雨宮処凛著『生きづらい世を生き抜く作法』(あけび書房)で飼い猫2匹を見ていてもらした感想。とにかく、常になんらかの形で上昇していないと人生そのものに意味や価値がないという強迫観念に多くの人が囚われている。

何でももっと多くのお金を、肩書きを、もっと早く、もっと高く、もっと成績を、もっとたくさんの国を旅する、もっとレベルの高い私立中学へ、もっと綺麗な奥さんをもらいたい、もっと売り上げや利益を、もっと有名になって、もっと得票数を、もっと美味しい寿司を食べたい、もっと演奏が上手になる、もっと燃費のいい車を、もっと健康に・・キリがない。広告の世界で蔓延しているコピーは必ずこの観念を多用している。現代都市社会の国境を越えた病気の様相だ。

ネコを見ていると、いつもと同じご飯があり、いつもと同じ場所で昼寝ができれば文句はない。野良猫の襲撃には戦わないといけないが、それ以外はごろごろしている。ネコを飼う人が多い背景にそうした『もっともっと』の社会や人生観に疲れた人々が吸い寄せられてるとしたら、まだ世の中は救われるかもしれない。change is goodではなくて、ネコの人生観は『毎日、同じであることが一番のしあわせ』。毎日、同じであっても自然に時間の経過とともに老いと死もくる。それも自然に受け入れて、飼い主から見えないところでひっそりと亡くなる。医療費も介護もかからず。最近はしかし、ペット保険に加入して動物病院での手術費用や薬代金の半分を出してもらい『助かるよ、この保険は』と言う知人もいた。

『もっと○○○』の強迫観念があるから、人類の文明は進歩(?)した、産業革命を起こした、教育で切磋琢磨が生じた、競争社会が新らしい発明や発見を促した。そういうプラス面もある一方で、落ち着きのない人間が跋扈してしまった、ゆっくり生きてるとひとり取り残される、たとえれば徒競走で『ヨーイドン』しても、スタート地点から動かない、そこが居心地がいいからという理由で。企業にとってはお荷物でも人類にとっては宝物のような人材かもしれない。飼い猫のように。なぜなら、周りの人間たちに『安らぎを気づかせる』存在としての意味はあるからである。

もっと(副詞)・・・以前の状態よりさらに程度が上向く。程度が前と比較して良くなる事。

この価値観は、幼少のころから家庭内でも幼稚園でも教えられることではあった。『比べる』『比較する』という価値観が当たり前のような時代、ネコの生き方には学べることが多いなと筆者は思う。

  1. 子供の頃、築200年以上は経っているであろう田舎の古民家が我が家でした。冬場になると母は13人の兄弟姉妹の住む、生まれ故郷の東京へ行くのが常でした。後で知ったのですが、田舎では収入も無く、東京の大病院の付き添い看護に行っていたのだそうです。そんな訳で、過去には東京で商売していた父ですが、戦争で全てを失った東京が大嫌いになったらしく冬は私と父の二人っきりの時間が多かったですね。家に居る間はいつも囲炉裏を挟んで何をするでもなく、ポツリポツリと話をするだけですが、焚火は安らぎます。そんな或る日の事、一匹の野良猫が我が家の野菜貯蔵場所から生のジャガイモをかじっているところを父が見つけました。一瞬逃げたようですが、優しい父は味噌汁を掛けたご飯をその場所に置いてあげたのです。それから徐々に囲炉裏の近くに餌を置き、すっかり安心した猫は良く見ると片手の先が有りませんでした。山を歩いている間に餌を見つけたのが運悪く獣を取る罠だったようでそれに片手をちぎられたようです。少し慣れたところで手当てをして包帯など巻いてあげました。それからその雌猫はすっかり我が家に居つき私の膝の上にも乗るまでになりました。名前はトラです。ところがそのトラは多産系で次々と子供を産みました。それが、産気づくと私を二階の藁を積み上げたところに誘導して子供を産むところを見せるのです。つまり性教育を飼い猫に教わった訳です。すっかり家族になったトラの子供は次々と隣村などに貰われて行きましたが、一時は10匹も居て、鶏が居なくなった鳥小屋に手を加えて猫小屋にしたのでした。鶏用ですから金網が張られていて扉は有るものの子猫を守るために鍵をかけ親猫だけがジャンプして上部から出入りできるようにしました。内部には一面に藁を敷いてブランコやシーソーを作りました。子猫たちは一匹、二匹と貰われて行ってトラだけは我が家に住み着きました。私が実家を離れて遠くの全寮制高校や大阪に行った後も父になついていたようですが、何とたまに帰省すると、私の足音の気配だけで、何処からともなく飛んで来て、例の囲炉裏の指定席に座ると膝の上で爪を立ていつまでも乗っかっています。最初の出会いの恩を忘れないのか、すっかり家族の一員になったものです。そんなトラですが、或る日突然姿を消してしまったそうです。ゾウの墓のような猫の墓が有るのかどうかは知りませんが、野生の猫は最後が近づくと一人ひっそり居なくなるものです。札幌に移住して数年後にまた同じトラ猫が我が家の庭に頻繁に現れるようになりました。まるで田舎のトラの生き写しでそれも雌猫でした。子供達が毎日来る猫にこっそり食べ物をあげていたらしく、家の中にまで上げたのか大分慣れていたようですが、家内は野良猫を家に上げて触るなんて、と水をぶっかけたそうです。それでも毎日現れるので、とうとう子供達に負けて餌をあげ家に入れてあげました。変な話ですが、私は田舎で居なくなったトラがはるばる訪ねて来たのでは?とさえ考えたものです。全く同じトラ模様で余りにもソックリでしたから。しかも子供を二度産みましたから数匹は貰い手がありましたが、親猫と子猫二匹を長く飼って居ました。家族同然でしたが、?しかし親猫は野性の習性か?ある朝、私が出勤する為に玄関ドアを開けた瞬間、どこかに居なくなってしまいました。あれほどなついていた筈のトラが?しかも自分の子供達にまで行き先を言わずに。野生の猫の潔さと完ぺきな生き方に感動でしたね。人間にもゾウや猫の墓が有れば良いのですが。

