豪華な客船には棺桶が5つほどある。
具体的な旅行代店や出発港や時期については書けないが、表題のとおり、長期にわたる船旅にはこっそり棺桶が置かれている話だ。
先日、10年ぶりに妻がOL時代の友人に会って長話をした折り、3カ月に及ぶ豪華船旅にひとりで友人が参加したときの話である。ご主人は長い脳外科での手術の失敗もあり、胃ろうでの生活をしたが残念ながら亡くなり、10年以上にわたるご主人の介護を終えて、お金の自由さもあって、海外旅行に目覚め、たくさんの国を旅して楽しんできた。
今回、飛行機ではなくて、初めての長期の豪華船旅に挑戦した。ところが帰港までに4人が亡くなり、全員男性であったと。普通、死んだ話は船の中では極秘にされているから、亡くなった男性の幾人かは夫婦で参加され、それで皆の知るところとなったのかもしれない。ひとりはシャワールムで3人はプールでの心臓麻痺であった。
長旅ゆえ、医師と看護師も乗船しているから、健康管理には万全を尽くしていても高齢者が多いために、経験的に「棺桶を5個、用意する」らしい。主催会社や参加人数で変動はあるとは思うが。一番の苦労は環境の変化だったと。船旅に慣れるのに、船上での日常生活のリズムを取り戻すのに約1カ月かかったと62歳の妻の友人は言っていた。若い人は、初めは適応力が強くルンルン楽しんでいるが、しばらくしてから船上暮らしが心身にこたえてくると。
高齢であればなおのこと、環境への適応に時間がかかるし、ストレスも陸上で暮らしていく何倍もかかるのかもしれない。何百メートルの長さの豪華客船とはいえ、所詮、数百メートルである。自分の家の周りを考えてみれば、狭いものであり、圧迫感を覚えない方がおかしいくらいだ。女性はすぐに他の女性たちと打ち解けあい雑談に入れる人が多いのに、男たちは困った感が強い。水平な会話が苦手なのだ。縦会話に終始したサラリーマン暮らしや経営者暮らしの癖が死ぬまで取れない人が多い。
母の入れる施設を探してたとき、冗談でお金持の入る老健施設を観察したことがあるが、女性たちがランチを皆で集まって会話しながら楽しそうに食べているのに、男はポツンと離れ離れに食べている光景を何度も見た。会話力が無いと狭い船の中で抱えるストレスは相当なものになる。生きてる間に「豪華な船の旅」を夢見る老人は多いと思うが、特に男の人は気をつけて欲しい長旅であると思った次第である。
狭い空間に3カ月もいると、それぞれの人間性がストレートに出てくるから、怖い面もありそうだ。楽しい旅が還らぬ旅に、男はなりやすいかもしれない。客船のどこかに置かれた棺桶には入りたくないものである。死んだら、次の寄港地から飛行機で日本へすぐに運ばれるのだろうか?そのまま冷凍化されて旅を続けるのか。ヘリコプターで遺体がヘリポートに着くのか、そこまでは話されなかった。
昔の少年。
高齢になるに従って、これまでに出来なかった事を実現したい気持ちは誰にも有るでしょうね。田舎生まれの私の父などは田舎に疎開して故郷に戻ってからは動きたがらなかったのとは反対に、東京生まれの母はじっとして居られない性格で、しょっちゅう東京や大阪や北海道にまでやって来ていました。その父と母が珍しく一緒に私が住む札幌にやってきたのですが1週間もすると父が寝込んでしまいました。田舎の住まいは古く隙間風も入るボロ家でしたが、高齢になって環境が変わると、たちまち体調にも変化が現れるんですね。そんな父も、活発な母よりも長生きしましたが、自分の安心できる環境が一番なのでしょう。更には終の棲家と決めたところ以外では死にたくないのでしょうね。高齢になれば当然乍ら、いつかも知れない死を前提に毎日を暮らす事になるのでしょうね。
seto
高齢で豪華客船で亡くなるのは、いい死に方ではないでしょうか?うらやましいです。客船を葬儀会場と思えば、海を参列者と思えばこれほど贅沢なセレモニーはありません。ヘリコプターに一人だけ乗れるかもしれずです。今日一日を必死にまた自然に生きられる幸せを積み上げるしかないですね。一寸先は闇。
アドマン。
船旅は22~24時間ほどが限界ですね。よく乗ったのは小樽~敦賀、岩内~舞鶴、室蘭~新潟、函館~仙台、苫小牧~秋田など車を乗せてのフェリーですね。私は比較的平気な方ですが、妻は浜育ちで、実家には漁船もあり、伝馬船さえ漕げるほどで、船には強いと思って居ましたが、新潟から小樽行きに乗せた時には大型船の揺れに具合が悪くなり、急きょ二等船室から一等船室に変更し、氷嚢を用意してもらい寝込んでしまいました。激しい揺れが無いコンピュータ制御のスタビライザー付きの大型フェリーでしたが、何故か?ゆったりした揺れが苦手の様です。それ以来、家族での船旅はやめました。本州へは飛行機と新幹線や在来線で、駅前や空港でレンタカーを借りる様になりました。そんな訳で、豪華客船のクルーズなど到底ムリですね。
seto
私は青函連絡船以外、船に乗ったことありませんね。島へ渡る船はゼロ回です。いかにパニック障害が私の行動の自由を奪っていたかですね。昨年の福岡行きから自信を持ってます。妻は長崎の軍艦島までボートで行き。「みんな吐いていたわ」と平気。
最近は博物館ツアです。何万年も前にタイムスリップできて、想像力を働かせて大好きな勉強ができます。安いデジカメ探してます。アマゾンで1万以下でありましたね。博物館の説明文を写すの大変でデジカメ必用。スマホ解像度だめでした。大宰府で九州国立博物館。北海道博物館にはどこの県からいつごろ何人、入植したか地図があったように記憶。土地のカラーできましから。能登半島から渡島上ノ国町へ大勢の人が移り住んでいますよ。業業や物資の行き来が盛んだった。能登で済めなくなれば上ノ国に移住するのもひとつですね。