文化とはすべてが忘れ去られたのちになお残るもの
「人類はまさに途方もない存在です。火を発見し、都市を建設し、見事な詩を書き、世界を解釈し、神話の神々を絵に描きました。しかし同時に、同胞を相手に戦争を繰り返し、互いに騙しあい、環境を破壊し続けてきました。知的で崇高な美徳と低俗な愚行を合わせて評価すれば、中ぐらいの点数になります。したがって、愚かしさをテーマに語ろうとは言ったものの、これは、半分天才で半分馬鹿という、この人間という存在に対するオマージュなんです」≪もうすぐ絶滅するという紙の書物について≫(ウンベルト・エーコとジャン・クロード・カリエールの対談・序文 阪急コミュニケーション刊行)
「薔薇の名前」で読書界と映画界に新鮮な切り口を与えたイタリアの記号論理学者ウンベルト・エーコ。中世(12世紀)の教会を舞台に次々起きる殺人事件を異端審問員役のションコネリーがシャーロックホームズ並みに謎解きをする。
時代考証(美術)も素晴らしい映画であった。ジャン・ジャック・アノー監督だったと思う。アリストテレスの書いた「笑い」をテーマにした本をめぐり、秘密裏に読み楽しむ独身修道士たちが次々死んでいく話だ。謹厳実直な修道士にとって、笑いはタブーで舌舐めつりで笑いのページをめくるとそこに毒が塗られていることが判明、犯人は大図書館の館長であって、最後は壮大な炎で包まれて書庫及び教会が崩れ落ちる話であった。知的宝庫としての図書館。当時の建築の材質は木造でもあった。
キリスト教では「笑い」とか「愚かさ」とか「エロ」はタブーなのか?≪もうすぐ絶滅するという紙の書物について≫は約450ページあるので。これを1000文字にまとめることはできないが、慣例で15章の表題のみ書かせていただく。わかりづらい題名もあるがご勘弁を。大体の流れはわかるはず。結論からいえば、CDロムやデジタルでの保存は非常に劣化が早い。むしろ紙としての書物の方が湿度さえ保てれば、長生きするという≪紙の書物≫への見直しを説いている。第3章までしか読んでいないが。
1 本は死なない
2 耐久メディアほどはかないものはない
3 鶏が道を横切らなくなるには1世紀かかった
4 ワーテルローの戦いの参加者全員の名前を列挙すること
5 落選者たちの復活戦
6 今日出版される本はいずれもポスト・インキユナビュラである (注:インキュナビラとは15世紀、グーテンベル
グ以降の活版印刷全般を指す)
7 是が非でも私たちのもとに届くことを望んだ書物たち
8 過去についての我々の知識は、馬鹿や間抜けや敵が書いたものに由来している
9 何によっても止められない自己顕示欲
10 珍説愚説礼賛 (注:エラスムス痴愚神礼賛のパロディーか)
11 インターネット、あるいは「記憶抹殺刑」の不可能性
12 炎による検閲 (注:華氏451のレイ・ブラッドベリのSF本を想定しているか。トリュフォーの映画あり)
13 我々が読まなかったすべての本
14 祭壇上のミ典書、「地獄」にかくまわれた非公開本
15 死んだあと蔵書をどうするか
ギリシャ哲学もイスラム教徒が保存をしていなければ、西欧に伝わることはなかった。ギリシャ語→アラビア語→ラテン語という順番で翻訳・伝搬された。西欧文化を支えたアラビア、アラビアのおかげで西欧文明が花開いた。この歴史を何度も何度も反芻する必要があるのではないかと思う。
アドマン。
紙も文字も人間が発明したものですね。一方新しいメディアも数年で大きく変わり、最早使われなくなったマイクロフイルムとかCDやMDがDVDやUSBに代わり、これさえも何時消えるのかも分かりません。これらのメディアはPCを介さなければ見たり聞いたりできませんからPCやプレイヤーが必要ですね。書物はかさ張りますが、PCなど介さずにダイレクトに読めますからシンプルですね。カラオケなども大きなディスクを使って居たのですが、今やWeb配信ですしメディアはインターネットですね。AI時代の到来で辞書も無くなり、社会はペーパーレス時代と成りつつあります。しかし、極端すぎると思われる事があちこちで起きて居ます。暇な国会で余計な法律2024年問題などを作って運転手不足も?手伝って公共交通の筈のバスが減便になりターミナルにはたった一枚の時刻表が表示されているだけで紙の時刻表の印刷は廃止されました。昨日も寒いターミナルの待合室でおばあちゃんが何時も乗っていた時刻のバスが亡くなって居ると途方に暮れていました。高齢者に優しくない時代になりました。たった1枚のA3判程度の断り書きに時刻表の印刷を失くしたと張り紙して有りました。バスの連絡も10月から急に悪くなり、待ち時間が長くなりました。時刻表は無駄な紙でしょうか?あれで随分重宝してバスでの各路線乗り継ぎも出来たのですが、ネットで調べろと言うのでしょうね。スマホの苦手な人にはムリですし、印刷費削減のしわ寄せを個人の通信料に頼るとは?全く公共性無視ですね。無駄を省く発想以前に必要な物は残す事を優先しないといけないですね。
