book35

地味な本ながら440ページの「塩の世界史」(マーク・カーランスキー著 扶桑社)を借りてきてポカリスエットを飲みながら読み始めた。現在、中公文庫で2冊本で同著を買える。

サラリー(給与)やサラリーマンという言葉の起源がsalt(塩)から来ていることは誰もがご存知なはずだけど、そもそも塩の持つ意味、生物が存在するために必要不可欠な物質だということは当たり前すぎてなかなか客観的にさらに知ろうとする人は少ないと思う。血や涙や汗や人間のあらゆる部分に塩は含まれている。

水分でさえ塩がなかったら、細胞は栄養を取ることができず、脱水を起こして死ぬ。ご存知のようにポカリスエットを推薦するわけではないが、成分にナトリウムが含まれているのもそんなわけだ。小児科医に「ポカリを飲ませなさい」と発熱した子供を連れて行くと最後によく言われたものだ。点滴液にも必ず成分に塩化ナトリウムが含まれている。

乳幼児向けミルクに、塩化マグネシウム、塩化カリウム、塩化ナトリウムという3種の塩分が含まれているのも、ナトリウムは人間の体内では作れないし、ナトリウムなしには栄養分や酸素を運ぶことも、神経部分のインパルス伝導や、心臓の筋肉運動が停止する。成人のカラダには約250gの塩分が含まれている。身体機能で汗を書いたり、血を流したり、尿を出したりしするので常に失われた塩を補給しないといけない。血を舐めることは塩分の補給につもながる。

生きるために必須な栄養素は各種ビタミンはじめ数々あるだろうけど、塩のありがたさをかみしめたいものである。塩はさらに人間が生きるために必要な食糧の防腐作用があり、食料有効期限を延ばしたりする。ミイイラ作りにも防腐剤として使われている。生命の維持の持続性と防腐する意味での永遠性の両極を塩は持っている。旧約聖書でも新約でも「神の前における永遠の塩の契約」という表現もあるくらい、神からの贈り物という小さな粒だ。

保存についても家畜の肉の保存に有効であるがゆえに、塩が最古の交易品とも言われて、これが塩が国家の専売制へとつながってゆくし、塩は富の象徴とされた。中国やローマ、フランス、ベトナム、ハプスブルグ家など軍資金を調達するために塩に税金をかけたり、軍人や役人へ給料を塩で払われてきたこともある。紀元前12世紀、塩税を論じた文献が中国で発見されている。

蛇足ながら、海水の塩分濃度は3.1%~3.9%、ヒトは0.9%と低い。塩分濃度が世界一の死海は30%の塩分濃度がある。世界中、どこでも塩がある。海辺でなくても陸地はすべてもともと海であったから塩が取れる。しかし、なぜ、海に塩が形成されたのか?酸性の海であったのに。

さらに、なぜ酸性の海になったのか?水はどうしてできたのか?隕石に含まれる水分が地球に衝突して・・という話もあるが、これだけの水量をまさか隕石が運んでくるわけはないだろうと思う。水がなければ雲はできないし、雨も降らない。塩と水の話であった。この本を読み進んで、紹介できる面白い話があれば、再度ブログに紹介しますのでお楽しみに。サラリーマンは塩を運ぶ人、今も昔も給与を運ぶ人、若い人は亭主をATMと称するらしい。せめて塩を運ぶ人くらいに言って欲しいものである。

  1. 幼少期には山間部の故郷では川しかなく、夏の間の子供たちの遊び場は河原に決まって居ました。潜って手製の漁具で魚を獲ったり、鮎の密漁もスリルを味わえる遊びでしたし、水泳の練習もしたりしました。夏休みの間に1~2度ほど列車に乗って子供同士で敦賀の手前の杉津(すいず)に海水浴に行きました。親などはついていません。いつもの川とは違うあのしょっぱい海水は苦手でしたが砂浜は大好きでした。海は川とは違って身体が浮きやすく泳ぎも楽でした。北陸トンネルも無かった頃ですから行きはスイッチバックの三重連のSL列車、帰りは山頂の駅まで汗だくで昇り列車の時刻に間に合わせるのが大変でした。夏休みは水ぶくれができるほど真っ黒に日焼けして皮膚の皮がむけたりしました。あのしょっぱい海は身近に無かっただけに不思議な世界でしたね。或る時、義兄から借りた高級カメラを海に落としてレンズが曇りフォーカスも砂を噛んでじゃりじゃりしてしまい大変な目に遭いましたが、最終的にそのカメラを貰って一安心でした。何しろ当時で4万円程の高級機でしたから、子供にはとても弁償できませんからね。塩と言えば、たくあんをはじめとした漬物づくりや、イワシの糠漬け(へしこ)や自家製味噌や自家製醤油にもザラメの塩を使って居ました。肴を保存する時にも使いました。梅干しづくりには欠かせなかったですね。

    • 夜分遅くの返信ありがとうございました。私は海は大の苦手でした。それも小学校3年のときに張碓という海水浴場で、水死体を見てからです。鼻のなかから虫のようなものが出てきたり、海の中はとてつもない恐怖を感じました。そのあと,すぐに帰ったのかどうか記憶が途切れています。厚田の海水浴場に子供を連れていったときも(泳げない私)、突然、足が深みに入り溺れそうになったこともあって、岩場での蟹鳥捕り以外いかなくなりました。浪人のときに蘭島にキャンプに行き、泳ぐより砂入りカレーラースを食べたことくらいですね。塩は、昔の少年さん同様、ダイコンや白菜を樽で付ける岩塩を入れる母親の手伝いをしたことですね。いまのような甘さのないショッパイ塩でした。少年期はどこにも原っぱがあって、遊び場に事欠かない札幌でしたから、交通費をかけて海まで出かける必要もなかったのかもしれません

  2. 塩は高級割烹などの店先に盛ってあったり、厄除けや神聖な行事に使われていましたね。相撲の世界でも塩を撒いて清めますね。昔、高校生の時の夏休みに友達と二人で白地図を頼りに白山までの各山の山頂ラインを踏破しようと計画を実行したものの、途中で落雷や大雨に見舞われたり落差の大きい滝などにも行く手を阻まれ、半ば遭難状態で一週間野営した事がありました。その時にテントや食料の他にサバイバルには欠かせない❶釣り糸と釣り針❷ナイフ❸塩を持参していました。お蔭で、山中での一週間の間に、渓流でイワナを吊ってナイフで腹を裂き塩をまぶして焼き、毎日食べました。お蔭で命拾いしました。下手に動かずに一週間考えた末に川伝いに下流に下れば人里に必ず着くと確信して冷たい川を下りました。思った通り人里にたどり着き食糧も不足していた矢先でしたから農家自作のジャガイモなどをいただき、焼いて塩で食べました。命拾いした事もあって素朴ですが最高の味でした。山歩きなどで大量にかいた汗で塩分不足だったのでしょうね。普段は塩のありがたさを忘れがちですが、知らず知らずの内に塩のお世話に成っている我々ですね。

    • すごい冒険を高校のときにしていますね。坊主の孫さんの青春は記録に残しておかないといけません。ぜひ、お孫さんに伝えてください。挿絵なんかあるとサイコーです。塩を持参してイワナを食べる、福井の冒険少年ですよ。福井教育委員会でつくるべきですね。沢歩きを私も仕事でしていたので、上るのではなく下ることで安全を確保するのはわかりますが、沢の水量が半端ないので流される危険がありましたよ。よく戻ってこれました。ひもで全員縛っていたのですか?

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