象たちが人間の住む場所を空けてくれた。
福岡伸一さんの対談本かエセイで、人類の祖先がアフリカで生きていたときに、肉体的に弱かったがゆえに樹上生活をしていた先祖たちが、地上で暮らせるように、サバンナで最強の象たちが猛獣から人間が襲われないように、生きるスペースを空けてくれたという寓話か実話の話だ。
ホモサピエンスは弱い生き物だから集団化しないと猛獣に食べられてしまう。武器といっても石斧をつけた程度の武器しかなくて、誰かが食べられている間に逃げて木の上に昇って身を守る時代である。何万年もの間、人はサバンナで象に守られて生きてきたともいえる。なぜなら象の近くにいればライオンやチーターやピューマなどに襲われないから、寄らば大樹の蔭ではなくて、寄らば象の蔭である。
アフリカの象も人間の手で象牙を密漁する人たちで絶滅に追い込まれている。かつての恩人の象になんということをしているのだろうかと思う。象牙で印鑑や細工物を作っても、それが象の墓場と言われるところから持ってくるならまだしも、生きてる象を捕獲・殺戮するシーンは見たくないし、やってほしくない。そうする人間は象に踏み殺されても仕方がないとさえ思う。
さらにミミズの話だ。晩年、進化論のダーウィンが「ミミズの研究」論文を書いた。ミミズがいないと地表というか地面というか、植物が生える栄養を補給できないことに気づいた。ミミズのカラダを見ると頭から胴とお尻が管になっていて、その間を土が動きお尻から出すが、そのとき土に微小ながら栄養素が排出され、それが積みあがって、養分豊かな地表を作り出している。ダーウィンの当該本を読んでいないので詳しくは書けないが、象の話にしろ、ミミズの話にしても生き物と自然、動物との共生、サイクルとして自然の中で生かされてある人間ということに落ち着ちつく話だと思う。
こういう話は子どもが小さなときに親が教えると効果的かもしれない。ファンタジーとしても。さらに象は喋る。象同士で会話をするという尾びれをつけてはどうだろうか?「世界中の動物園の象をアフリカのサバンナに返して欲しいものだ」「そうだ、そうだ」とかね。
草食系?装飾系?
そう言えば、象は草食系で、動物を追い払っているところは見ているが、動物たちを食べている姿は見たことが無い。当然ながら、人間も食べられたなどとは聞いたことが無い。草食系動物に共通する点は、象の目でも判る様に、実に穏やかで優しくおとなしい感じだ。耳の大きなアフリカ象は凶暴だと聞くが、肉食系動物の多い環境から自身を護るための必然的な姿に進化したに違いない。象たちは、家族と集団を守るうちに、同類の草食系の弱い者たちをも守ってくれているのだろう。現代の草食系男子には象の爪の垢でも煎じて飲ませたいものだ。草食系の風上にも置けない装飾系?だ。
象と猫。
象牙で印鑑や装飾品をつくる事がステイタスとした人間たちは、象にとっては天敵に違いない。小さな人間が寄ってたかって、大きな身体以外に武器も無い象を殺りくなどを繰り返しているからおとなしい像も凶暴になるのだろう。象の墓は神聖な場所。いくら息絶えたとしても、そこに人間が入り込む事は、象たちにとっては聖地を踏みにじられた事になる。人間たちの宗教戦争にも似ている。象では無いが、我が家にいた(野良)猫も可愛がって家で飼っていたが、年老いたある日、自ら聖地に逝ってしまった。どこを探しても見つからず、諦めた。猫にとっても、見つけて欲しくは無かったに違いない。僕も猫か象のようにできたらいいと思う。
寝耳にミミズ
自然との共存とか共生は難しい。人は知らず知らず、自然を人工的に変えたがる。生物も植物も動物さえも絶滅の危惧種に指定されるほどだ。現代っ子は「虫」も大っ嫌いで、田舎暮らしなど到底できなくなっている。アスファルトとコンクリートの世界が日常の暮らしの場になって、土いじりどころか、草むしりも、畑仕事も、水田も遠目で見るだけ。唯一、学校で飼育している動物や虫を観察する程度だ。アスファルトやコンクリートにミミズが這い出したら、たちまち干からびてしまう。カエルだって、コオロギだって、水や草や土が無ければ住み着けない。少年時代の田舎には虫もたくさんいて、ミミズだってクモだって平気で掴んでいたし、ほんの少し命をいただいて、ガキ大将たちには格好の釣り餌だった。つまり、田畑の土の肥やしに役立ってくれたり、遊びの中でさえ虫たちにもお世話になっていた。川の魚たちだって沢山いて、手づかみしたり潜って捕獲したり、魚にとっては迷惑だろうが、暮らしの中でなくてはならないモノたちばかりだった。今の暮らしにはそんな自然との共存や共生はほとんど目にしなくなっている。潔癖な現代っ子たちに、あの頃の体験を教えてあげたいくらいだ。
弱虫毛虫。
弱肉強食は自然の摂理、人間社会でも、弱い者は強い者のために尽くす。サラリーをもらって働くが、おいしいところは全部トップに持っていかれる。上司は出世して高給を得るが、お人よしはいつまでたっても縁の下の何とやら。やがては忘れられる。ライオンは襲った獲物の美味しいところを食べつくし、余ったところをハイエナが食らって、さらに残りをハゲタカが啄み、その、おこぼれを小動物がいただき、さらに残された残骸を地表に居る虫たちが食する。しかし、その虫たちもまた何かに襲われる可能性もあるわけで、人間も全く同じ、強い者に巻かれてしまう。しかし考えてみれば、弱い者が居るから、強い者が生きられるわけだ。となると、弱い者は自然の摂理に大いに貢献しているとも言える。