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商売の原点が行商にあるとしたら、歩きながら売る・工夫を繰り返すことだよという教え。近江・甲州・伊勢の商人に学べということなのだが、アイディアは歩いているときに沸き出ることが多いのは経験的によくわかる。よく動く人がまたいいアイディアを出す。様々な職業の人と飲み食いし、それも自腹でもいいから人付き合いしてた人も「なるほど」説得力のある企画を出していたね。

歩き、遊び、食べ、喋り、本を読み、孤独を楽しめれば怖い者は足元の奥さんぐらいだ。有名な京都大学に哲学の道があったり、ギリシャの哲学者、アリストテレスなどは「逍遥学派」とも言われ、歩くことの大脳へ与えるいい影響を古代から実証している。英国でも一番、高級な趣味が散歩であったのもよくわかる。少し、偽善的ではあるけれど。

歩きながら、次の植民地はアフリカのここでダイヤモンドを掘削しようとか中東のサウジで見つかった原油をロイヤルダッチシェルと相談しなくちゃとか考えて公園を散歩していたかもしれない。これでは悪巧みですね。こういうように、他人の大脳の中に入り込み、いま考えていることを映像で取り出せる機器が発明されれば、凄い世界になってしまうなと突然思う筆者。「静中の工夫」でも寝ながらヒラメキがあったりするんだけど、メモの習慣がないと起きたら忘れてしまう。

人間の歴史はヒラメキの積み重ねで前に進んできたようにも思う。火の発明にしても、雷がそれまでアフリカ大陸にたくさん落ちて、樹木を燃やしてそれをただ見ていたのが、ある人類の祖先が小枝を炎の中に入れて、火を移す発想(ヒラメキ)があって発明ということになった。獣たちも火には恐れを抱き、逃げる。肉食獣への武器も獲得したし、料理で焼いて食べるのを覚えたのだ。食べられていた人類が今度は食べる人類になって今に続く。(180万年前~50万年前での出来事、35万年前のネアンデルタール人は知っていた)

これも人類が歩いて、見て、ひらめいて、実行して、知恵となるパターンだ。行商の知恵の最古層が実は本来、人間にあるヒラメキ、少しひねって物を見てみる、別な観点で考える、ひねくれ者でいいから逆から考えると新鮮な視点にたどり着くかもしれない。

現実に戻れば、会議の中で発案された企画やアイディアは、どんなものであっても現場で試されていないから、商売ということになると試行錯誤だ。

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