると本格的な仕事の下ごしらえや、作業をするうちに身につき始めました。教えて貰った事以上に、盗んだ技術も沢山ありました。青春を楽しむべき時代に苦しかったその数年間の経験が、直ぐにではありませんでしたが、やがて次へのステップにとても役立ちました。大先生には『違うジャンルのデザインを学びたいので東京で勉強しに行きますので辞めます』と言った切り二度とお会いする事はありまでんでしたが、今思えば非常に貴重で良い経験をさせていただきました。今になって感謝です。その後も紆余曲折の生き方ですが、大っ嫌いなサラリーマンも喰っていく為に数社経験しましたし、独立も何度か経験。これまで何でも試してみる時間はたっぷりあったと言う事にしましょう。後悔などしても仕方ないですからね。
seto
私は営業畑ばかりでした。ラジオヤテレビのコピーや新聞原稿は書きましたが、誰でもできる程度のレベルでした。時代もその程度で許される雰囲気あってのんびりしていたと思います。能力的には広告代理店の営業マンのほうがテレビ局や新聞社よりレベルが高かった記憶があります。彼らプライドだけでしたからね。広告会社のほうに優秀な人が多く、どんどん転職していきました。媒体は給与と肩書にしがみつく社員の集団でした。役所と同じで、これでは能力を上げる機会がどこにあるかと思いましたね。飲む・打つ・風俗遊びでもしないと時間を潰せない社員をよく見ました。入るときは優秀でもどんどん質低下のスパイラル。若いときは苦労したいものです。
坊主の孫。
何処の会社も採用しても直ぐに辞めるようです。何でも、今の若者たちはネット世代でリクルートサイトに自分のスキルを登録して居るようで、情報を絶えず得ているらしいのです。ですから旨い情報となれば鞍替えを考えて居るらしいのです。先日も得意先の中堅社員(支店長)が辞めました。保険関係に転職らしいです。そのようなケースはこれまで沢山見て来ましたし、また成功者の裏には失敗してまた舞い戻る人も居て、その舞い戻った人が何と社長にまでなったケースも実際にありますから。辞めたからと言ってそれきりとは限りません。やっぱり前職の職場の方が良かったと思えば、お願いして再復帰も可能ではないでしょうか。但し辞めた時の状況次第ですから、発つ鳥あとを濁さずですかね。いずれにしても円満退社が理想ですね。或る会社を辞めた若者が退社理由に本州の実家の稼業を継ぐためとの事でしたが、その数日後に元の会社の総務に一本の電話が『お宅様に居たと言う〇〇さんですが、どんな方でしたか?』と。途端に退職理由が真っ赤なウソと判明しましたが、総務の次長が若者のマイナスになる様な事は言わず『よく働く真面目な人でしたよ』と答えました。お世話になった会社にウソはいけませんね。
seto
転職前提の就職時代ですね。60歳を過ぎて、私も20代に在籍した企業に2社とも舞い戻っり、営業をしました。来てくれと社長から言われたわけです。テーマは新規開拓の仕方を若い人に教えてくれでした。自分で考えて動くまたは企画書を提案するしかないと思うんですが。辞表を書くときは、ほとんど企業内の人間関係がほとんどで円満退社は少ないと思いますよ。以前、、勤めた会社で出戻り寸前の人がいましたが、会社の金を横領していた事実が発覚して取り消しされました。広告を扱う会社や新聞・テレビは不明瞭な金の動きは四六時中ありますね。キックバックで夜遊び・博奕で身を持ち崩したひとたくさんいました。
坊主の孫。
ウソをついた若者も実は出戻りで、しかも在籍期間に何と或る支店の綺麗な女性と結婚までしていました。職場で大切な人生の連れ合いに恵まれるチャンスにも巡りあえたのですから。むろん女性も退職しました。会社としては二名の社員を失った訳です。
seto
惜しいというか凄腕の社員ですね。波乱万丈の未来を感じる二人ですが・・・。