親の平均年齢が上がるとともに、遺産相続を受ける子供たちの年齢も上がり、いまでは67歳くらいで遺産を相続する人が多いと言う。お金が高齢者同士の間で回っていて、若い世代には落ちてこない構造だ。

遺産を早めに生前から動かせるように、子供の住宅取得のためなら幾ら幾らまで無税とか、孫の教育費に使うなら信託を利用して、早めに高齢者のお金を社会に吐き出させる工夫をしても、高齢者はなかなか使わない。貯める。貯める。目的は将来の漠然とした不安。100歳を超えた金さん銀さんもテレビや取材で儲けたお金を貯める理由を「老後の心配」と言っていたからね。

低金利の世の中だから金庫・金庫だ。お金を使うのは難しい。使い方でその人の価値観が現れる。しかし、いまの高齢者は日本が貧乏な時代を骨身に滲みて知っている。亡くなった父親を思い出しても、貧乏ゆえに進学を断念して満州へ渡った。ここまで地味な生活をするのかというくらいに、生活レベルを上げなかった。定年と同時に小さな家を買い、車も持たずにバスと電車とタクシーを利用した。

そのお陰で、私を含めて3人の兄弟は、親の老後には一切、お金の心配と財産トラブルは発生しなかった。感謝している。父親が亡くなり、財産名義はすべて母親へ。郵便で兄弟間で財産放棄の印鑑を押し合った。聞くところによると、ここでも、それぞれの家庭事情(子供の進学・入学が多い)で印鑑を押さず、早めに遺産が欲しいと主張する兄弟もいる。しかも兄弟間で発生した財産を巡るトラブルは生涯にわたって付きまとい、死ぬまで続くから厳しいものがある。赤の他人よりたちが悪い。

ひとつひとつの家族で事情は全部違うので平均的な解決がありそうで実はない。聖人君子の集まりならともかく。こういうとき一人っ子って得するように私には見えるがどうだろうか。私の世代は大学進学する者、できなかった者、教育にお金を賭けられない家庭も身近に多かった。親の遺産の話はまるで天空の話かと思っていたら、いつのまにかそこに関わる年齢になっていて、遺産を受ける当事者に60歳を超えてなった。しかし、そのときはふたりの子供も大学を出て働いていた。住宅ローンも終わり、借金ゼロだった。ラッキーな人生だ。

知り合いで、私の住む団地外れの実家の水田を不動産会社へ売却して、特養老人ホームへ500万円寄付した篤志家もいる。なかなかできることではない。こういう使用目的が明確な寄付っていいなと思う。申し訳ないけど、赤い羽根募金など市町村自治体の天下り先の人件費に使われるより、意義ある寄付行為だと思う。隣町の保健部長が定年でJRで赤ら顔で会った時、次はこの町の社協の事務局長に就任すると威張っていたのを見ていたから、新鮮な行為に思える.

定年後、お金の使い道がなくて、海外旅行ばかりしている人もいるし、高級車を乗り回しているのもいるが、少数だ。日本には「親のいない児童」が3万人暮らしている。日曜深夜、日テレで「ママに会いたい」を見ていた。いろんな事情で親が育てられない子どもたちが集団で暮らしている。こういう施設に、もう遺産は要らない60代が隠れて寄付できる制度が出来ればいいなと思う。1000万円以上なら、その恩恵は特養老人ホーム優先入居権利。

お金は高齢者間で回る以上に、実はお金持ち同士で回ってるのが正解かもしれないなと思い直す。そして、お金は「トリクルダウンしない」。そうなると思うのは、自分がお金持か、既得権を太く持って甘い汁を吸っている人の言うことで現実は、貧は貧の連鎖を生んでいるだけだ。毎日入る東京弁護士会の過払い相談チラシ。融資先が先細りの都銀や生保が融資先で一番確実は、自社系列の消費者金融だ。ネットで無審査融資をするなんて、昔のサラ金地獄より怖い。

