大学時代の同級生が、久しぶりに札幌に帰ってきた。彼がチェコやオーストリア、ハンガリーの旅をしてきて、パソコンでアルバムをつくり見せてくれた。『石畳で脚が痛くなった。ツアーだけど歩いた歩いた。若くないと歩けない』。教会、彫刻、石畳、ドナウ川、奥さんの写真、ホテルの料理の写真など見ながら、『そういえば、俺もパニック障害がなければゴヤの版画を見にスペインのトレド美術館へ行く計画をしていたんだ』と思い出した。端っこや隅が好きな堀田善衛の『ゴヤ』を読んでいたし。

妻からも『結婚前に約束したスペイン旅行はどうなったの?』と責められた。子供の教育費(本州の大学に二人通うと苦しい)でお金は泡と消えてしまった。しかし、考えてみると、貧乏人の繰言であるが、自分はどこにいても旅人で、狭い部屋にいても書物の中で旅を続けているとも思う。立花隆『エーゲ』はヨーロッパの原型を須田慎一郎の地中海の写真とともに旅ができた。

歯も弱くなり、硬い物をかじれなくなったから旅の食事も辛いかもしれない。生きられる時間は短い。行きたい所へ行き、食べたいものを食べて、他人への迷惑は最小限にして『私は私』を自然体で貫きたいものである。別に強固な私があるわけではないかもしれない。流れて流れてここにいる私だから、このまま次の私へ向っているかもしれない。万物は流転する、私も流転する。私の肉体の細胞は数年で全部入れ替わる。しかし、そうはいっても性格が変わらないのはどうしてだろう?年々歳々、変わってるかもしれない。自分で自分が見えないが、確かに『他人の話をゆっくり聞かない、生き急ぐ、悲観的な考えが多い、すぐに文句を言う、耳が遠くなる、同じことを繰り返す』クレーム老人の兆候が出てきている。くわばらくわばら。

先ほどの友人の話に戻ると、彼は小金(金額知らず)を株に振り向けている。さすが、もと金融マン。『ボケ防止にいいんだ。こんな金利じゃ預けていても無駄だろう』と。しかし、私にはそもそも預ける金がない。バブル期、『サラリーマンで株をしないなんて信じられない・・・儲け話を皆がしていた』が筆者は無縁。時代の流行に背を向ける生き方は、これは筆者の性(さが)みたいで困ったものである。『向こう向きのオットセイ』(金子光晴)みたいだ。

へそ曲がり、世の中斜め読み、生き方偏屈、集団嫌い。そして説教されるのもするもの嫌いだ。こんな人生観でよくここまで生き延びてきたものである。根本は怠け者でテキトー。しかし、隣の人だけは大事にすることを繰り返す。私は『旅』も『株』もしないが、埼玉から年に2回来る、大学時代の同人仲間は大事にする。彼の見せてくれた記念写真の中に某教会の聖遺物で、聖人の腕が片方ガラスケースに入っていたのが気になる。

  1. 海外でも国内でも旅行好きな人達は羨ましいですね。安心して旅行出来るには、それなりの安定した暮らしが基本にあるからでしょうね。若い時に苦労したか?元々安定していたのか、それとも突然幸運が訪れたのか?。いや?その反対もありましたね。或る得意先の部長さんは身体が弱く定期的に通院していました。オーディオマニアで南大通の西24丁目あたりの古い民家に住んで居ましたが、大通も裏参道辺りが再開発でお洒落な街並みに変貌した頃、その家を売り、会社も辞めて、奥様の為に高級住宅地の福住に立派な塀付きの御殿のような豪邸を建てました。ところがその直後、不幸にも愛妻がお亡くなりになりました。息子は東京でモデル稼業で、せっかくの豪邸も男やもめの一人暮らしになってしまいました。その直後から歳老いてから始めたカメラにハマり写真展まで開催するようになり、今度は被写体を求めて海外旅行を頻繁にするようになりました。その写真も沢山見せて貰いましたが、不思議だったのは?会社勤め時代、あの定期的に通院していた筈のあの人が、すっかり元気に成っていたのでした。悲しみを乗り越えた後に、趣味が身を助けたのでしょうね。或る時、私に電話でNHKホールで個展を開きたいので手伝ってくれないか?と。何と南極の写真展でした。南極観光と言えばロシアの古い砕氷船で氷を割りながらの荒海の航海でしょうから心配で話を聞くと、大型の船が荒波で上下に7~8mも揺れるので、テーブルも椅子も床に固定式だそうで、ほとんどの客は船酔いで吐いていたそうですが、何と彼だけは平気だったそうです。札幌の住人ですから寒さにも慣れていたので、いい写真ばかりでした。彼曰く、もう行くところが無い位に海外に行っていると。しかも大金持ちの彼は、ツアー便乗の海外旅行に、毎回小遣いはお土産代として4万円しか持って行かないんだと?お金持ちは無駄遣いしないから、何時までもお金持ちなんだ?、改めて知った次第です。旅が身を助けたいい話でした。

