人間にとって欲することがすべてかなうのは、さほどよいことではない(精華集よりヘラクレイトス)
「ソクラテス以前哲学者断片集 1巻目」(334p)に、見つけた1行だ。ヘラクレイトス(B)の項目でストパイオスが聞いたヘラクレイトスの言葉。「人間にとって欲することがすべてかなうのは、さほどよいことではない」。出世、権力、金、美女、豪邸、尊敬、名誉、健康、家族や兄弟間で不和がないこと、全部満たしたと想像してみてほしい。どうだろうか?ほかに、平和や失業の恐怖がないことを欲することかもしれない。しかしだ、人間には生きられる時間があり、すべてを捨て去るときが100%来る。忘れていたが、不死への欲望もそういえばあった。絶対権力を持つと、ほぼ不死の欲望に取りつかれるらしい。秦の始皇帝しかりだ。現在のプーチンやトランプ、習近平もきっとそうだ。
それにしても、一度でいいいからそんな欲望の一つや二つを獲得してみたいものだと思うのも真実。昨年4月30日に亡くなったジャーナリスト立花隆さんの特集番組がNHKで放映していた。本のない猫ビルの彼の仕事机に骨壺が置かれていた。無でいいいと言い残して。立花隆さんがインタビューアーに書棚を示したのが「ソクラテス以前哲学者断片集 全5巻」(岩波書店)であった。
私の恩人も昨年、脳梗塞で亡くなったが、好きだった落語や新聞、クラシックのCDにも全く興味を失い、そうこうするうちに年末喪中はがきが届いた。奥さんの話では「もう何も欲しくない、誰とも会いたくない」を繰り返していたと言う。4度目の転職で仕事を探していた33歳の私を68人の中から採用してくれた恩人だ。
ヘラクレイトスの言葉に戻ると「人間にとって欲することがすべてかなうのは、さほどよいことではない」の「さほどよいことではない」は絶対ダメとも言っていない、微妙なニュアンスだ。言外にそんなことは望んでも無理難題だよと言ってるのかもしれない。俗世間でしか生きられない私は一場の夢を見ながら、高望みせず、他人から羨ましがられないような平凡な人生を歩みたいと思う。思うというより現実がそうだ。それにしても人生は思うようにならないものだとつくづく思う。