ストレス溜まる病院チェンジ
49歳のときに急性心筋梗塞で狭窄箇所に当時では、高い水準のステントを入れた。執刀した主治医は北の病院へ転勤していなくなり、2回目のステントを入れた医師も別な病院へ移り、いまは3人目の主治医だ。親しかったレントゲン技師も54歳で亡くなった。この病院の手術室を見ると、運ばれたときの光景がフラッシュバックして心が痛む。カテーテル検査やステントは札幌の病院でしようと決めていた。
主治医から「もうステント入れて15年経過しているので、そろそろ検査をしてみては」と勧められて「札幌の病院でもいいのですか」と聞くと「ああOKですよ。データが必要あれば出しますから言ってください」。やれやれだった。そして10月22日~24日まで検査をしてきた。結果は、再度のバルーンと新たな個所のステントだ。
そのときの検査データを持って、きょう主治医を訪れ、再度、検査した病院へ再入院する旨伝えたところ、急に不機嫌になり「私なら検査中、狭い部分あれば、すぐにそこでステント入れますけどね。少し乱暴ですけど。まあ、病院によっては検査と治療を分けている病院ありますけどね」と暗に私が検査した病院を皮肉った。実際、高額医療費の制度があるとはいえ、月またぎで2回入院すると倍額のお金が取られるわけで、負担が重い。別な看護師に聞くと「あそこは医療費が高いよ」とも言われた。
しかし、直接言えないが、看護師や事務員のレベル、検査技師集団の手際よさ、気持ちのいい入院は、たとえ先生一人が優秀でも、チーム医療の時代に、患者は総合的に物を見る。現代医療はセカンドオピニオン、サードオピニオンと騒いでいるが、そして最初の病院の医療情報は次の病院へ運ばれる。図式的には単純なことだけど、実際、人間の感情レベルでは「これまで一生懸命にあなたを看てきて、最後に裏切るのか」という気持ちもわからいではないが、あれこれ考えていると疲れてしまった。それぞれの医師のプライドは大事だろうけど、いろいろな要素で患者は病院を決める。ここがうまく伝えられないもどかしさ。
自宅から5分で行ける病院をやめて、JRと地下鉄と市電と徒歩で1時間以上かかる病院へ入院の予約電話を入れた。15年通った循環器科を遠くの病院へ変えるのはなかなかシンドイことであった。考えるだけで心臓が悪化しそうだ。検査の機器はどちらもそろっている。しかし・・・・・。今度は病院を選べても医師を選ぶ権利がないことに気づいた。
さらに、知人がA病院とB病院で2回、前立腺ガンの疑いで細胞を採取された。2回目のB病院のとき、痛いので全身麻酔をかけられた。しかし、終わった後、出血が止まらずヒドイ目にあったと。「近くの医大生が研修で、自分の細胞を取る練習台にされたのではないか?」と疑っている。ふたりの意見は「病院なんて行くものではない」という結論だ。入院すると病気になる?!
昔の少年
病気にもいろいろあるので一概には言えないが、「病気」は「病も気から」のことわざ通り、調子の悪い時は自分で精神的に追い込んでしまってどんどんパニックになる。先日の夜、眠れなくて調子が悪く、最近血圧が不安定な事もあってか、足の裏が汗ばみ不安になった。考えれば考えるほど具合が悪くなり立ち上がる元気もなかったが、血圧を下げると言う小さな錠剤を1粒のんだだけでおさまった。薬と言うより気分の問題かも知れない。あんなに爆睡できて「いびき」がうるさいと家族から1階に隔離されている僕だが、眠れないなんて考えられなかった。体調の変化で急に苦しくなれば近くの病院があるが、以前に院長と電話で喧嘩していて行きたくないと言う事情もある。いずれにしてもせめて「心臓」と「脳」の病院だけは前もって決めておこうと最近では考えている。