    • はじめて聞くトラ猫の話です、いい話ですね。最後の潔さは、最初から遺伝子に組み込まれている生き方「死に方」なんでしょうね。動物や昆虫にも死の恐怖はありませんね。人間に近いチンパンジーでも恐怖はないでしょう。実家でたくさんの猫の面倒をみていたんですね。札幌に現れたトラ模様の猫が、以前飼っていたネコにそっくりなのは奇跡みたく思えます。私もひっそりいなくなりたく思います。自然の中で猫がなくなると、カラスたちが食べるんでしょうね。お父さんとのいい思い出ですね。

  2. 現代における猫と人間の関係は、単なる「ペットと飼い主」という枠を超え、深い愛着と相互作用に基づく共生関係へと進化しています。猫と人間の関係性の進化と歴史的背景と言えば、約9500年前、農耕文化の発展に伴い、猫はネズミ駆除のパートナーとして人間と共に暮らすようになったようですね。猫は古代エジプト時代辺りから、この世に存在していて、しかも古代エジプトでは神聖視され、位の高い人間同様、ミイラにされるほどの存在だったようです。しかし現代では猫は世界中に多数存在し「家族の一員」として扱われ、愛情と信頼に基づく絆が形成されています。猫自身は人間を「大きな猫」として認識している可能性があり、対等な関係性を築いているとも思われている可能性大ですね。それだけ近い関係性もあって、私達人間の目からは、親近感の中にも、大胆かつ安らぎの象徴のように映るのでしょうか?。羨ましい猫の世界ですね。

    • 人間を大きな猫と認識しているネコっていい感覚ですね。エジプトでの猫の扱いは神聖されてました。マイペースの猫の生き方で、主従関係を犬みたくつくらないのがいいですね。縦関係をつくらない、人間が学ぶところです。

  3. 猫のルーツ(日本への伝来)を調べると、一説では 飛鳥時代に中国から持ち込まれたとされていますね。日本には飛鳥時代に(7世紀頃)中国から仏教が伝来。その経典をネズミから守る目的で寺社で猫を飼うために持ち込まれたとも伝えられています。仏教と深く関係しているようですね。だから家庭でも大切に飼われているのかも知れませんね。江戸時代にも猫ブームがあったそうです。江戸時代には庶民の間でも可愛い猫が大人気となり浮世絵のモチーフや招き猫など文化的にも深く根付いたようです。
    猫って、ただのかわいい存在だけじゃなくて、意外にも大役を背負って壮大な進化と人類とのドラマの演出の名脇役なんですね。

    • 犬は以前飼っていましたが、猫はありません。ネズミ対策でネコを飼うのは万国共通なのでしょうか?娘の家でネコを飼っています。真っ白い猫です。一人っ子なので妹代わりです。白いのでユキと名付けています。床や布団、白い毛の掃除で大変です。

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