人の生きがいを突き詰めれば(倉本聰)
人にほめられる。
人を喜ばす。
人に感謝される。
およそ子供っぽくとられるかもしれないが、人の生甲斐を突きつめていくと、案外ここらに本当の答えが座っているように思えるのである。(倉本聡の姿勢より 20p)
以前にも書いたことがあるが、札幌の東本願寺札幌別院竣工記念の講演会を本願寺の本堂で真夏のセミの鳴く日に倉本聰と五木寛之2名をお呼びしたイベントのお手伝いをしたことがある。私は本堂の床柱を背に倉本さんの講演を聞いていた。ある夏の昼間、こんな贅沢な講演会を聞けて幸せであった。
「子供に野山を歩かせるときは裸足で。五感を磨くように」「都会人がスポーツジムで汗を流す光景を、わざわざお金を払って、食べなくてもいい美味しいものを胃袋に入れて、やれ太ったからとかいって、今度はジムへ行き、ウオーキングマシーンで歩く」都会人の滑稽さを突いていた。
私は、恥ずかしながら、21年間続いた「北の国から」を1本も見たことがない。ヘビースモーカーの倉本聡さんが、このシナリオを書くのに43万本のマイルドラークを吸って書かれた。倉本さんのエセイは筆者は好きだったが。
「人は他人から与えられることはうれしい。だが、与えることはもっとうれしい。いや、人に与えること、人の役に立っているという意識こそがそもそも人間の生甲斐なのではあるまいか。考えてみると自分の生甲斐も結局そこに尽きる気がする。脚本を書くことの最終目的は、金を得ることではなく、人様の心を洗うことである。洗ってきれいにしてさしあげることである。感動という名の洗剤で暮らしの汚濁を洗い流してあげることである。そしてそのことが出来たとき、僕の心は初めて充足する」(同書 26p)劇作家フランスのジャンジロドゥの言葉「街を歩いていたらよい顔をした人に出逢った。彼は良い芝居を見た帰りに違いない。」周囲に良い顔を増やすこと、それこそが結局幸せの根っこなのだ。
倉本さんは板前の仕事を羨ましいと言う。作ると「美味しい、ありがとう」と感謝の言葉がすぐにかえってくるから。しかし、農業作物は1年間の仕事、種まき・草取り・温度管理・収穫そしてJAへ。土と天候との戦いの日々である。消費者からの直接の声が届かない。ある日、倉本さんへ近在の農家から作物が届いた、余りに美味かったので、電話をかけて「うまかった!」と言った。すると相手は向こうで涙ぐんでいた。「あすからまた仕事にハリが出る」と。
アドマン。
感動の涙は心の底から湧き出て来るものですが、その後の顔は更に美しく輝きますね。いい物を見た、いい音楽を聴いた、良い話を聞かせて貰った、映画に一シーンに涙があふれた、様々な感動シーンは心の栄養ですね。同じ涙でも悲しい涙もありますね。人との別れによる涙や、病魔による不安や落胆の涙。突然の災害による不安と心の動揺の涙。心の底から溢れて来る涙は同じでも、状況によって大きく違っていますね。出来れば、前者の感動の涙を多く体験したいものですね。
seto
最近、涙もろくなりました。特に戦争での死者の写真や残された家族の涙を見るとたまりません。能登半島地震の被災地が全然復興もされず、『私たちは棄民された」という一言にも泣きます。明治以降。棄民の歴史が今でも続いています。
坊主の孫。
他人に感動を与える仕事は素晴らしいですね。人の心を健康にしたり、普段の暮らしに潤いを与えてくれたり、これから生きるための大切なヒントを与えてくれたり、その手法はそれぞれ違っても、多くの人の心に良い影響を与えてくれて居ますね。心が健康になれば、自然に笑顔になりますね。笑顔は笑顔を呼び笑顔の輪が広がりますね。一生を掛けて、多くの人々を幸せにする仕事は羨ましいですね。
seto
パリ五輪は見ませんが、日ハムの試合の中継ないのでスポーツはドジャーズだけですね。大谷祥平のお金の使い方、かっこいいですね。寄附文化が日本でもっと根付けばいいのですが。知り合いに寄付をどんどんしている人がいます。遠い親戚で恵庭生まれで不動産で成功して恵庭市に寄付、いまは長崎県壱岐市に移住して、その島で社会貢献活動をしていました。島でも大歓迎される人物ですね。喜ばれる人は宝物です。
夢頼み、神頼み。
寄付ですか?羨ましいですね。寄付には原資が必要ですから、それの作り方が先決ですね。高齢になった今からでは遅すぎますね。他人の為になるには、先ずは自分自身を磨かなければいけませんね。気づくのが遅すぎの感もありますが、何かの間違いで天の恵みでも降ってくれれば考えますね。
seto
寄附は周り廻って自分に還ってくるかもしれません。言葉での寄附もありますからね。隣の家の除雪もしてあげれば、考えてみれば夢頼みさん、日々していることだと思いますよ。