30年以上前の新聞の切り抜きが出てきた。
ギボンの「ローマ帝国衰亡史」を翻訳中、故人になった英文学者中野好夫さんが正月の朝日新聞に掲載した記事(掲載年不明)が突然出てきた。加藤周一著作集の4巻目「日本文学史序説上」を出すと、パラパラ落ちた。当時の新聞の文字は小さいので、必死に目を凝らして読んだ。書き手は「滅ぶことを知ること」MEMENTO MORIとラテン語の副題をつけた。朝日の方では「人類は英知を持ちうるか~物質と精神の矛盾の中で~」と穏やかな題名に。
昭和12年(1937年)に岩波「思想」に彼が書いた文章だ。「人間、物の秩序の面における進歩は、われらの空想力さえ嗤(わら)い去るほどにめざましい。ほとんど奔馬的といってもよい。が、それに対して心の秩序での進歩は旧態依然、数千年以前とほとんど変わりないのだから面白い。物の面におけるこの超幾何級数的飛躍進歩と、心の面におけるこれはまた算術級数をはるかに下回る進歩と、この奇妙な〇(は)行現象の将来は、果たして何を人類社会にもたらすことになるであろうか。」
さらに「殺人兵器や情報通信網等々こそとてつもなく発達したが、ただそれだけのことで、本質そのものは数千年前とまったく変わらぬといってもよい。~~勝手に引いたありもせぬ地上の線一本のことで血眼になり、ときには残虐きわまる戦争さえおっぱじめる。(ハムレット)作中ある人物の独白ではないが、仆(たお)れた戦士の遺骸を横たえるにも足りぬ猫額大の地を争うために、喜び勇んで死地に急ぐという。これがそもそもホモ・サピエンスと呼ばれる存在なのであろうか」。
中野さんは1975年にも朝日新聞の正月紙面に「人は獣に及ばず」を書いて、人類滅亡後の地球を空想して書いている。「見渡す限り、鉄屑とコンクリート屑の堆積だけかもしれぬ」と。「死塊のような地球が、無限大の宇宙空間をただ沈黙の展転をつづけているだけなのではあるまいか。まことにいやな想像だが、案外当たらないとも言い切れぬ」。
短い文なのでブログは2本です。
中野好夫さんは1943年10月21日、神宮外苑での「学徒出陣」で教え子たちを死地へ赴かせた責任を生涯負って生きた人だ。学徒出陣とは兵士が足りなくなって、文系の学生を中心に(農学系も文系に入れた)20歳以上の男子が戦地へ送られた。式典は10月21日に神宮外苑、同日台北、30日ソウル、11月3日満州、同日は二世の学生、以下仙台、大阪、名古屋、上海と続き最後は11月28日の札幌だ。学歴が災いして下士官になるのが早く敗戦後、B・C級の戦犯として死刑になる者やシベリヤへ抑留される者も多かった。安倍首相の叔父岸信介はGHQの要請でCIAのスパイとして活動する見返りにA級戦犯でありながら絞首刑から逃れ、生き延びた。MEMENTO MORIは中野さんが死んでいった学生(教え子含めて)を思いながら書いた文章に違いない。

ゼロ戦パイロットの弟。
アメリカでは人類最後の日の時計などは、これまで何度も最後の日を迎えています。先日もあと何時間と言われて居ましたが幸か不幸か何とか未だだったようです。世界各地ではそれに近い紛争が既に始まって居て、対岸の火事とも言えない状況になって来ました。学徒動員どころか、成人も青年も少年も動員されて居ます。男女雇用均等法ではありませんが、女性の社会参加を良い事に、しまいには女性までも動員される可能性だって無きにしも非ずですね。しかし時代も変わってもし、隣国から核弾頭ミサイルが撃ち込まれたとすれば世界の終末は遠い話ではなくなるでしょうね。つまり兵員動員以前に誰もが滅亡の危機にさらされてしまいます。今では兵力ではなく装備力に代わって来てしまいましたから一旦事が起これば無残な結果が待ち受けて居る事は確かですね。それも連鎖反応で世界全体に一気に広がる危険性だって十分に考えられます。世界の仮の指導者に躍らせられて国民がどこまで騙され続けるのか?進歩どころか後退の道を選択しているとしか思えませんね。嘆かわしい世界情勢になってしまいました。
seto
日本の原発が地震で壊されると、自爆国家になります。なぜ、こんな地震国にしかも海岸にたくさん原発をつくるか、電力会社・政治家・ゼネコン・大学の原子物理学者・地質学者・電通、スタートを切った中曽根康弘・正力松太郎・東芝、東電の木川田会長の罪は亡国の歴史に書き込まれますね。世界の人が複雑な思考を忌避しているように思いませんか?単純は最悪だとキャンペーン張りたいものです。
坊主の孫。
争い事は様々で、ちょっとした言動が原因の場合もあり、人の心は微妙ですね。その僅かな心の動揺が大きな事件のきっかけになったりもしますから分からないものです。人それぞれ違う感情の持ち主ですが、何かにつけ統一したがるのも人間ですね。政治では今問題の派閥ですか?新興宗教も形を変えた派閥ですね。いずれも本来の個人の意見や主張を重視すれば良いと思いますが、票集めと金集めの為には個人の意見や主張よりボス猿を作る必要があるのでしょうね。しかし栄枯盛衰、やがては化けの皮が剥がれますがね。
seto
私はあらゆるスポーツをとりあえず、世界で全部中止にしてみると、だいぶ穏やかな人類に戻る気がしますが、どでしょうか?くだらないパリ五輪でIOCの貴族階級が懐温めますが。放映権なんか買わずに五輪なんかかまわないでおくといいですね。団塊の世代は何人か電話すると「マラソンみている、ラグビー見ている、駅伝見ている」ばかりです。みずからスポーツをしない人が観戦者で時間を潰しています。退屈を埋めるための娯楽としてスポーツで時間を消費。もったいない。目の前に死が迫っているのに。
アドマン。
スポーツも万博もやるなら施設をシェルターや災害時等でも壊れない大避難所として再利用できる設計思想が欲しいですね。核攻撃、大型ハリケーン、大地震、大洪水、大火など様々な有事を想定した真の平和利用思想の上での設計コンペテーションが欲しいですね。終われば即解体するとか、次のオリンピック招致材料になどと考えず税金を無駄なく暮らしに活かせる工夫やアイディアを提唱する建築家は居ないのでしょうか。再生可能エネルギーなどと謳う時代に適ったテーマこそ未来に繋ぐ事になるのでは無いでしょうか。
seto
大阪万博のどうしようもないプロヂューサー、木の端を作ってスグ壊す、北海道出身の建築デザイナーらしい。安藤忠雄を尊敬していると豪語。1カ月100万200万をもらってる理事会メンバーたち。カジノをつくるために国の予算で整地させようという維新の会の政治家たち。すでにパチンコ業者、スロットマシン業者からたっぷり金をもらっている維新の議員たちですよ。一番肝になる話をテレビはしません。能登の復興のための電線や建築屋さんが万博に食われています。