昭和の消えた仕事図鑑
素敵な本に出あった。~イラストで見る~「昭和の消えた仕事図鑑」(原書房)だ。イラストが平野恵理子さん、文は澤宮優。真っ先にページをめくったのは「ロバのパン」だ。説明は昭和6年に札幌で「ロバパン石上商店」が始めたとされ、昭和30年代まであった。
私が小学生に住んでいた団地にもやってきて、ロバを撫でながらパンを買ったものである。現在もロバパンは健在で、スーパーで棚は狭いが、このメーカーのものがあると買う癖がある。始まりは。石上さんがたまたま中国からロバをもらい、この愛くるしいロバにパンを運べば売れるのではないかと考えた。御者に蝶ネクタイをさせていたというが記憶がない。
冬には馬橇を引いて売りに来た。ロバの名前は「ウイック」、いたずら・ワンパクの意味だ。ロバの鈴かカランカランという音が近づくと10円20円を握りしめてパンを買いに行った。ロバが死んだときは地元紙は大きく取り上げた。昭和30年代の札幌の子供たちに愛された。
この本は、冷蔵庫が出てきて氷売りが消えたり、バスガール、燈台守、三輪タクシー、蹄鉄屋、文選工、アイスキャンディー屋、畳屋、ポン菓子屋、金魚売り、天皇陛下の写真売り、豆腐売り、風鈴屋、マネキンガール、エレベーターガール、カフェ(純喫茶)、ミルクホール、サンドイッチマン、チンドン屋、三助、活動弁士、紙芝居屋、傷痍軍人の演奏、のぞきからくり、水芸人、代書屋、口入屋(仕事の紹介)、タイピスト(花形)、こうもり傘修理業、靴磨き、し尿汲み取り人、屑や、エンヤコラ(肉体労働)、ショ場屋、丁稚、寺男、倒産屋。丁寧な説明とともにノスタルジーをそそるイラストが付いている。
最後に面白いのは、新聞社伝書鳩係という項目だ。電信が発達してなかつたころ、新聞社では地方のスクープを伝書鳩で送っていた。本社の屋上に鳩舎があって、「伝書鳩係」がいた。専門職として遇されて、この鳩は東海道、東北、上越、信越とグループ分けして訓練していた。伝書鳩係は5~6羽を地方に出る記者に渡して通信文と写真の付け方を教えたが、飛んでる最中に襲われる危険もある。昭和15年の三宅島噴火は伝書鳩の送稿でできて、読売新聞社は鳩へ社長賞を授与している。(データ 伝書鳩数3172羽「昭和元年」、300羽(昭和29年))人間は狼煙に始まり、誰かに何かを伝えないといけない動物、アリでも鳥でも生き物でもたえず複数で動いている。鳩は特に人間社会の横に生きている感がある。小学生のとき、鳩小屋を持ってる同級生が何人もいたのを思い出した。
この図鑑は、職業の栄枯盛衰が美しいイラストと的確なコメントで書かれていて「三丁目の夕日」で冷蔵庫の登場で「氷売り」の職業が消えるシーンもあったのを思い出す。パソコンやスマホの出現で消えて行った職業をいまのうちから残しておく作業も必要だと思った図鑑だ。「平成27年までに消えた職業図鑑」として。
車屋の孫。
僕の母親の東京の実家は「車屋」だったそうだ。お祖母ちゃんの出身地千葉の若い衆をたくさん住みこませて大きく商いをやって繁盛していたそうだ。それが証拠に、母の兄弟姉妹は13人も居て僕の従兄たちだけでも良く分からないほど大勢いた。今にして思えば、現代のタクシー会社に対抗できず消滅したのだろうが、家業を続けて居られたら「東京五輪」などの一大イベントに、観光客や選手や要人を乗せていたらいいのでは?これこそエコロジーJAPAN。
時のいたずら。
比較的新しい話では、我が家の家族が「邦文タイピスト1級」で、或る化粧品の販社の秘書などやっていたが、結婚して出産を機に退職し、自宅でタイプの仕事をしていた。そしてデザインを職業にしていた僕には、欠かせない「写植」も長い間活躍した。投資して買い込んだ機械の返済に徹夜作業までして頑張っていた写植のプロ達も、我が家の家族もパソコンの出現で一気に仕事を失った。文字を扱う仕事は素人にもできるようになったからだ。あれほど苦労して資格検定試験を獲得して、高価な機械や文字盤を沢山買ったが、無用の長物に化した。当時、大型ゴミとしてゴミステーションに、高価だった重い文字盤を沢山捨てに行った時の空しさを、今思い出した。
音楽と昭和。
昭和はめまぐるしく変わった。音楽関係でもシングル盤・LP盤レコードからソノシート、CD、MD、DVD、フラッシュメモリーのSD、カセットテープレコーダーもMP3に。今やスマホでダウンロードしてスマホで音楽を聴くからそのような機器も不要になった。カラオケで大げさな機械とLP盤より大きなクルマにCDチェンジャーなんて大げさな装置をトランクに取り付けたなんて、今では嘘みたいで笑われそうだ。こんなにめまぐるしく変動した時代に使われた言葉も今や「死語」と化したものが多い。歌謡曲などの歌詞に、今も残されている。「汽車」、「くわえタバコ」、「マドロス」、「波止場」、「おいら」、など、など。