ttl_pict_movieimages

全集「黒澤明」の第6巻に井上ひさしとの対談が最後に掲載されている。(341pから)「ユーモアの力・生きる力」というテーマ。昭和天皇のXデーに近い日に対談された。

黒澤「僕はアメリカの映画音楽はちょっと問題だと思うんです。たとえば(風とともに去りぬ)なんてベタでしょう。うるさいんです。音楽というのは、入れないで、あるところでスウッと入ってくるから効果があるんで、ベタに説明的な音楽が入っていたらマイナスだと思うんです。それについてルーカスともずいぶんやり合いました。(スターウーズ)でも音楽が入りすぎていると言ったら、ルーカスは、あの作品は子どもが観るから、わかりやすいように音楽をベタに入れたんだというので、そのとき僕は、それはあんた違う、それは子どもを侮辱している、子供はそんなことをしなくてもわかるんだと、ずいぶんやり合ったんですよ。最後にルーカスが、僕が悪かったという謝るみたいになったんです。~~スピルバーグの作品なんかでも、僕は少し音楽が入り過ぎていると思うんです。もっと倹約して、満を持して使わないとね。」(1998年1月28日対談、同年9月6日死去)「ET」「未知との遭遇」「カラーパープル」の音楽の使い方は褒めていた。

有名なスターウォ-ズの出だし「ダダダダーンダーン」という、英語のクレジットとともに出てくる音楽を含め、ルーカスに向かってベタ過ぎる音楽と評した部分だ。黒澤を尊敬しているルーカスだからタジタジだった。

内田樹さんが「スターウォ-ズ」の原型は黒澤明の「姿三四郎」だと。テーマは弟子は師を超えられない、弟子が師をいろんな意味で超えたと思って師を軽んずるとダークに陥り失敗する。すべては高師ヨダとの関わりで、ストーリーが展開していく。「師の教える道から踏み外すな」というのがテーマだ。愚鈍なまた狂気な師ならどうしよう?「姿三四郎」は1943年、黒澤明のデビュー作だが娯楽のない戦中ゆえ大ヒットしたが、フィィルムがあちこちカットされて完全版を今は見ることができない。黒澤明の師が山本嘉次郎、ルーカスとスピルバーグの師が黒澤明という構図だ。

しかし、ルーカスフィルムはディズニーに買収されて、より子供向け度がアップしているような気もする。さらにうるさい音楽になってるかどうか、12月公開の「フォースの覚醒」は、音楽の観点から鑑賞するのも楽しいかもしれない。黒澤明を偲びつつ。

映画観客人口の減少についても「よく映画界の人々は、テレビの普及が映画の発展を阻害したというが、とんでもない見当違いだ。映画とテレビは本質的に違う。これこそ映画だと言えるものを作っていれば問題はない。いい映画を作らないから、見る人がだんだん少なくなったのだ。それだけの話だ。」(同書222p)。彼が一番好きな自分の映画は「生きものの記録」。一番お客が入らなかった作品。筆者未見。黒澤映画で唯一赤字を出した映画だ。

さらに営業には耳の痛い話が。「営業部というのは一番映画というのがわかってないんです。その人たちは映画を愛していないし、観客を大切にしない。お客をチケットとしか思っていないんです。~~日本の営業の連中は入り口でお金をもらったら、あとは勝手にしろでしょう」。どの業界でも当てはまりそうで耳が本当に痛い。蛇足ながらドストエフスキー原作「白痴」は、ペテルスブルグを札幌に置き換えて撮影している。助監督は野村芳太郎。「当時の札幌には洋館がたくさんあって、とてもエキゾチックな街でした」(黒澤)。

スターウォ-ズから話題がどんどんそれていく。申し訳ない。最後に映画館を暗くしてほしいと。消防法に規制されて変に明るい映画館。それを暗くしてと。火事になれば自然に明るくなるわけだから逃げられると。

 

 

  1. 映画の音楽は確かに迫力がある。劇場のサウンド・システムならなおさらだ。今まで気にしていなかったが言われてみればドキッとするくらい目立ち過ぎかも知れない。吹奏楽やバンド演奏やコーラスでも、音楽センスが無い人が入ればそこだけが目立ってバランスを崩す。柔道部の主将に柔道を教えて貰う代わりにトランペットを教えたが演奏に加わりたいと言うので入れたがやたらと大きな音を出して閉口した。またコーラスの指揮をしていて耳障りな声に気づいたが、何と音痴の団員が居た事だ。前に出たがる性格は、時として全体のバランスを崩したり不協和音を創り出す事にもなる。映画監督ならむしろ映像に効果的なBGMとして音楽を編集したいに違いない。

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です