平均67歳で親の遺産を享受する人もいれば、コンビニ経営失敗で累積1500万円の融資を本部から受けていて、その返金を迫られて実の母親に老健施設で「早く母さん、死んでくれ。」と耳元でささやいた遠縁もいた。酷薄だ。金で人間狂う。ほどほど、普通。そこがわかりにくい。スマホで審査なしで簡単にお金が振り込まれる時代、しかし、簡単に返せない。時計やカメラの実物を持って行き、お金を借りる質屋が健康的な借り方だ。20代のころバイトをしていた会社で「1万円、貸してくれ、おれのジャケットを代わりに置いておく」と。数年後、彼が現れて1万円を返しにきたので預かっていたジャケットを返したことがある。私が質屋機能をしていたのだ。

 

  1. 喰えない時代(20代)の大阪で質屋さんにはお世話になりましたね。その頃の質草はトランペットでした。考えて見れば質草があって良かったものの、無かったとしたら?と今考えるとゾッとしますね。都会は何でもお金ですから、お金が無ければ身動きすら出来ませんからね。そこで考えたのが自転車です。今で言うママチャリですが、500円だったか?誰かに無償で貰ったか?定かでは有りませんが、毎日のバス代の節約に自転車に乗りました。きつい坂では大変でしたが帰りの下り坂は快適でした。下宿代も当時3,500円程でした。食費は200円でライス+餃子+タンメンと安い食堂に助けられました。お金に困れば質草持参で路地裏の質屋さんに。やや常連になって親爺さんも親切で9,000円を貸してくれ助かりました。質草は流さないで一か月後に必ず現れる、どこの誰とも知らない私を信用してくれました。そんな人たちに助けられお金の無い暮らしを支えてくれました。今では懐かしい下町の人情と言う訳ですね。一方、当時からお金持ちはスポーツカーに乗って居ましたからね。しかし、昔は、お金が無くても何とか暮らして行ける方法がありましたね。今になって不思議に思うのは?そんな貧乏暮らしなのに?なけなしのお金で画材を買い、京都まで電車でスケッチに何度も行ったり、有名ミュージシャンのコンサートに行ったりと、独身とは言え、今以上に楽しんでいた事です。今は身に回りの事にお金ばかりが掛かって昔と違って自由に身動きすら出来ない時代です。家を持てば固定資産税、火災保険や地震保険、リホーム代、社会保険、住民税、生命保険、車を持てば自動車税、車検、車両保険、修理代。クルマを止めても公共交通機関利用とすれば交通費値上げと便利な都心より郊外の方が経費が掛かりますね。暮らしを楽しむどころか?苦しい時代になりましたね。気楽な年金暮らしを夢見ていた高齢者の多くの方々も目算が狂って困っている事でしょうね。財産や貯蓄の有る方々以外はね。

  2. 父は戦災で人生が変わってしまった人でした。生まれ故郷の田舎に疎開したまでは良かったのですが、山や田畑や実家の母屋や土地など全てを弟のおじさんに譲ってしまっていたからです。東京で築いた財産は全て焼かれ、土地すら誰の物か分からない状態で手放さざるを得ず、それでも田舎の暮らしは食料の自給自足が可能なだけに何とか暮らして行けた訳です。農業や林業など田舎では自ら身体を動かさなければ暮らして行けません。何でもお金が必要な都会と違い、例え田畑が無くても借りてでも作物は作れますからお金よりも人と人との繋がりが大切に成ります。田舎暮らしは狭い社会なりに良い所もありますから、遠い親戚の空き家を年間家賃3万円で借りたり、田畑も格安で借りて凌いだ訳です。人は何故か都会に流れる傾向が続いて居ますが、この辺りで、せめて田舎が有る人達だけでもこれからは回帰する事が望ましいと思いますね。猫の額ほどの都会の土地で暮らすより健康的かつ経済的でもありますからね。便利さ優先で都会を知る事も大切ですが、長く住むには自然を感じる田舎も良いですね。少し不便ですが、その分、心身ともに健康にもなれますね。

    • 4月16日から1週間、中津、4月30日から1週間中津にいると、この町の道路と畑の狭さやややこしさに北海道で暮らした人なら複雑で嫌になります。軽自動車以外、住宅街でははしれませんね。同じ田舎でも雄大な北海道に来て欲しいですね。牧歌的というより、昔の部落的な要素を強く感じましたね。一度、そこに住むと離れない人々が多いですから、自然とうわさ話や部落の話に詳しくなってしまいますね。そんな中津体験でした。

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