これまで、豚肉の歴史など、食材の歴史シリーズを出している原書房の本を借りてきた。

私の知り合いも近所で50ヘクタール(広さが実感できない)の農地を耕していて、札幌でのサラリーマン暮らしを辞めて農家を継いだわけである。きっかけは、草取りのバイトに筆者が応募し、農業の話や政治や将来の日本農業やTPPや雑談がきっかけであったが、その真摯な姿勢に打たれて、肉体労働は2日間でダウンするが、『何か、彼のために役立られれることはないか?』と欲を出したわけである。

偶然、札幌で飲食を経営する会社の役員と面談させたら、地産の食材を品数多く作って欲しい旨の要望に彼は『やりましょう!』と即断した。ビニールハウスで実験栽培したレタスは北海道を次々通過した台風並みの雨風で全滅したが、一番作付け面積の多い『ジャガイモ』は、全部収穫に漕ぎ着けた。紹介した飲食店のほぼすべての店のジャガイモは彼の農家から仕入れたものである。

実は私の父もニセコ町(旧狩太・カリブト)で生まれ、ジャガイモ農家に生まれたが次男であるため尋常小学校を出て、貧乏であるために、教員への道を諦めて満州へ渡った。温暖な土地なら『米』を作れるだろうが、寒冷地の北海道に向いた作物として選ばれたのが、貧弱な土地でも1本の苗から収穫の多い『ジャガイモ』であったじゃがいもの花と羊蹄山

寒冷地のアイルランドやスコットランドから移植された。北海道では馬鈴薯とも言う。鈴なりに成る薯(イモ)で馬に引かせて収穫したから馬鈴薯と名前がつけられたのか?『ジャガイモ』について語ることは、私にとっては78歳でトイレで脳梗塞で急死した父の面影を思い浮かべることでもある。しばらく『ジャガイモの歴史』に付き合ってください。

知ってのとおり、ジャガイモは南米原産の野菜で、人類の祖先がアメリカ大陸へベーリング海峡を1万6000万年前にやってきて、西部海岸に沿って南下して1万4000年前にチリ南部に到達した。初期のアメリカ先住民は食用にさまざまな野生植物を食べて生きてきた。その中で、南アメリカの全域、中央アメリカ、北アメリカの南西部に広大に生育していたのが『ジャガイモ』で235種もあった。これほど野生種の先祖を誇る植物はない。ダーウィン流に言うと多品種であるがゆえに生き延びる可能性に適した、どんな天気であっても強いものが今日まで続いてきたということになろうか?

特にアンデス山脈は世界最高峰の山々が連なる。平らな土壌や肥沃な土壌がない。アンデスの農民は山の斜面に段々畑を作り灌漑用水路を作りたくさんの品種を育てたが、中でも『普通ジャガイモ』が世界中のスター食べものになった。その成功は約1万年前、チチカカ湖盆地でアンデスの農民が栽培に成功した。世界中で農業に最も不向きな土地で、ジャガイモイが人間の主食になった。

日中は暑く茎の成長を促し、夜は寒く根の成長を促して、それが根にたくさんのジャガイモを作ることになった。気に入ったジャガイモの苗は次の年に植えて(クローン化)200種類のイモを作っていたのだ。1万年前の話だ。さらに肥料としてアルパカやリャマの糞を土壌に入れて肥料にして収穫を増やした。さらに南米の原住民は飢饉になっても、ジャガイモを何年も非常食として備蓄する方法も考え出した。ジャイモを冷凍乾燥させ、食べるときは水で戻したり、粉にして焼いてパンにしたり、スープにして食べるのだ。チューニュ(乾燥ジャガイモ)の誕生である。リャマの背に積んで標高の低い土地へ行き、トウモロコシ、コカ、キャッサバと交換する。

アンデス文明の起源は4500年前にさかのぼるがこの時期の土器にもジャガイモを象(かたど)ったものがある。紀元1200年ころ、少数民族インカ人がアンデス山脈の近隣部族を吸収していく。最盛期には900万人から1500万人の人口を擁したとされる。不思議にインカ帝国には税金がない。その代わり肉体労働で土木事業に従事する義務がある。倉庫づくりも大事な仕事で、そこには数年分のチューニュ(乾燥ジャガイモ)を備蓄した。インカ帝国でもっとも大事な農作物であった。