seto
最終消費者への丁寧さや親切が公共空間からなくなりつつあります。幼稚園児からおばあちゃんまで見れる・理解できる工夫をしないといけません。市役所やそこで働く日常の延長で現代社会を考えると、いまに大変なことが起きてしまいます。JRも保線で人を減らし、外部に作業を安く丸投げして、事故や事件の回復遅くなり、多大な迷惑をかけています。効率や節約思想が、後々とんでもないツケを払う時代になってます。札幌市営バスも中央バスに丸投げしたのはいいが市営の交通ICは他都市と互換性なく勝手に自己本位で開発、ミジメなICカードになってます。しかもその開発費を中央バスに押し付けて、高い給与をもらう交通局員。中央バスの職員は同じ仕事をするのにその給与の高さにびっくりしてました。バス停の時刻表はスマホで自分で調べろとは傲慢な市の施策。市民に優しいではなくて、市職員(正社員)に優しい、市職労と彼らから支持を受ける市長や市議会銀のための札幌市に変貌してしまいました。
昔の少年。
文字を書く事が恐怖です。或る人から退職の際にプレゼントしていただいたお気に入りのモンブランのボールペンも壊れたまま修理にも出していません。描く事が無くなったからです。PCにばかりスマホばかりに頼ってしまっているからです。漢字を書く際に自信が無くなりました。読む事は出来ても書く事が不安です。かつては1級の資格を持って居たタイピストだった妻も仕事が無くなりました。ワープロからPCになって素人の皆んながタイピスト化してしまいました。私と同様に漢字を書けなくなった人は多いと思いますね。漢字検定なんてありましたね。今も有るのでしょうか?。書類や手紙やハガキなど書く機会さえ残って居れば、こんな事には成らなかったのでしょうね。
seto
漢字検定はいまもあります。娘は持ってますよ。孫も漢字が好きで挑戦しています。小学生や中学生はメモ用紙で手紙ごっこをしてます。ときどきシマエナガのメモを送ってます。時代のキーワードは「かわいい」ですから、文具などかわいい商品開発が続いています。これからクリウマスやお年玉袋探しですね。先日、こちらは九州へ送りました。
いつもニコニコ現金払い主義者。
新札がでましたね。見事な印刷ですが、これが電子化されてしまえば造幣局も無くなるんでしょうね。仮想通貨は今一つ理解できませんが、紙幣も硬貨も無くなるんでしょうか?スマホが全てお財布代わりとなればウッカリ置き忘れも出来ませんね。願望としてはお札の印刷は残して欲しいですね。
seto
紙幣や硬貨は亡くならないと思います。スマホでお金を払ったり、買い物で高価なもの以外はカードを使わないので現金主義です。停電なっても使えます。
グラフイックデザイナー。
四半世紀前までは紙を相手にデザインの仕事をしていましたが、突然!PCが現れました。当時は面食らいましたが、取り掛かっても当時のPCや周辺機器の能力も低く200万円ものセットもモノに成りませんでした。転機は長年勤めた会社の倒産劇でした。大通りに事務所を借りて登記書類も自作で会社を立ち上げましたが仕事も殆ど無く、毎日事務所のPCで遊んでいました。幸か不幸か暇が功を奏して2年ほどすると何とか手探りでPCを使えるようになりました。それからは紙にポスターカラーや写植を貼る仕事ではなくPCでの制作作業に変わりました。しかし、当時も中々PCに馴染めず嫌う同業の仲間たちも大勢いましたね。あれから四半世紀で各所でペーパーレスなどが叫ばれて居ますが、無駄を省く事は賛成ですが、必要な物まで紙を失くす必要は有りませんね。昨日も書店を覗くと以前にも増して書籍は多くなったようにも見えましたよ。
seto
きょうも午後から本屋へ行きますが(美しが丘)凄い人です。クリスマスでプレゼント本選ぶ人たちが多いのでしょう。子どものころから紙の本を触る、めくる習慣を植え付けておけば紙の文化はしばらくなくなりません。最近、捨てられる本(ボランティアで中古の捨てられる本を整理)を見ていると、茶道や書道、日本の歴史など全集本が捨てられてます。ある世代が身辺整理している気がします。PCは、ワープロもそうですが生理的な嫌悪感のある機器でした。27歳から営業畑まっしぐらの人生でしたから、毎日、数字をどうやってかさ上げ、儲けを増やすかの毎日でした。