昨年8月12日80歳で亡くなった編集者松岡正剛さん。有名な千夜千冊の217夜。解剖学者・形態学者・反還元主義でありタオイストでもある三木成夫さんの「胎児の世界」(岩波)を紹介するにあたって、松岡さんが彼の思想について2001年1月26日に書いていた。少し長くなるが、初めて読む人もいると思うので抜粋引用してみる。

「人間は捩(ねじ)じれている。人体のどこもかしこも捩(ねじ)じれている。生命の本質は(ねじれ)であろう」「内臓の末端は全部ねじれている。へその緒だって、大腸だって。耳も三半規管もねじれている。うんこだってねじれている」「脳もねじれている、ニューロンも捩じれ率の産物」「歩き方も体をねじって直立二足歩行をする。赤ん坊もねじれて出てくる」

生命の本質をねじれとする、具体的な用例を次々明かす本だ。三木さんの研究室には胎児の「ホルマリン漬け」がたくさん置いてある。生物の祖は驚くほど似ている。お母さんのお腹で大きくなる前の人間とかえるの幼児はそっくりだ。胎児が刻々と形を変えて、1億年の歴史を再現していることを詳細に追っている本。「地球に生きるすべての細胞はみな天体なんだ」

すごいのは、「脳は内臓すべて(血液の動向も尿道の出来事も入る)を反映している翻訳マシーンにすぎない」また「心は脳だけにあるにはあらず、体の各所にも出入りしている」という仮説。心配事があると内臓が病んだり、膝も筋肉も弱ったり、目もパチパチしたり、心の変化は体のどこにでも現れる。

日本にすごい学者がいたもんだ。三木成夫さんは1987年死去していている。

  1. 人体の不思議は専門家と称する方々の言葉で少しは理解するものの、未だ未だ不可解な事だらけですね。それが自分自身なのに?。少なくても自分の体の全ては自分の脳が支配しているように思って居ますが、必ずしもそればかりでも無さそうですね。
    脳に命令するのは個々の臓器であったり、視覚からの情報が命令したり、体内臓器に棲む各種のバクテリアだったりもする訳ですから自分自身の中に脳に命令を下す他者が大勢入り込んでいて、決して自分自身などとも言えないのが現実なのでしょうね。つまり、それらを総称して自分自身と言う事にもなるのでしょうが。もし、裁判で自分?が被告ともなれば『私では有りません。臓器の一部の仕業です!』そんな事になれば判決を下す裁判官も弁護する弁護士も判断できませんね。これまで全て、精神疾患なり貴方自身で片づけていた訳ですから。今後は、法に関わる人達も更に難しい資格試験を強いられそうですね。

    • 裁判を下す裁判官も、私は私でありませんというかもしれません。胎児のホルマリン漬けを小さいころから並べて観察すると、それこそ宇宙史を見るような気がするとも。形態学でもドイツ文学者ゲーテが三木さんと同じ発想に立っていたといいます。しばらくすべての生命体を見たら、自分の内臓をはじめ肉体を見たら、ねじれ部分を探しましょう。植物もねじれていますね、生き物はすべて捩じれていると考えるとすごい世界観です。人間が捩じれているなら、大脳も捩じれているわけですから、人間の作り出し作品や制度、法律もすべて捩じれていると考えるのが普通ですね。

  2. 人間の脳は一つとされて居ますが、タコなら頭以外の足先を合わせれば9つの脳が有ると言われて居ますね。もしかしたら、人間にも頭の他に違う形の別の脳が隠されているかも知れませんね。精密機械ロボットも真似ができない能力の人間ですから、例えば一度か二度の作業で指先が覚えてしまうなんて、考えれば思い当たるのがミュージシャンあたりですね。ピアノにしてもギターにしてもサックスにしても複雑な指使いを、その場その場で楽譜を追って考えて居るとは思えません。ですから記憶脳とも言われますが実際には指の脳が勝手に命令して動いてしまうのかも知れませんよ。そんな事を考えると益々不思議な人体ですね。これだけ長く時代を走り続ける人間ですが、未だにペースメーカーなどや臓器移植や献血は有りますが、クルマの部品のように細かい人工パーツが出来ないのも不思議です。出来れば外科医はアッセンブリー移植のみになりますね。そろそろ、そんなメーカーが出来るかも知れませんね。

    • 脳を絶対化して、脳の図を見過ぎて、脳学者に騙されていたのかもしれません。それでずいぶん彼らは稼いでいます。が、所詮、脳の部位とその内部の話だけで、初期には内臓から分離して脳ができたがゆえに、内臓と脳の関係にまで想像が及ばないずるい学者に扇動されてきたともいえますね。パーツだけで論じる学者に溢れています。その限界を知っているのは彼ら自身が一番感じているでしょう。

Leave a Reply to seto Cancel Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です