自己愛に苦しむ現代人(渡辺京二)
2014年8月刊・文春新書「無名の人生」で渡辺京二さんが最終章で言うことば(155p)「相手に自分の思い込みを託したり、過剰な期待をかけてしまえば、家族や友人との関係はうまくいかなくなるもの。そうならないためには《独りになる》ことを学ばなければなりません。生きるとは、基本的には独りで生きていくことだ、という自覚もどこかになければなりません」現代、子育てを例に考えると、よく言われもするが母親は子どもを自分の見栄を満たす対象として道具化して思い通りの子供にしようとする、自身の自己愛が満たされないと叱ったり怒鳴ったり、他人の子どもと比較の地獄に陥ったりして、苦しく、楽しくない家庭を作ってしまうことになりがちである。
夫についても肩書きや給与について近所の同世代の亭主との比較から価値判断を下して、夫を苦しめる。出世競争に間接的に駆り立てることになってしまう。私の周りでもたくさんの同僚が実力や人望がないのに、短い間、出世をしていき、あちこちで名刺のばら撒きをしていた人を思い出す。悲しいがそれが大方の現実で、今でもしているのかどうか知らぬが、北海道郵政局に出入りしていたとき、人事異動がされると発令文を頭より上げて、各部署回りをする儀式をしていたのに出くわしたことがある。登れば後は下るだけなのだから、初めから登らず2合目あたりでうろうろしていると、趣味や閑な時間をたくさん持てて、自己を高める勉強ができて、それは生涯の栄養になるはず。社長にでもなればどこへ行っても『社長・社長』の快感地獄に嵌る。『先生』然り。生まれるときは肩書なく無名、定年になれば再度無名になることははっきりしているのに『自分だけの趣味がない』。
そうであるから「閑な時間をどう過ごすか」で人生は決まるようにも思えてくるのが不思議だ。自己愛って、持っているブランドだったり、学歴であったり、両親の自慢であったり、子どもの優秀さを人に聞いてもらうこと?しかし、それは全部、他者から自分に返ってくる「凄いね!」なのか、妬みを交えた相手からみた聞き苦しさであったりする。サラリーマンにとってまず精神の健康を保つ健康第一は「出世など自分から求めるものではない、ということ。すべての不幸は、出世しようと思うところから始まるといっていい」(149p)ビジネス書をことごとく論破するには「出世したくない、しようと思わない」「しかし、手を抜かない仕事を真面目にする」ということだけで、十分幸せな人生、定年後が待っていることをブログでお伝えしたい。
キーワードは「閑」の時間の使い方である。パスカルは「退屈」とう表現をしたと思う。閑と退屈を楽しく独りで生きられる達人は私の周辺にはたくさんいない。必ず、他人を巻き込んで過ごしているケースが多く、まだまだ達人の域には達していない。「自己愛」を離れることで、目の前の人や花や動物や空や可愛い子どもにストレートに触れられる。
アドマン。
近所の主婦と我妻は外で顔を合わせればお決まりのお喋りが始まるのですが、たまたま私が傍に居れば聞こえて来るのは私の悪口と余計な事ばかり。その反対に他所様の主婦は旦那の悪口は一切言わず、家庭の事情の詳細などは話を逸らすから不思議とも思えるのです。つまりご近所さんは他所の家庭内の事情を聴きだすのが目的のようです。更には聞きだした情報を今度はお喋りのネタとして別な所でバラす為の情報収集の様ですね。それを知ってか知らずか、べらべらと喋ってしまう我妻の性格は裏表が無いと言えばそれまでですが、私にとっては迷惑千万ですね。或る時普段は会話の無いすぐ近所の奥さんから突然『会社を辞めたんですか?』の質問が。これまで私が毎朝出勤していたのに最近は午前中は家に居る事に気づいたからでしょう。仕方なく『家で仕事しています。パソコンで・・・』とだけ答えましたが?このご時世ですからテレワーク?とも、自営業とも説明はせず、ご想像にお任せしました。当のお宅は千歳で歯科医を長くしていて毎日夫婦で通っていたのですが廃業したらしく、奥様はカルチャー、旦那様は自宅前で大工仕事の物まねと、聞かなくても見え見えですから敢えて『お宅は?』とは聞きませんでした。近所づきあいもお互いの家庭内の探り合い、情報合戦でしんどいですね。何しろ自慢する事などかけらもない我が家ですから。とても自慢話のネタなど有りません。お喋りでの近所の主婦たちの防御態勢も、一種の自己愛なんですかね。しかし、他所様の家庭内を知る方法は思いのほか簡単な事に気づきました。大人同士は口を閉ざす事も、その子供たちは実に正直で本当の事を教えてくれるみたいです。毎朝通学する子供達に声をかけて挨拶する我妻は、情報漏洩ばかりかと思えば、驚くなかれ他人様の家庭事情をよく知っているのですから驚きです。『子供の声に戸は立てられぬ』ですね。
seto
昨日、雪はねをしていたら、向かいのご主人と立ち話。やれ毎月の年金の額を聞いてきたり、エッそんなこと聞くの?と呆れました。亡くなった父親の建てた立派な戸建てをもらい、JTを円満退社したわけで何も他人の暮らしをのぞく必要もないのにと思いました。が話はここから。(妻の買い物回数が多くて困ると愚痴)が出ました。自分はパチンコをしているわけでどっちもどっちです。買い物はストレス発散と言いますから。ご主人といるとストレスたまるかもね。どこの家の中も覗くといろんなことがありますね。しかし、日本中の犯罪の温床はその家庭にあるわけで、育て方や親子関係。夫婦ケンカなど原因はありますね。他人同士が住んでいるわけで、問題山積ですよ。ガマンくらべ。
坊主の孫。
自己愛ですか?皆んな自分を愛してるんでしょうね。しかし愛だけでは生きられませんから、そこに利害や暮らしも絡んで複雑に成っていますね。人の考えもそれぞれで、どれが正しくて、どれが間違っているなどの判断は難しいですね。教科書や書物に書かれていたからとか、偉い人が言っていたからとか、自分はそう思うからお前も思えとかではなく、自分自身の可能な範囲での自己愛とでも言うのでしょうか。例え、それが他人様から見て納得出来なくても、その本人の生き方に誰も関わる事はできませんし、また関わるべきでは有りませんね。皆がサラリーマンばかりでも無く、人それぞれで、同じ生き方では無いからです。置かれた環境や立場によって人は個々に生き方を模索する事しか出来ませんね。先ずは取敢えず、他人様を羨む事を辞めるだけでも楽に生きる事が出来るでしょうね。どんな偉い肩書を得ようとも、晩年は皆んなタダの年寄りですからね。遅かれ速かれ再びスタートラインに戻るだけですから。
seto
自分を好きでないと他人を好きになれないとも言いますね。自己嫌悪の強い人が恋愛にはまるととめどもなくなるとも。こればっかりは自分で体験しないといけません。結婚は現実の始まりです。晩年ももちろん現実、それもかなりきつい現実ですね。一人で生まれて一人で死んでいくという生物の厳粛な事実があります。しかし、病気や戦争や事故やで亡くなることは避けたいし、ずっと先に持っていきたいです。お悔やみ欄に、高校時代のクラスメートの名前を見つけました。油絵が上手な静かな男でした。