「どんな利得だって他人の損失とならないものはない」。モンテーニュ(1402年~1592年)のエセイ(白水社版138p)で貧乏について書かれた章を探していたが見つからず、「一方の得は一方の損」という章を発見した次第だ。読んでみると面白い。商人が栄えるのは若者の乱費のため、百姓が栄えるのは麦が高いため、建築家が栄えるのは家が倒れるため、裁判が栄えるのは世に喧嘩訴訟がたえないためである。さらに、聖職者の名誉と義務だって、我々の死と不徳から生ずる。古代ギリシャの喜劇作家などは「医者は健康が嫌いで、友人の健康さえ喜ばない、軍人は自分の町の平和をさえ喜ばない」埋葬用品販売業者は多くの死がなくては生じ得ないと利益をむさぼる男が処罰された話まで書いている。

時代は宗教戦争、カトリック教会の腐敗と既得権益をむさぼる司祭たち、信者の無知に付け込んでは、この札を買えば罪があがなえるとウソを言い、金もうけをする。私も父の急死で慌てて葬儀をするため町内の寺を探して『檀家になるなら引き受けよう』と本願寺の住職に依頼したまでは良かったが、母の死去を契機に檀家を離れることにした。本願寺の改築に寄附金を半強制的な檀家(330戸)で1億4000万円を集め出した。東日本震災でゼネコンや中堅ゼネコンが耐震強化に寺へ営業攻勢をかけた結果。檀家が減少する前に寄付を集めようとという算段だ。しかし、これが結果として檀家離れを加速していることが住職にはわからない。檀家は信心深い世代から次の子供世代に変わっていて、葬儀費用を最小限にする生き方が定着している。『寺の得は檀家の損である』。これには精神的な価値観は置かないことにする、私たちは精神や心という観念でどれだけ寺へ奉仕をしてしまったか。仏僧が仏から一番遠いところにいるのかもしれない。夏には沖縄ツアを旅行代理店と組んで主催したりする。旅行会社にとって宗教団体はコアな団体でとにかく集まる(集めてくれる)、選挙と同じ。ギリシャ時代、宗教戦争の時代、現代と『一方の得は一方の損』は時間の流れを通じて貫徹している。自然も実はそうで、物理学者は、もろもろの物の出生・成長・繁殖は他の物の変化腐敗であると説いた。

まことに物がその形と性質とを変えるとき、

前にあったものの死がないことはない。(ルクレチウス

  1. 金沢鉄道管理局の偉い人だったと言う父を持つ長男坊と結婚した私の姉でしたが、姉夫婦の長男の代になって、それまで続いた熱心な仏教信者を辞めたと甥っ子が私に言った。つまり檀家を降りたらしい。時代が変わって、宗教への価値観の違いが、まるでネットの時代の到来とともに大きく変化して来たようですね。これは宗教に限らず全てに当てはまるようです。例えば、私の場合は広告に関する仕事柄、痛感するのは、既存メディアの衰退です。私達が若い頃の既存のメディアも、今では語り草になるほどの勢いがありました。それがどうでしょう。例えば毎朝配達される新聞一つを見ても近代化された大工場の高速輪転機で深夜に印刷されて早朝配達までは同じでも、そのページ数の少なさが現実を物語っています。決して活字メディアが悪い訳では無いのですが、これが現実ですから認めざるを得ませんね。若者に限らず50歳代から若者にかけては活字は読まないとさえ断言する者も多く、TVさえ既存のチャンネルさえも見なくなっている傾向にあります。SNSやYOUTUBEからの情報を得る事が多いようですが、これも危険が無いわけでは無く、宗教離れと似ていて、宗教は信じない者がYOUTUBEは信じてしまうと言う驚きの傾向があります。ですから宗教に代わって現れたのがインターネットの世界では無いか?とさえ感じますね。『信じる者は救われる』に代わって現れたフェークニュースや考査高閲の無い情報での詐欺も横行し、インターネットの悪用が目立つこの頃ですね。こんな時代もやがては、宗教離れと同じく、この先インターネット離れになるかも知れません。『信じる者は騙される』でしょうか?。そして、やはり宗教に戻る?かも知れませんよ。歴史は繰り返すですかね?。

    • 檀家離れ、新聞離れ、テレビ離れが続いてインターネット離れもあり得ますね。そして次にあるのはアナログさんコンニチワ、まるで昭和のころの風景や人間関係に戻るかもしれません。若者たちにとって昭和の文化・人間関係作りは、新鮮に感じると思いますよ。宗教がスマホやSNSやユーチーブでの特定のインフルエアンサーに偏れば危ないですね。それを防ぐ道が自然です。空であったり、花であったり虫であったり、自分の肉体であったり、直接性に向き合うことでしょうね。間接的なかかわり方ばかりですから、その最たるものがお金で欲望の媒介物でしょうね。ネットで株、NISAで株、利殖目指して詐欺に会うのもね。教祖のいる宗教、聖書に還る宗教、殺し合いしか生まなくなりました。アイヌやケルト、インディアン、アボリジたちの自然宗教がこれから主流になると予想してます。

  2. 高額商品とは無縁信者

    得した話の裏には、必ず損をした者が存在します。しかし?損をした者も、損に気づかず喜んでいる場合も無きにしも非ずです。例えば貴金属やブランド物の購入者は持つ事に価値を感じ、それを購入した高額な金銭については損をしたとは思わないでしょうね。むしろ『貴重な良いものを入手できて最高に幸せ』とさえ感じているでしょうね。価値観の違いと一言で片付きそうですが、一方販売側から見れば『高価な商品が売れて良かった』程度の話に過ぎないでしょう。そしてまた高額商品の顧客を探すだけでしょうね。この場合、購入者も販売者も、いずれも得をしたとも言えますね。高額商品を売り買いする世界では損も得と感じる事も有るのでは無いかと想像します。『損して得を取れ』ですかね。この場合、金銭ではなく精神的なものに過ぎませんが。

    • ある年齢になると欲しいものがなくなります。現代は不安産業が跋扈していて、寿命や健康、心の安定としての内科、老後の資金不足(脅しと利殖投資へ誘導)アナウンスだらけ。株にしても誰かが損をしているから得をしているわけで、証券会社はどちらからも手数料商売ですから、競馬や競輪、宝くじと同じです。私なんか、証券会社が全部潰れて、投資会社も無くなったらどんなに健全な経済になるかと思いますね。古い大脳ですね。

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