電信柱1本で人生が変わる。
友人の奥さんのお父さんが復員してきたとき、職探しをしていたら、電信柱に「警察官募集」の張り紙。すぐに応募、採用され二人の子育て終えて、めでたく定年を迎え、いまは好きな油絵を描きながら健康な80代を迎えている。
昔は、木の電信柱が求人やお知らせによく使っていた。糊で貼るだけのチラシがわりだ。ほかに「内職します、和裁」とか「求む家政婦」もあった。「布団の裏打ちします」「タタミの返しします」も。さすがに「公務員募集」とか「政治家候補募集〇〇党」はなかった。
私は小さなころから運動系というより「眺め」系の子供で、ぼんやり眺めながら生きてきた。電信柱の文字を見るのも大好きだった。もちろん住宅や商店の壁にホーローでできた「オロナミンC」の看板や大塚食品「ボンカレー」の松山容子がいたるところに顔を出していた。
テレビもなかったころで(テレビが入ったのは小学校3年のとき)、視線を釘付けにする強制力の強いテレビという媒体から離れて、目をキョロキョロさせて生きていた。5歳のときに、近くのルーテル教会へ入れられた。お昼御飯が出るのがいいのだということで兄とともに入ったが、食べる前の神への祈りが嫌だった。それが嫌いで逃げて帰ってきた。
ドイツ人の牧師が自転車で追いかけてきたが、私は電信柱に腕を回して、戻ろうとしなかった。退園した。助けてくれてありがとう電信柱さん。その電信柱も、素材がコンクリートになり、勝手に使えなくしているが、不動産だけは「4LDK 築10年 2500万円」とかボール紙をビニールひもで電柱に巻いてある。
深刻なのは、行方不明のペットだ。「この猫(タマといいます)見かけたら連絡ください」とカラー写真付きだ。団地内でゲリラ的に貼ってるのが、「即、振り込みます」という金融。思わず、電話番号を書き写している主婦がいるかもしれない。私の妻だったりして。
パソコンの中も電信柱化しているのか、消費者金融広告が凄い。都銀がなぜ消費者金融を傘下にして稼いでいるのか、融資先を昔のサラ金はこっそりやってたのを真昼堂々と金貸しているにすぎないのか。現役営業時代(営業職は金を使わないといい仕事はできないと持論展開するも妻、無理解!)カードのリボ払いで苦しんだ筆者は、この世界になるとキツクなるのも当時の恨みつらみが残っているからだろう。1万円返しても、元本が3000円減るだけ、後は利息の世界とは知らなかった。そしてまた借りるを繰り返せば、安らぎは来ない。
電信柱にはお金の匂いも染み込んでいるね。というより私の頭に染み込んでしまったが正しい。最先端の団地は電信柱を地下に埋めている。不思議な感じがするのも電信柱のある風景に目が慣らされてきたからだ。都市の美観や景観にうるさくなって、近年は外国人観光客が、日本の景色を撮影しても電柱や電線が邪魔だとおっしゃる。地震国は、地下に埋めるより、地上の方が修復しやすいと思うがどうだろうか?
アドマン。
電信柱に元気よく激突した人が居ました。また、綺麗に磨かれたガラスに思いっきりぶつかった人も居ました。ガラスも磨き過ぎると鳥だってぶつかって来ますからね。至る所にぶつかるものは有りますが、東京あたりでは人混みの中でもお互いにぶつからずに見事に速足で歩いていますから驚きです。東京はともかく、地方でも電柱の地中化が進んでいるようですが、電柱も景色の一部ですから埋める必要も無いと思いますし、広告媒体としても、メンテナンス面からも埋めない方がいいですね。犬だって反対しますよ。
seto
電柱広告もありましたね。いまは電柱にポスターが貼れないようにしていますね。子どもが登れないよう、足を架けるアームも上に置いてます。求人広告の媒体として効果がありそうな電柱ですが、どこの職種も人出不足。80歳までの求人にすればあっという間に人が集まると思うのですが。冬には遠くから雪玉を作ってぶつけて遊んだものです。電柱は遊び道具です。
アドマン。
電柱で助かるのは知らないところで家を探しているてと電柱広告のしたにそこの地番が表示されている事ですね。クルマのナビもアバウトですから助かりますね。広告もきらわれるものばかりでもありませんね。
seto
住所表記もありましたね。冬は助かりますね。それと病院広告も多い。空港あたりの電柱は「カマエイのカマボコ」です。目立ちます。