第二回は、ここにスペイン人たちがやってきてヨーロッパへ伝わっていく話だ。そして、それが北海道へ伝ってきて、今日のポテトチップスや道産土産カルピー『じゃがぽっくる』の話までいくといいが。(千歳のカルビー工場見学は大人気で早めの 予約が必要。)ジャポックルの原産ジャガイモは十勝の契約農家が作っていて、今回の台風被害でピンチである)

mig

  1. 馬鈴とは馬の首につける鈴のことで、ジャガイモの丸い形がその鈴に似ていることから名付けられたという説があるそうですね。この言葉は意外にも中国語にも由来していたようで18世紀の中国の文献で馬鈴薯はマメ科のホドイモを指していたともあるそうです。また江戸時代の学者:小野蘭山が1808年にジャガイモを「馬鈴薯」と紹介したことで日本でもその呼び名が広まったとも。では?何故北海道で、その名が定着したのでしょう。北海道は開拓により広大で肥沃な土地に恵まれ明治以降、ジャガイモの栽培が本格化し、農業用語や公的文書で「馬鈴薯」が普段から使われていそうで、その専門的呼称が農業国北海道では一般的に広まったようです。私も北海道へ移住以前には「ジャガイモ」という呼び名しか知らず「馬鈴薯」に慣れるまでにやや掛かりました。しかし北海道に限らず、馬鈴薯は農業や食品業界では専門用語として普通によく使われているそうです。また、北海道でも地域によっては「ごしょいも」や「にどいも」などの別名も存在していたようですね。同じ農産物のトウキビも本州ではトウモロコシと長ったらしい呼称が一般的ですね。しかし馬鈴薯にしてもトウキビにしても北海道産の農産物も海産物も味が良いので全国の物産展では大モテですね。これも北海道の農業や漁業に従事する関係者の方々の日ごろの努力の結晶でしょうね。そして日頃から新鮮な食材に恵まれている私達道民は幸せですね。感謝です。でもいずれも自然相手の仕事ですから、環境問題も真剣に考えなければいけませんね。

    • 昨日、ジャガイモ農家のご主人とメールしましたら、順調そうな作柄のようです、何よりです。20キロキタアカリを予約しました。安くて美味しい作物があれば飢えから遠くなるだけ嬉しいです。種芋を翌年に蒔くのですが、その保管や農業は苦労に耐えません。インカ帝国で作っていたイモをヨーロッパに持ってきたと言いますが、すでに中国当たりで食べていたかもしれません。昔の少年さん、詳しいジャガイモ話、参考になります。ありがとうございます。

  2. ジャガイモと玉ねぎなど北海道の農産物が大好きです。中でもジャガイモは元々大好きで男爵やメ―クィーンなど、どれも美味しいですね。一昨日はポテトサラダを、昨日はカレーにと毎日食べても飽きません。丸焼きにしてバターや塩でシンプルに頂くのも絶品です。ジャガイモは貯蔵していると直ぐに芽が出るので、目を取る仕事は大変ですが、万一シナビても水に浸けて置けば元に戻りますから、捨てる事が有りません。お米も農家から直接沢山買って居ますが、そろそろ底をつきそうです。しかし、お米が無くてもジャガイモだけでも過ごせそうな私です。

    • 私の父親の実家がニセコでジャガイモ農家でした。親戚もビート畑を経営していたり、羊蹄の山とともに親父を思い出す作物です。とにかく用途の広い作物で欧州でも飢饉に強い作物として各地で作漬けされたんですね。ヨーロッパは寒冷地ですから、北海道と同じにジャガイモに適応でした風土で、移植しやすい品種を選んできたんですね。

  3. バイト感覚で農家の方々の大変な仕事の真似は出来ませんね。しかし貴殿の違った目線での協力やアドバイスは見事ですね。自然相手で思い通りにはいかないでしょうが、ヒントは従事者も求めているでしょうね。これからもお話のお相手になって差し上げて、いろいろなアイディアを提供してあげてくださいね。お得意のお喋りが、きっとお役に立つ筈です。

    • 大きな土地を持って、農業に夢を持って生きている青年と話すと私の大脳も耕されます。イチゴへの挑戦もあるのですが、目いっぱいですね。アスパラで商品化できないやつを大量にもらったことありますが、めちゃくちゃ美味しい。取り立てですから。イモでも肥料の加減で味が農家ごとに違います。社長に聞いても、どこがどう美味しいのか詳しい説明はないですが。

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です