    • お金持ちは無駄遣いをしない、手前みそですが、私の兄がそうです。旅もしないし趣味は図書館で新聞5紙を毎日読むこと。酒も飲まず、家族オンリーの人生で友達がいません。あるとき私に『おまえが羨ましい、友人がたくさんいるから。自分にはできないと』偏差値と受験競争の最初のころの学年で、遊び部分が欠落したんだと思います。スポーツもしないしね。北海道にいながら道内旅行は役所へ入札だけ。札幌から出たことないですね。大通り西24丁目は円山近い所ですね。それにしてもァメラにありついて豊かな趣味の世界を見つけられて良かった。そういう人は顔つきが良くなってきますからわかります。

  2. 昔々、幼い頃はよく空想したものです。画家か、当時流行っていた漫画家になりたいなんて考えていましたが、夢は叶いませんでした。しかし何となく自分の力で生き延びて来ましたし、当時夢見たいくつかの空想の中の一つ二つは実現出来ているように思います。数知れない空想の中でも、旅もありました。旅と言えば、生れてこの方、ずっと旅しているような気がします。派手な海外旅行などでは無く国内は東京を皮切りに北陸の田舎暮らし、家を離れた学生寮暮らし、大阪での一人暮らし、北海道への移住と転々としています。また、それまでの間にも京都、九州、四国、などと殆どの所に一人旅していた事に気づきます。実は北海道は住みついてしまいましたが、今も旅の途中とさえ思って居ます。自慢できる写真も無く、この後の旅先は?決めて居ませんし、これが最後の旅なのかも分かりません。

    • 私は博物館ばかり巡ってます。どの町に行っても郷土資料館あります。館長は暇でおしゃべり相手にはサイコーです。なんのために日々生きているのかわからなくなるときがあります。10代からですから、たぶん正確なわけはわからないまま終わるような気がします。

  3. 昔の仕事仲間で隣に座って居た後輩が昼になると一人で証券会社の相場を表示する電光掲示板を見に出かけて居ました。特に頭が切れる奴でも無く、むしろ冴えないように見えましたが、お金には執着していたのか、若くして株を始めていたらしいのです。或る時大儲けをしたのか会社を辞めました。その後、私も転職して同業他社に勤務して居ましたが、グランドホテル前で拾ったタクシーに乗ってルーム・ミラー越しに運転手さんの顔を見て驚きました。あの株で大儲けしたはずの彼だったのです。『元気?』と
    声をかけるとバツ悪そうに『まあまあ・・・』とだけの短い会話で『ありがとう!元気でね!』とタクシーを降りました。走り去るタクシーの後ろ姿も何故か元気が無かったです。

    • 株で大儲けした人が周りにたくさんいました。余裕の部分で株をしている人と、生活を賭けてしている人がいました。賢い人は儲けたら欧州旅行へ使ってました。車を買った人もいました。さらに株の世界や競馬の世界にはまるひともいました。私はパチンコ程度で負け続けました。

  4. 旧友っていいですね。故郷を離れて久しい私には羨ましい限りです。またお友達も定期的に必ず現れるなんてありがたいですね。
    そんな友人は、いつまでもお互いに大切にしたいですね。昔と変わらない会話で弾む時間は何物にも代えられない宝物ですから何時までも大切になさってください。それに、これまで長きに渡りパニック症候群で交通機関に乗れなかった件も最近クリアしたわけですから、今度は、此方から訪ねて行く手もありますね。

    • 友人から土産物交換をやめよう言われた時もうれしかったですね。東京での土産物で欲しいものある?と聞かれてないよ!自宅は本だらけで、そろそろ身辺整理しないとと言ってました。私もあちらへ行く準備しないといけません。

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