ある老人ホームで思うこと。
札幌近郊に入所年齢によるけれど。75歳で入れば入所費が2000万円の老人施設がある。母が生きていたころ、何気なくパンフレット希望とハガキを出したら、定期的に施設案内と入会のおすすめが来るようになった。母が亡くなった後も送られてきた。
ある昼下がり、偶然、その施設の前を通り、どんな施設なのか覗いてみた。メニューまでは見えなかったが、印象的だったのは女性たちはたくさん集まってグループでお喋りしながら食べているのに、男たちはずっと離れたところでポツンとひとりで食べている。女性の方が圧倒的に長生きしてるから入所者の7割8割は女性だとしても、この光景は私には異様に見えた。最初からひとり様よりたくさんの中での一人は孤独より孤立に見えた。
生涯かけて貯金した(または遺産の)お金を使い、入った(子供に入れられた)のがここで、人生で一番楽しい食事タイムがこういう過ごし方か・・・とがっかりした。男に笑顔が全然ない。もっと助平でいいから異性のところへ行ってちょっかいを出したりして会話して遊べばいいのにと私は思ったものだ。生真面目かどうか知らないが、たぶんこの世代は十分に貧乏な頃を知ってるはず。なのにそこを脱出して、晩年に来て過ごす楽しい昼ごはんを広い食堂の隅っこで過ごしている。悲しくなった。施設が泥棒に思えたりもした。
ここには別に病院もなくパンフレットでは提携している病院へ搬送するだけとある。いま全国にある入所金ゼロ円でも毎月15万円から20万円くらいかかる有料老健施設に入れる老人たちは一応富裕な、年金額も多くて退職金も手厚い人たちだろうと推測する。死んだらその部屋は次の人がまた2000万円を払って入る。面白いのは入所して1年以内に死去したら半分お金が戻されることだ。
最近、そこのホームページを見たら少し安くしてあったが、月々の管理費や食費は実費で毎月最低10万円かかることが判明。ホテルの受付みたいな写真を載せてはいたけど。日本中の生活保護世帯の半分が65歳以上が占めている現実。国民年金が毎月約7万弱では、持ち家があっても生きてはいけない。持家があればそもそも生活保護は受けられない。国民年金は当初、持ち家があり、家族がいて歳をとっても同居人がいるという前提で算出されたらしい。
自営業なら、店を継ぐ子供がいて一緒に暮らすイメージだ。それが一人暮らしになって家賃を払い、光熱費を払い、食費と交際費を使って7万で暮らせはしない。さらに税金も払うのだ。安い公営住宅に入って(私も結婚当初、お世話になった)も厳しい暮らしだ。生活保護が増えるわけだ。
キレやすい老人が増えている背景にこの国民年金の少なさへのイライラ感も相当あると思っている。普通の厚生年金でさえ、企業年金でも加算されないと楽な老後は望めない。さらに、私は戸建て団地にいるけれど、ニートの若者が年金世代を苦しめている。年金が平均以上でも同居する子供の面倒を看る経費・病院代でゆとりある老後ではない。そして自分たちの突然の病気や子供が突然会社を辞めて帰ってくることもある。さっきまで「下流老人」(朝日選書)を読んでいたが、3つの(ない)①収入が著しく少ない②十分な蓄えがない③頼れる人間がいない。NPO法人で貧困老人を支える筆者は誰もがその可能性があるし、現実なんだ、直視しようと書いている。
最初に書いた入所費2000万円払える人、餓死しないよう野草を食べて生き延びた老人もいた。老人間での超格差も凄まじい。30代・40代の非正規雇用の人も将来「下流老人」を爆発的に増やしてしまう。
*ちなみに、下流老人の定義は「生活保護基準相当で暮らす高齢者、およびその恐れがある高齢者」という意味で使っている。
昔、昔の少年
自分が施設に入ろうとは思わないが、何らかの都合で入らざるを得ない事態になれば、きっと息苦しい暮らしになると想像する。他人に気を使い、遠慮しながら「いい老人」を演じる事になるのだろう。趣味に困る事はないが、どれだけ集団生活の中で趣味をやり通せるかも疑問だ。それに設備や待遇を望んでも、経済事情で高価な施設には入れないだろう。そんな事を考えれば自立して自宅で生きられるだけ生きた方が幸せかもしれない。それにも健康で長生きできれば、の最低条件が必要だ。