終生、結婚に希望を持って!(ある夫婦の例)。

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63歳8カ月で現役を引退して、ご近所の定年されたご主人方と立ち話をする機会が増えたが、あんまり面白くない。私の会話が下手なのか、対等になりにくい。どこか無理をして会話をしているんだ。バラを100本飼育してる人は、70歳の元官僚ゆえ、上から目線で年下の私に薔薇講釈を始めたり、海外旅行の楽しさ話に入る。私はパニック障害で飛行機ダメなの知ってるのに。20本の薔薇の維持でフーフーしてる私のレベルではない。


職人上がりの同じ歳の人は釣り好きで、毎日、大工仕事と家の周りの草取り、ペンキ塗りをしている。が、職人気質故、頑固っぽい。


そこに現れたのが、札幌の時計台付近で喫茶店「北地蔵」(全国的にも有名で現在閉店)のマスターが、近所に家を建てて住んでいた。30年間、デートや打ち合わせ、休憩で使っていた上品な喫茶店だった。雑誌記者や新聞記者もここで原稿を書いていた。自宅前の道路を歩いていて、「おやっ、どこかで、そうそう北地蔵でコーヒーを落としてくれたマスターだ」ということで無理のない付き合いが始まった。


彼らは知り合いのいない団地に越してきたので、私たちとの付き合いが、何かほっとさせるようで嬉しそうな顔をしてくれる。独身時代の妻も勤め帰りに友人たちとお喋りに講じていた喫茶店。「北地蔵」と言えば「ああわかったあそこね」で話もカンタン。夫婦して青春時代の思い出が想起される。お客商売をしていて寡黙なたんたんとしたマスターだ。近所の手打ちそばやへ行くと会ったり、「行くところが一緒だね」。図書館でも会う。価値観がどこか似ているんだ。難病を持っていて、50歳を過ぎてずっと独身だったが、同郷の人と縁あって結婚。「まさか結婚できるとは思わなかった」と本人。50歳を過ぎての静かな初婚もいいなあと思った。


いま現在、独身の30代・40代・50代の人たち、穏やかな結婚、子供も無理して作らず、楽しみは夫婦でのツア旅行。「今度、どこへ行こうか」と相談するのが楽しいと。いつまでも希望は捨てないで。向こうからやってきます。もうひとりは、出雲の神主。以前は広告代理店にいたのに、スーツから神官服に着替えて地鎮祭や街角占い師に占講義をする先生になったから面白い。


彼の説では「占い」は学問。殷や周からありますからね。彼は私の不信心な態度を見て「縁がないね、あなたは」。彼に「神を信じているの?」と質問。「信じないでこの神社を守れますか」。毎日、掃除をしているので「どうして?」と聞くと、「神様は綺麗なところを好まれる」と。私の部屋には神は来ない。縁結びの神社だから、全道から多くの女性が来る。地元の人より、札幌から多い。観光を兼ねて東京から一人旅の女性も来る。


きょうのブログは幾つになっても結婚はあきらめないこと、ゆったりつながるご近所さんがいいねというお話でした。

4 thoughts on “終生、結婚に希望を持って!(ある夫婦の例)。

  • 2016年6月29日 at 4:55 AM
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    世間は狭いですね。先日はコンサートに行ったら、真後ろの席に知り合いの知り合いが居て観察されていたようです。昨日知り合いから聞きました。以前、借家に居て、二軒目の建売に越した時には驚きました。我が家の裏の家の庭に「コロに似た犬が居るね?」と言っていたら、何と借家時代の我が子たちの数学塾の先生の家でした。しかも隣の主人は僕が勤めた会社があったビルに居た人でした。さらに斜め前の電力会社の人は、僕が仕事で世話になった人の同僚でした。最近越してきた人はアドバルーンでお世話になった社長さんです。新興住宅地にはいろいろな人が住み着いて、一見他人同士に見えますが、意外と身近な人も居るモノです。僕の様に朝出たら、夜遅くしか帰らず、休みにも趣味の仕事をしていては、お付き合いも、殆どないですが、、、。

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  • 2016年6月29日 at 5:07 AM
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    結婚は晩年のほうが良いかも知れませんね。現実の暮らしにきゅうきゅうしていては愛情も覚めますね。喧嘩も絶えず、ともすれば離婚の危機にも遭遇します。核家族化と言われて久しいですが、今や子供に面倒を診て貰う時代でもなさそうですから。むしろ子供たちの家族の面倒を見る時代です。それにお互いに我慢比べで一緒に居るのも短い人生さえも楽しめませんね。結婚はしなければ判らない事ばかりです。お互いを必要としなければ成り立たないですね。結婚も学問も必要性に駆られてから真剣に考えた方が良いのではと思いますね。後悔先に立たずですが。

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  • 2016年6月29日 at 5:15 AM
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    鰯の頭も信心からとも。アイヌの人達も自然の中に神が宿ると言う考えのように、あらゆるものに感謝しながら生きるのが信心の原点でしょうね。宗派の違いからか、争い事にもなってはいますが、あれはもう信心と言うより邪心でしょう。戦国時代の陣取り合戦のような血を流すやり方はいけませんね。穏やかな心を保つ精神修養のような心のケアには薬は要りません。邪心を祓って清らかな本来の自分を取り戻すには役立つでしょう。

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  • 2016年6月29日 at 12:02 PM
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    近所付き合いは、ほとんどカミさん任せですが、定年で亭主が家に居るおカミさんたちは我が家に来てこぼしています。「亭主ゲンキで留守がいいって」。僕が家に居ないのが羨ましいらしいですよ。仕事以外での付き合いは少ないですね。昔、ゴルフや麻雀を頻繁にやっていた頃は居ましたね。付き合いは遊びからです。でも遊びで知り合った仲間にも裏切られることもありますね。お金がからんだり異性問題だったり、何年かすると自分の周りの人間関係もすっかり変わっていることに気づきます。つまりは、自分も変わったという証拠でしょうかね。人の心は変わるものなのです。

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